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淡々三国志  作者: ンバ
魏書第十一、王脩伝
510/603

一・註一、王脩はきっと来る/わたしは堯です

1.

王脩字叔治,北海營陵人也。年七歲喪母。母以社日亡,來歲鄰里社,脩感念母,哀甚。鄰里聞之,為之罷社。年二十,游學南陽,止張奉舍。奉舉家得疾病,無相視者,脩親隱恤之,病愈乃去。初平中,北海孔融召以為主簿,守高密令。高密孫氏素豪俠,人客數犯法。民有相劫者,賊入孫氏,吏不能執。脩將吏民圍之,孫氏拒守,吏民畏憚不敢近。脩令吏民:「敢有不攻者與同罪。」孫氏懼,乃出賊。由是豪彊懾服。舉孝廉,脩讓邴原,融不聽。時天下亂,遂不行。頃之,郡中有反者。脩聞融有難,夜往奔融。賊初發,融謂左右曰:「能冒難來,唯王脩耳!」言終而脩至。復署功曹。時膠東多賊寇,復令脩守膠東令。膠東人公沙盧宗彊,自為營塹,不肯應發調。脩獨將數騎徑入其門,斬盧兄弟,公沙氏驚愕莫敢動。脩撫慰其餘,由是寇少止。融每有難,脩雖休歸在家,無不至。融常賴脩以免。

(訳)

王脩は字を叔治しゅくじ北海ほっかい営陵(えいりょう)県の人である。


年七歳で母を喪った。


母は祭(杜)の日に亡くなり、

翌年に隣の里で祭がおこなわれると

王脩は母を思慕して大変に哀しんだ。

隣の里は、これを聞くと

彼のために祭を中止した。


二十歳で南陽なんように遊学し、

張奉ちょうほうの屋舎にとどまった。


張奉は家を挙げて病にかかっており、

互いに看病する者もなかったので、

王脩は親身になってこれをあわれみ

病が癒えてからやっと立ち去った。


初平年間(190〜193)に、北海の孔融こうゆうの召辟で

主簿、守高密(こうみつ)令となった。


高密の孫氏はかねてより豪俠であり

家人や客分がたびたび法を犯していた。


民衆に、劫掠し合う者がいても

賊(犯人)が孫氏へと立ち入ってしまえば

役人は逮捕する事ができなかった。


王脩が官吏や民衆を引き連れてこれを囲むと

孫氏はふせぎ守り、

官吏・民衆は畏れ憚って

敢えて近寄ろうともしなかった。


王脩は官吏・民衆に命じた。


「敢えて攻め込まぬ者がおれば

(彼ら)と同罪だぞ」


孫氏は懼れ、かくて賊を差し出した。


この事から豪強は懾伏しょうふくした。


孝廉に推挙され、

王脩は邴原へいげんに譲ろうとしたが

孔融は聴き入れなかった。


当時、天下は乱れていたが

とうとう行くことはなかった。


しばらくして、郡中に

反乱を起こす者があった。


王脩は孔融が

危難に見舞われていると聞くと

夜に孔融のもとへ奔った。


賊は出発したばかりで

孔融は左右にこう言った。


「危難を冒して来る事ができるのは

ただ王脩のみであろう」


言い終わると、王脩が到着した。


今度は功曹に署された。


時に膠東は賊による寇掠が多発しており

再度王脩を守膠東令に任命した。


膠東人の公沙盧こうさろの宗族は強盛で

自ら軍営、塹壕を為しており

調発に応じる事を肯じなかった。


王脩はひとり数騎を率いて

その門へと直入し、

公沙盧の兄弟を斬った。

公沙氏は驚愕して

敢えて動こうともしなかった。


王脩はその余勢を慰撫し、

こうして寇掠は少し止んだ。


孔融に難事があるたび、

王脩は休暇で帰ってきて

在宅している時であっても

やって来ない事はなかった。


孔融は常に

王脩を頼って(危機を)免れていた。


註1.

融集有融荅脩教曰:「原之賢也,吾已知之矣。昔高陽氏有才子八人,堯不能用,舜實舉之。原可謂不患無位之士。以遺後賢,不亦可乎!」脩重辭,融荅曰:「掾清身絜己,歷試諸難,謀而鮮過,惠訓不倦。余嘉乃勳,應乃懿德,用升爾于王庭,其可辭乎!」

(訳)

孔融集には、

(王脩が孝廉の推挙を辞そうとした際に)

孔融が王脩に応えた教勅が

掲載されている。


「邴原の賢明さを

吾は已に承知している。


昔、高陽氏には才子が八人おり

堯は用いる事ができなかったが

舜が実際に彼らを推挙した。


邴原は、位にない事を

憂患せぬ士と謂うべきであり、

後の賢者に遺しておくことも

またよいではないか」


王脩が重ねて辞退すると

孔融は答えて言った。


「掾を己が身を清潔にして

諸々の艱難を幾度も試し、

謀れば過ちをおかすことはすくなく、

恩恵と訓戒(を人々に与えること)

に関して倦むことがない。


余はなんじの勲を嘉して

乃のりっぱな徳に対応し、

なんじを用いて王庭へと

升らせようというのに

それを辞してよいのか」


(註釈)

北海の王脩。

同じ北海の太守をしていた

孔融から目をかけられていた。


高密の令となり

ぶいぶい言わせてる豪族を威圧。

これが評価されたか

政情不安の膠東に赴任。

ここでも結果を出す。


恩人の孔融のピンチは見捨てず

必ず駆けつける。ずぶずぶの関係。


註釈の孔融集では、

孔融が堯舜の話を持ち出しているが

自分のことを堯に例えてるあたりが

さすが孔融サマである。


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