註十七後、その隠者、空前絶後
註17-2.
高士傳曰:世莫知先所出。或言生乎漢末,自陝居大陽,無父母兄弟妻子。見漢室衰,乃自絕不言。及魏受禪,常結草為廬於河之湄,獨止其中。冬夏恒不著衣,卧不設席,又無草蓐,以身親土,其體垢汙皆如泥漆,五形盡露,不行人間。或數日一食,欲食則為人賃作,人以衣衣之,乃使限功受直,足得一食輙去,人欲多與,終不肯取,亦有數日不食時。行不由邪徑,目不與女子逆視。口未甞言,雖有驚急,不與人語。遺以食物皆不受。河東太守杜恕甞以衣服迎見,而不與語。司馬景王聞而使安定太守董經因事過視,又不肯語,經以為大賢。其後野火燒其廬,先因露寢。遭冬雪大至,先袒卧不移,人以為死,就視如故,不以為病,人莫能審其意。度年可百歲餘乃卒。或問皇甫謐曰:「焦先何人?」曰:「吾不足以知之也。考之於表,可略而言矣。夫世之所常趣者榮味也,形之所不可釋者衣裳也,身之所不可離者室宅也,口之所不能已者言語也,心之不可絕者親戚也。今焦先棄榮味,釋衣服,離室宅,絕親戚,閉口不言,曠然以天地為棟宇,闇然合至道之前,出羣形之表,入玄寂之幽,一世之人不足以挂其意,四海之廣不能以回其顧,妙乎與夫三皇之先者同矣。結繩已來,未及其至也,豈羣言之所能髣髴,常心之所得測量哉!彼行人所不能行,堪人所不能堪,犯寒暑不以傷其性,居曠野不以恐其形,遭驚急不以迫其慮,離榮愛不以累其心,損視聽不以汙其耳目,舍足於不損之地,居身於獨立之處,延年歷百,壽越期頤,雖上識不能尚也。自羲皇已來,一人而已矣!」魏氏春秋曰:故梁州刺史耿黼以先為「仙人」也,北海傅玄謂之「性同禽獸」,並為之傳,而莫能測之。
(訳)
高士伝にいう、
世では焦先の出自は知られていない。
漢の末期に生まれ、
陝から大陽に移居し、
父母、兄弟、妻子はいないと
言われる事もある。
漢室の衰微を見ると
かくて自ら(世俗を)絶ち、口を閉ざした。
魏が禅譲を受けるに及んで
常に草を結び
河の湄に廬を為すと、
獨りその中にとどまった。
冬でも夏でも恒に衣を身に付けず
臥せる際に蓆を設けなかった。
また、草蓐もなかった。
身を以て土に触れるため
その体の垢は、すべて
漆を塗りたくったかのようだった。
五形を盡く露出して
人間に行くことはなかった。
或いは数日に一度しか食事をせず、
食べたい時には
人に賃金で雇われる身となった。
人は衣を彼に着せ、かくて
功労をきめて値(賃金)を
受け取らせようとしたが
一回分の食事を得るに足れば
その都度立ち去ってしまった。
人が多くを与えようとしても
結局受け取る事を肯じず、
数日間食べない時すらあった。
出行の際はななめの径に由らず、
目で女子を逆視する事はなかった。
口で未だ嘗て話した事がなく
緊急の事が有った時でも
人と話さなかった。
送られた食物も全て受け取らなかった。
河東太守の杜恕は
衣服を以って(服を着せて?)
迎え、見えたが、
ともに語る事はなかった。
司馬景王(司馬師)は
安定太守の董経を遣わし
事に因り(他事に託けて?)
様子を見にゆかせたが、
やはり語る事は肯じなかった。
董経は彼を大賢であるとみなした。
その後、野火が彼の廬を焼き、
焦先はそのために露天で寝た。
大雪の降る冬の季節に至っても
焦先は袒(裸)で臥せっていて
移ることがなかったため、
人々は彼が死んだものと考えたが、
近くで視てみると従来の通りであり、
病気に罹っている訳でもなかった。
人々は、その意図を
審らかにする事ができなかった。
年齢を度るに、
百歳余りでやっと卒した。
或る者が皇甫謐(高士伝の作者)に言った。
「焦先とは何者なのですか?」
(皇甫謐は)言った。
「吾では彼を知るに足りぬが、
表にてこれを考察すれば
おおよそは言い表す事ができるだろう。
そもそも世の常に愉しみとする所は
栄誉の味であり、
形の捨て去れぬ所は衣裳であり、
身の離せぬ所は家屋であり、
口の已められぬ所は言語であり、
心の断ち切れぬ所は親戚である。
今、焦先は栄誉の味を棄て
衣服をぬぎ、家屋を離れ、
親戚を絶ち、口を閉じものを言わぬ。
曠然と天地を以って
棟宇(家屋の棟と軒)とし、
暗然と至高の道の先端に合わさり
玄寂の幽庵へと入ってしまっている。
一世の人物とて
以って彼の気を掛けるに足りず
四海の広さとて
彼の顧みをまげる事はできず
妙は三皇以前の者と同様である。
結繩(有史)以来、いまだ
彼の至った点まで及ぶものはおらぬ。
どうして諸言で彷彿とでき
尋常なる心で測量できようか。
彼の行人とて行えぬ所で
我慢強い人とて堪えられぬ所で
寒さ暑さを犯して
その性分を傷つけず、
曠野に居してその形を恐れず、
危急に遭遇したとて
その思慮は逼迫せず、
栄誉恩愛から離れる事で
その心を疲弊させず、
視聴を損なう事でその耳目を汙さぬ。
足を損なう事のなき地に住み
身を独立の処に居らせ
年を延ばすこと百を歴て
寿命は期頤(百歳)を越(超)えた。
上等な識者と雖も尚べぬ。
羲皇以来、一人だけだ」
魏氏春秋にいう、
もとの梁州刺史、耿黼は
焦先を以って「仙人」と為した。
北海の傅玄は彼について
「性質は禽獣と同様」と謂った。
いずれも伝を為したが
彼を測る事はできなかった。
(註釈)
変態だ!!!!!!(超乱暴な結論




