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淡々三国志  作者: ンバ
魏書第十一、王脩伝
512/603

註二・註三、天下の義士/司金

註2.

傅子曰:太祖旣誅袁譚,梟其首,令曰:「敢哭之者戮及妻子。」於是王叔治、田子泰相謂曰:「生受辟命,亡而不哭,非義也。畏死忘義,何以立世?」遂造其首而哭之,哀動三軍。軍正白行其戮,太祖曰:「義士也。」赦之。臣松之案田疇傳,疇為袁尚所辟,不被譚命。傅子合而言之,有違事實。

(訳)

傅子にいう、

太祖は袁譚を誅殺したあと

その首をさらしものとし、

命じて言った。


「敢えてこれに哭礼をおこなう者は

妻子に及ぶまで誅戮する」


ここで、王叔治(王脩)と

田子泰(田疇)は互いに話し合った。


「生前に辟命を受け、亡くなられた際に

哭礼をおこなわないのは

不義であろう。


死を畏れて義を忘れたなら

何を以て世に立っていけよう」


遂にその首のもとへ向かい

これに哭礼をおこなった。

その哀惜は三軍を揺り動かした。


軍正は彼らへの誅戮の執行を

建白したが、太祖は、


「義士である」


と言い、彼らを赦免した。


わたくし松之が田疇伝を勘案するに、

田疇は袁尚えんしょうから召辟されており

袁譚から辟命を被ってはいない。


傅子が合わせて彼らを論じているのは

事実と食い違っている。



註3.

魏略曰:脩為司金中郎將,陳黃白異議,因奏記曰:「脩聞枳棘之林,無梁柱之質;涓流之水,無洪波之勢。是以在職七年,忠讜不昭於時,功業不見於事,欣於所受,俯慙不報,未嘗不長夜起坐,中飯釋餐。何者?力少任重,不堪而懼也。謹貢所議如左。」太祖甚然之,乃與脩書曰:「君澡身浴德,流聲本州,忠能成績,為世美談,名實相副,過人甚遠。孤以心知君,至深至孰,非徒耳目而已也。察觀先賢之論,多以鹽鐵之利,足贍軍國之用。昔孤初立司金之官,念非屈君,餘無可者。故與君教曰:『昔遏父陶正,民賴其器用,及子媯滿,建侯于陳;近桑弘羊,位至三公。此君元龜之兆先告者也』,是孤用君之本言也,或恐衆人未曉此意。自是以來,在朝之士,每得一顯選,常舉君為首,及聞袁軍師衆賢之議,以為不宜越君。然孤執心將有所厎,以軍師之職,閑於司金,至於建功,重於軍師。孤之精誠,足以達君;君之察孤,足以不疑。但恐傍人淺見,以蠡測海,為蛇畫足,將言前後百選,輙不用之,而使此君沈滯冶官。張甲李乙,尚猶先之,此主人意待之不優之效也。孤懼有此空聲冒實,淫鼃亂耳。假有斯事,亦庶鍾期不失聽也;若其無也,過備何害?昔宣帝察少府蕭望之才任宰相,故復出之,令為馮翊。從正卿往,似於左遷。上使侍中宣意曰:『君守平原日淺,故復試君三輔,非有所閒也。』孤揆先主中宗之意,誠備此事。旣君崇勳業以副孤意。公叔文子與臣俱升,獨何人哉!」後無幾而遷魏郡太守。

(訳)

魏略にいう、

王脩は司金中郎将となると

黄白(黄金と白銀)の相違点についての

議を陳べ、そこで上奏して言った。


「脩は、枳棘ききょくの林に梁柱の材料はなく、

涓流(小さな流れ)の水に

洪水の勢いはない

と聞いております。


これで七年職分にたずさわっておりますが

忠義や儻言を当世にあきらかにできず

功業を業務に示すこともできておりません。


拝受した所に欣喜するも

報いられぬ事を慙愧しておりまして、

いまだかつて長夜に

起き上がって座らぬことはなく

食事の途中で飲み食いを

やめてしまわぬ事がございません。


どうしてでしょうか。


力量が乏しいにも関わらず

重役に任じられてしまい

恐懼に堪えぬからでございます。


謹んで左記の如くに

議を上貢いたします」


太祖は甚だもっともであると考え

そこで王脩に書簡を与えて述べた。


「君は身をきよめ徳を修養し

名声を本州に流布し、

忠義はよく功績を成して

世の美談となっており、

名実が互いに寄り添って

人を過ぎること甚だ遠い。

(常人をはるかに超えている)


わたしは心を以て君を知り、

至って深く、至ってつまびらかであり、

ただ耳目のみ(の理解)ではないのだ。


先賢の論を観察するに

塩、鉄の利益を以て

軍事、国事の費用を充足させる事が多い。


昔、孤が金銭を司る官を

初めて立てた際、

君を屈させずば

他にできる者がいないとおもった。


故に君に教勅を与えて、

『昔、遏父あつほが(周の)陶正とうせいとなり

民はその陶器の使用を頼むことができた。

子の媯満きまん(の代)に及ぶと

陳の侯を建てられた。

近くは桑弘羊そうこうようの位が三公まで至った。

これは、君に元亀のしるしとして

先んじて告げたものである』

と述べたのだ。


これは狐が君を用いる事の本音であり、

或いは衆人がこの真意を

さとっていないのではないかと恐れている。


それ以来、朝廷にある士で

一たび顕官の選抜(の機会)を得るたび

常に君を挙げて首位としてきたが、

袁軍師や多くの賢人の議論を聞くに及んで

君を越階させるべきでないとした。


しかし、孤が執心して致そうとしているのは

軍師の職より司金は閑職であるが

功績を建てるに至れば軍師より重いからだ。


孤のこまやかな誠心は

君に達する(栄達させる?)に十分であり、

君が孤を察して

疑いを抱かせぬには十分であろう。


ただ、傍らの者が浅はかな見解で

ひさごによって海を測り、

蛇に足を描き足して、

前後にわたる様々な選抜を

述べようとする際に

その都度これを用いず、

この事で君を冶官として

停滞させるのではないかと恐れている。


張甲ちょうこう李乙りいつ

(※サトウイチロウ、スズキジロウ、

のようなありふれた名前=山ほどいる凡人の意)

すら、なおこれ(王脩)に先んじているが

この事は、主人(私曹操)が

これを優待するつもりが

ない事のあらわれである(と噂されそう)。


孤はこうした空言が事実を冒涜し

淫らなかえるが耳を乱すのでは

ないかと懼れている。


仮にこのような事があったとしても

どうか鍾期(鍾子期)のような

聴覚を失わぬようにして欲しい。

もしそのような事がなかったとしても

過度に備える事に何の害があろう。


昔、宣帝は少府の蕭望之しょうぼうし

宰相を任せられる才能がある事を察されると

故意にまた彼を転出させて

馮翊ひょうよくとなる事を命じられた。

正卿からの赴任は左遷に類するが、

お上は侍中を遣わしてそのご意向を仰った。


『君は平原を鎮守して日が浅いため

もう一度君を三輔に試用する、

遠ざけようという訳ではない』


孤が先主、中宗のご意向をはかるに

実際にこのような事に備えておられる。


既に君は高い勲功や業績によって

孤の意に副ってくれた。


公叔文子と臣下は倶に升ったが

彼ひとりが如何なる者だというのか」


その後幾ばくもなくして

魏郡太守に遷った。


(註釈)

司金の職を続けさせる話だったけど

魏郡太守に転任しちゃうんか。


ちくまの註によると、

遏父あつほの話は

左氏伝の襄公二十五年にある。

八月.楚滅舒鳩.衛獻公入于夷儀.鄭子產獻捷于晉.戎服將事.晉人問陳之罪.對曰.「昔虞閼父為周陶正.以服事我先王.我先王賴其利器用也……


鍾子期は音楽に長けた人で

琴の名手・伯牙と一緒に出て来る。

過去に訳したとこで一回出てきたけど

どこだったっけ……。

馬良ばりょう伝とかにも登場。


桑弘羊そうこうようは前漢の人。

武帝期に塩、鉄の専売制や

均輸法、平準法を提唱した。

列伝は立てられていないが

霍光伝などに登場する。


蕭望之しょうぼうしも前漢の人。漢書の78巻に列伝あり。

曹操が引用してるのはここ↓

宣帝察望之經明持重,論議有餘,材任宰相,欲詳試其政事,復以為左馮翊。望之從少府出為左遷,恐有不合意,即移病。上聞之,使侍中成都侯金安上諭意曰:「所用皆更治民以考功。君前為平原太守日淺,故復試之於三輔,非有所聞也。」望之即視事。


公叔文子は論語の憲問第十四に見える。

公叔文子之臣大夫僎、與文子同升諸公。子聞之曰、可以爲文矣。


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