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淡々三国志  作者: ンバ
魏書第十一、邴原伝
521/603

四・註四、張泰・龐辿・張閣・張貔・張邈

4.

是後大鴻臚鉅鹿張泰、河南尹扶風龐辿以清賢稱,永寧太僕東郡張閣以簡質聞。杜恕著家戒稱閣曰:「張子臺,視之似鄙樸人,然其心中不知天地間何者為美,何者為好,敦然似如與陰陽合德者。作人如此,自可不富貴,然而患禍當何從而來?世有高亮如子臺者,皆多力慕,體之不如也。」

(訳)

その後、

大鴻臚だいこうろであった鉅鹿きょろく張泰ちょうたい

河南尹かなんいんであった扶風ふふう龐辿(ほうてん)

清らかさ、賢明さを以て称えられ

永寧えいねい(郭后)の太僕であった張閣ちょうかく

簡便さ、質朴さによって聞こえていた。


杜恕とじょは「家戒」を著し、

張閣を称えて言った。


「張子台、彼を視れば

いなかの樸人であるかのようだが、

その心中は、天地の間で何者が美しいか、

何者が好ましきかを承知せずに、

敦然として陰陽と徳が合致して

いるかのようである。


人となりがかくの如くであれば

自ずと富貴にはなりえないが、

患禍がいずこから来たろうか。


世には子台の如き高亮がおり、

慕って努力をする者も多いが

体(姿?)の点から如かぬのである」


註4.

荀綽冀州記曰:鉅鹿張貔,字邵虎。祖父泰,字伯陽,有名於魏。父邈,字叔遼,遼東太守。著名自然好學論,在嵇康集。為人弘深有遠識,恢恢然,使求之者莫之能測也。宦歷二宮,元康初為城陽太守,未行而卒。

(訳)

荀綽の冀州記にいう、

鉅鹿の張貔(ちょうひ)は字を邵虎しょうこという、

祖父の張泰ちょうたい、字を伯陽はくようは魏にて名声があった。

父の張邈ちょうばく、字を叔遼しゅくりょうは、遼東りょうとう太守。


「自然好学論」により著名であり、

嵇康けいこう集」のなかに在る。


人となりは弘く深く、遠大な見識を有しており、

恢恢としていて、これを求めしむ者にも

測れないほどであった。


二宮を歴任し、

元康年間の初めに城陽太守となるも

いまだ行かぬうちに卒した。


(註釈)

ここに出てくる張邈は

曹操と仲良しだった張邈とは別人です。


王脩伝の註釈の王隠晋書に

邴原の後裔の邴春へいしゅんが出てきたけど

邴原伝では特に触れてない。


邴原評価。



・戦闘 ★★★ 3

戦闘のせの字も出てこなかったし

ここは重要じゃない。


・戦略 ★★★★★★ 6


華歆伝の註で裴松之先生が

ずいぶん褒めてる。


曹操が出征して

曹丕に留守番させる際、張範と

邴原を顧問役に据えたとかって

張範伝に書いてあった…けど

2点プラスにはできないかなぁ。

1点プラスで。


・内政 ★★★★★★ 6


司空の掾、丞相徵事、五官将の長史。

邴原別伝だと東閤祭酒。

五官中郎将は四品の官職だけど

曹丕の場合は実質的に政権のNo.2だから

あんまり品秩はあてにならないな。


三国志には官職志がついてないから

丞相徵事がどーゆー役職なのか

よくわからない。字面的には人事担当?

ここも★7以上にするには説得力が弱い。



・人格 ★★★★★★★★ 8


あの鄭玄と伯仲する名声があるとなると

ここは高くなる。

別伝だけど荀彧すらもアゲていたし

裴松之先生の評価もかなり高い。


陳寿の本文だけだと

かなり評価に困る人だった。


続いて管寧伝、彼で11巻は終わりです。


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