註二・註三、桓階と交代/ 達成できないから帰る
註2.
零陵先賢傳曰:曹公敗於烏林,還北時,欲遣桓階,階辭不如巴。巴謂曹公曰:「劉備據荊州,不可也。」公曰:「備如相圖,孤以六軍繼之也。」
(訳)
零陵先賢伝にいう、
曹公は烏林にて敗れ
北へ帰還する時に
桓階を派遣しようとしたが、
桓階は劉巴には及ばないとして辞退した。
劉巴は曹公に言った。
「劉備が荊州に據っており、できません」
曹公は言った。
「劉備が図るようであれば
孤が六軍を以て続こう」
註3.
零陵先賢傳云:巴往零陵,事不成,欲遊交州,道還京師。時諸葛亮在臨烝,巴與亮書曰:「乘危歷險,到值思義之民,自與之眾,承天之心,順物之性,非餘身謀所能勸動。若道窮數盡,將託命於滄海,不復顧荊州矣。」亮追謂曰:「劉公雄才蓋世,據有荊土,莫不歸德,天人去就,已可知矣。足下欲何之? 」巴曰:「受命而來,不成當還,此其宜也。足下何言邪!」
(訳)
零陵先賢伝にいう、
劉巴は零陵に往くも事は成就せず
交州へ遊行し、途上で
京師へ帰ろうと考えた。
時に諸葛亮が臨烝におり、
劉巴は諸葛亮に書状を与えて言った。
「危うきに乗り険しきを歴て
義を思う民や、自らこれに
与する人々に直面するに到り、
天の心を承け、
物(事象?)の性質に順うと
自身の謀ったとおりに
動かすことはできません。
もし道窮まり命数尽きたなら
命を滄海へ託し、もう二度と
荊州を顧みる事はないでしょう」
諸葛亮は追いかけて言った。
「劉公の雄才は世を蓋い
荊州の地を領有なさって
その徳に帰服せぬ者はおりません。
天、人の去就は已にご存知でしょう。
足下は何処へ之こうとされるのですか」
劉巴は言った。
「命を受けてやって来ましたが
達成できないので
帰ろうとしているのです。
それこそ当然でしょうに
足下は何を言っているのですか」
(註釈)
桓階は魏書22巻に列伝あり。
長沙郡臨湘県の人。
孫堅が長沙太守だった頃に
孝廉に推挙され、尚書郎。
劉表との戦いで孫堅が戦死すると
危険を承知でその遺体を
引き取るため、使者に立っている。
演義第7回のラスト。
その後は魏に仕えて太常にまでのぼった。
劉巴は曹操の命令で
荊南を接収する筈だったが
劉備の方が早い、失敗した。
荊北にも荊南にも居場所がなくなり
交州へ行く。
父が殺されたのは
孫堅のせいでもあるので
江南に行く選択肢は浮かばなそう。
先賢伝だと
「欲遊交州,道還京師」だから
京師=曹操のところへ「帰還しよう」
と考えてはいる文脈。
だから
「命令を遂行できなかったから
(雇い主のとこに)帰るのは当然です」
ってセリフが出てくる。
蜀書に載っているわりに
どうも彼は劉備陣営に
降りたくないらしい。
交州の顔役である士燮は、
祖父劉曜が太守やってた蒼梧の出身。
70代の老人だから
劉曜をたぶん知ってるだろう。
反曹操ってワケでもないし、
朝貢もしてるから
やんわり味方のカテゴリだ。




