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淡々三国志  作者: ンバ
蜀書第七、龐統伝
543/603

二、百里の才に非ず

2.

先主領荊州,統以從事守耒陽令,在縣不治,免官。吳將魯肅遺先主書曰:「龐士元非百里才也,使處治中、別駕之任,始當展其驥足耳。」諸葛亮亦言之於先主,先主見與善譚,大器之,以為治中從事。親待亞於諸葛亮,遂與亮併為軍師中郎將。亮留鎮荊州。統隨從入蜀。

(訳)

先主は荊州を統領すると

龐統を従事、守耒陽らいよう令としたが、

(龐統は)県に在りて治めず

免官となってしまった。


呉の将の魯粛ろしゅく

先主に書簡を遣わして言った。


「龐士元は百里の才にはございませぬ。

治中、別駕の任に処されて

はじめてその驥足をのばせましょう」


諸葛亮もまた先主に

この事を言ったので、

先主はともに見えて

彼を大器とみなし

治中従事とした。


親愛、待遇は諸葛亮にいでおり、

とうとう諸葛亮と併せて

軍師中郎将となった。


諸葛亮が留まって荊州を鎮撫すると

龐統は入蜀に随従した。


(註釈)

赤壁、南郡の戦い、

荊南の四郡平定戦を経て

劉備が一応荊州の統治者に。

龐統は守耒陽令に任命された。


周瑜を継いだ魯粛ろしゅくから

「龐統を適切な役職に就けろよ」

って言われるくらいのポジション。

(諸葛亮も同意見)


これを受けて劉備は

龐統の待遇を諸葛亮に次ぐものにした。


劉備は孫権に荊州を

借りてる立場のようだから

魯粛が人事について口出しするのも

不自然な事ではないが、

「耒陽令じゃ役不足」と言うからには

龐統の実務能力を知っている前提になる。


劉表時代に絡みがあるとは

考えにくいから、龐統はやはり

周瑜の下でよく働いていたんだろう。


ここまで読んだ限りじゃ、龐統は

「周瑜の部下」のイメージが強すぎる。

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