四・註四、張泰・龐辿・張閣・張貔・張邈
4.
是後大鴻臚鉅鹿張泰、河南尹扶風龐辿以清賢稱,永寧太僕東郡張閣以簡質聞。杜恕著家戒稱閣曰:「張子臺,視之似鄙樸人,然其心中不知天地間何者為美,何者為好,敦然似如與陰陽合德者。作人如此,自可不富貴,然而患禍當何從而來?世有高亮如子臺者,皆多力慕,體之不如也。」
(訳)
その後、
大鴻臚であった鉅鹿の張泰、
河南尹であった扶風の龐辿が
清らかさ、賢明さを以て称えられ
永寧(郭后)の太僕であった張閣が
簡便さ、質朴さによって聞こえていた。
杜恕は「家戒」を著し、
張閣を称えて言った。
「張子台、彼を視れば
鄙の樸人であるかのようだが、
その心中は、天地の間で何者が美しいか、
何者が好ましきかを承知せずに、
敦然として陰陽と徳が合致して
いるかのようである。
人となりがかくの如くであれば
自ずと富貴にはなりえないが、
患禍がいずこから来たろうか。
世には子台の如き高亮がおり、
慕って努力をする者も多いが
体(姿?)の点から如かぬのである」
註4.
荀綽冀州記曰:鉅鹿張貔,字邵虎。祖父泰,字伯陽,有名於魏。父邈,字叔遼,遼東太守。著名自然好學論,在嵇康集。為人弘深有遠識,恢恢然,使求之者莫之能測也。宦歷二宮,元康初為城陽太守,未行而卒。
(訳)
荀綽の冀州記にいう、
鉅鹿の張貔は字を邵虎という、
祖父の張泰、字を伯陽は魏にて名声があった。
父の張邈、字を叔遼は、遼東太守。
「自然好学論」により著名であり、
「嵇康集」のなかに在る。
人となりは弘く深く、遠大な見識を有しており、
恢恢としていて、これを求めしむ者にも
測れないほどであった。
二宮を歴任し、
元康年間の初めに城陽太守となるも
いまだ行かぬうちに卒した。
(註釈)
ここに出てくる張邈は
曹操と仲良しだった張邈とは別人です。
王脩伝の註釈の王隠晋書に
邴原の後裔の邴春が出てきたけど
邴原伝では特に触れてない。
邴原評価。
・戦闘 ★★★ 3
戦闘のせの字も出てこなかったし
ここは重要じゃない。
・戦略 ★★★★★★ 6
華歆伝の註で裴松之先生が
ずいぶん褒めてる。
曹操が出征して
曹丕に留守番させる際、張範と
邴原を顧問役に据えたとかって
張範伝に書いてあった…けど
2点プラスにはできないかなぁ。
1点プラスで。
・内政 ★★★★★★ 6
司空の掾、丞相徵事、五官将の長史。
邴原別伝だと東閤祭酒。
五官中郎将は四品の官職だけど
曹丕の場合は実質的に政権のNo.2だから
あんまり品秩はあてにならないな。
三国志には官職志がついてないから
丞相徵事がどーゆー役職なのか
よくわからない。字面的には人事担当?
ここも★7以上にするには説得力が弱い。
・人格 ★★★★★★★★ 8
あの鄭玄と伯仲する名声があるとなると
ここは高くなる。
別伝だけど荀彧すらもアゲていたし
裴松之先生の評価もかなり高い。
陳寿の本文だけだと
かなり評価に困る人だった。
続いて管寧伝、彼で11巻は終わりです。




