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淡々三国志  作者: ンバ
魏書第十一、管寧伝
535/603

註十五・註十六、晋代の何氏/賢人礼遇議

註15.

文士傳曰:楨字元幹,廬江人,有文學器幹,容貌甚偉。歷幽州刺史、廷尉,入晉為尚書光祿大夫。楨子龕,後將軍;勗,車騎將軍;惲,豫州刺史;其餘多至大官。自後累世昌阜,司空文穆公充,惲之孫也,貴達至今。

(訳)

文士伝にいう、

何楨かていは字を元幹げんかん廬江ろこうの人。

文学に器量、才幹があり

容貌は甚だ魁偉であった。


幽州刺史、廷尉ていいを歴任し

晋代に入ると尚書しょうしょ光禄こうろく大夫となった。


何楨の子の何龕かがんは後将軍、

何勗かきょくは車騎将軍、何惲かうんは豫州刺史、

その他多くも大役に至った。


以後、世を累ねて昌阜(栄える)した。

司空、文穆公の何充かじゅうは何惲の孫であり

顕貴、栄達は昨今まで至っている。


註16.

高士傳曰:朝廷以戎車未息,徵命之事,且須後之,昭以故不即徵。後顗、休復與庾嶷薦昭,有詔訪於本州評議。侍中韋誕駮曰:「禮賢徵士,王政之所重也,古者考行於鄉。今顗等位皆常伯納言,嶷為卿佐,足以取信。附下罔上,忠臣之所不行也。昭宿德耆艾,遺逸山林,誠宜加異。」乃從誕議也。

(訳)

高士伝にいう、

朝廷は戎車(戦車=戦争)が終息せぬ事から

徵命の事はいったん

この後をつ事とし、

胡昭はそれ故即座には徵されなかった。


後に荀顗じゅんがい黄休こうきゅうが復た

庾嶷ゆぎょくと胡昭を推薦し、

詔が有って本州の評議を訪う事となった。


侍中の韋誕いたんが反駁して言った。


「賢者を礼遇し士を徵す事は

王政の重んじる所にございまして、

古代の者は郷里での行いを考査しました。


今、荀顗等の位は皆常伯、納言であり

庾嶷は卿佐となっておりますから

取り上げて信任するに足りましょう。


下に懐附し、上を欺罔きもう(だます)する事は

忠臣の行わざる所であります。


胡昭は徳を宿した耆艾きがい(老人)であり

山林に遺逸いいつしておりますが

誠に特別(な沙汰)を加えられるべきかと」


かくて、韋誕の議に従った。


(註釈)

何氏も晋代に活躍。

江南の方の出身にも関わらず

中原で名を為してるからすごい。


何充かじゅうは晋書の77巻に伝がある。

93巻の外戚伝に出てくる何准かじゅんもこの一門。


韋誕は、馬超伝や荀彧伝などにも登場。


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