三、上・中・下の三策
3.
益州牧劉璋與先主會涪,統進策曰:「今因此會,便可執之,則將軍無用兵之勞而坐定一州也。」先主曰:「初入他國,恩信未著,此不可也。」璋既還成都,先主當為璋北征漢中,統復說曰:「陰選精兵,晝夜兼道,徑襲成都;璋既不武,又素無預備,大軍卒至,一舉便定,此上計也。楊懷、高沛,璋之名將,各仗強兵,據守關頭,聞數有箋諫璋,使發遣將軍還荊州。將軍未至,遣與相聞,說荊州有急,欲還救之,並使裝束,外作歸形;此二子既服將軍英名,又喜將軍之去,計必乘輕騎來見,將軍因此執之,進取其兵,乃向成都,此中計也。退還白帝,連引荊州,徐還圖之,此下計也。若沈吟不去,將致大困,不可久矣。」先主然其中計,即斬懷、沛,還向成都,所過輒克。於涪大會,置酒作樂,謂統曰:「今日之會,可謂樂矣。」統曰:「伐人之國而以為歡,非仁者之兵也。」先主醉,怒曰:「武王伐紂,前歌后舞,非仁者邪?卿言不當,宜速起出!」於是統逡巡引退。先主尋悔,請還。統復故位,初不顧謝,飲食自若。先主謂曰:「向者之論,阿誰為失?」統對曰:「君臣俱失。」先主大笑,宴樂如初。
(訳)
益州牧の劉璋と先主が涪に会合すると
龐統は策を進言した。
「今、この会合に因り
すぐに彼を捕えるべきです。
さすれば将軍は用兵の労なく
坐して一州を平定できますぞ」
先主は言った。
「初めて他国に入り、
恩信はいまだ顕著でない。
それはできぬな」
劉璋が成都へ帰還したあと、
先主が劉璋の為に
北の漢中を征伐しようとすると、
龐統は再び説いた。
「密かに精兵を選り抜き
昼夜兼行で真っ直ぐ成都を襲撃なさい。
劉璋は武事にうとい上に
平素から予め備えている訳でもなく、
大軍が怱卒と至れば
一挙に平定できます。
これが、上の計です。
楊懐、高沛は劉璋の名将で
各々が強兵をたのみとして
関頭に據って守っております。
聞けば、幾度か手紙で
劉璋を諌めた事があり、
発遣して将軍を荊州に
帰還させようとしております。
将軍は到着するまえに
派遣して互いに(言い分を)聞き合い
荊州で急があったために
帰還してこれを救援したい
と説き、あわせて
(兵士たちに)装束させ
表面上は帰還する
形をするのです。
これならば、二子は既に
将軍の英名に感服している一方で
将軍の退去を喜ぶでしょうから、
計るに、必ずや軽騎に乗って
会見にやって来る筈です。
将軍はこれに因り彼らをとらえ、
進んでその兵を奪い取り
かくて成都へと向かうのです。
これが、中の計です。
白帝へと退去し
続いて荊州へ引き返して
徐に帰還してこれを計る、
これが、下の計です。
もし沈吟して(思い悩んで)去らねば
大いなる困難が至ることになります、
引き延ばす訳にはまいりませんぞ」
先主はそのうちで
中の計が妥当であると考え、
即座に楊懐、高沛を斬り、
引き返して成都へ向かい、
通過した所でその都度勝利した。
涪で大いに会同すると
酒を飲んで楽しみ
龐統にこう言った。
「今日の宴会は楽しいと謂うべきだのう」
龐統は言った。
「人の国を伐っておきながら
歓楽を為すなど、
仁者の兵にございませぬ」
先主は酔っており、
怒りながら言った。
「武王が紂王を討った際は
前に歌い、后に舞ったであろうに
仁者ではないとぬかすか。
卿の言葉は不適当だぞ、
速やかに起ちあがり、出ていくがよい」
ここに於いて龐統は
逡巡し、退出していった。
先主はやがて後悔し
戻ってくるよう請うた。
龐統はもとの座位に戻ると
ついぞ顧みて謝る事はせず
飲み食いをするに自若としていた。
先主は謂った。
「さっきの議論は
いったい誰が間違っていただろう?」
龐統は対して言った。
「君臣、倶に間違っておりました」
先主は大笑いし、
もと通りに宴を楽しんだ。
(註釈)
いわゆる上・中・下の三策。
上策は、劉璋の油断につけこみ
一気に本拠地落とす。
中策は白水関を奪って
そこを足がかりに成都を目指す。
下策はいったん荊州に戻る。
成都攻略にかかる時間が
短いほど上位の策になってるのね。
上策は敵味方ともに被害が少なく
成都がソッコーで手に入るが
劉備の評判の方は度外視。
下策はマジで論外。
何しに益州来たの? ってなる。
劉備としては中策選ぶしかないんだけど
表面上は三択にしてあるから
龐統の思い通りに事が進んでるのに
気付かないのであった。
詐欺師の手口やん。
「この論法使えるなぁ」と思ったのか
法正も漢中攻防戦の時に
「上・中・下の成果」とか
言い始めちゃう始末。
一方、もし龐統が
孫呉の人員だと仮定した場合、
劉備の名声とか評判とか
そんなのどうでもイイから
さっさと成都取らんかい
…ていう献策するのも
結構納得できるのが怖い。
周瑜に世話になった身からすると
彼の益州奪取プロジェクトを
一刻も早く成し遂げたい…
という思いなのかもしれない。
法正伝に書かれている
劉璋への書状を見た感じだと
甘寧たちも劉備の後から
攻めてくる手筈になっていたようだ。
(法正がカマかけた可能性もあるけど)
孫権が劉備の益州取りに
協力している……というよりは
劉備が孫呉の人員として
カウントされてる感じ。




