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淡々三国志  作者: ンバ
蜀書第九、董和伝
551/603

註一、胡済

註1.

偉度者,姓胡,名濟,義陽人。為亮主簿,有忠藎之效,故見褒述。亮卒,為中典軍,統諸軍,封成陽亭侯,遷中監軍前將軍,督漢中,假節領兗州刺史,至右驃騎將軍。濟弟博,歷長水校尉尚書。

(訳)

偉度は、姓を、名をせいといい

義陽ぎようの人である。


諸葛亮の主簿しゅぼとなり

忠誠の効があったために

称述されているのだ。


諸葛亮が卒すると

中典軍ちゅうてんぐんとなって諸軍を統率し

成陽せいよう亭侯に封じられた。

中監軍、前将軍に遷り、

漢中かんちゅうを監督、仮節となり

兗州刺史を兼領し、

右驃騎将軍まで至った。


胡済の弟の胡博こはく

長水校尉、尚書を歴任した。


(註釈)

胡済こせいは後主伝、董允伝、姜維伝、

華陽国志で名前が確認できました。


・蜀書、後主伝

「十九年春,進姜維位為大將軍,督戎馬,與鎮西將軍胡濟期會上邽,濟失誓不至。秋八月,維為魏大將軍鄧艾所破於上邽。維退軍還成都。是歲,立子瓚為新平王。大赦」


・蜀書、姜維伝

「十九年春,就遷維為大將軍。更整勒戎馬,與鎮西大將軍胡濟期會上邽。濟失誓不至,故維為魏大將鄧艾所破於段谷,星散流離,死者甚眾。眾庶由是怨讟,而隴以西亦騷動不寧。維謝過引負,求自貶削。為後將軍,行大將軍事」

「於是令督漢中胡濟卻住漢壽,監軍王含守樂城,護軍蔣斌守漢城,又於西安、建威、武衛、石門、武城、建昌、臨遠皆立圍守。


・華陽国志、劉後主

「十一年,鎮北將軍王平卒。以中監軍胡濟(即上文典軍義陽胡濟。)為驃騎將軍,假節,領兗州刺史,代平督漢中事」

「十九年,魏甘露元年也。春,進衛將軍姜維為大將軍。秋八月,維復出天水,至上邽,鎮西大將軍胡濟失期不至,大為魏將鄧艾所破,死者眾」


延煕11年(248)に

王平に代わって漢中督、

驃騎将軍、仮節、領兗州刺史。

蜀は兗州を領有してないから形だけ。


延煕19年(256)には

鎮西大将軍まで昇進してる。

姜維きょうい上邽じょうけいで落ち合うはずが現れず、

姜維は段谷だんこく鄧艾とうがいにボコボコにされた。


景耀年間(258〜)になってから

姜維が防衛の方針を転換し

漢寿かんじゅに移ることになった。


董允伝では「中典軍胡済」となっており、

胡済はただ宴会の約束をしたという

だけなので、ここでは取り上げません。


董和評価↓


戦闘 ★★★★ 4


干戈の功はない。


戦略 ★★★★★ 5


内政 ★★★★★★★ 7


緩む法規を引き締め

同じタイプの諸葛亮と阿吽の呼吸。


人格 ★★★★★★★ 7


自己を戒め倹しく生きた在り方は

諸葛亮の生きた規範になった。

董允がまじめなのも

おやじの影響でしょう。


陳武─陳修

霍峻─霍弋

陳羣─陳泰


など、子供の列伝は

父親に付記されてる事が多いんですが

董和と董允は例外的に

同じ巻の前後になってます。


続いて零陵の名士、劉巴伝。


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