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淡々三国志  作者: ンバ
呉書第十、丁奉伝
489/603

五、孫綝抹殺

5.

孫休即位,與張布謀,欲誅孫綝,布曰:「丁奉雖不能吏書,而計略過人,能斷大事。」休召奉告曰:「綝秉國威,將行不軌,欲與將軍誅之。」奉曰:「丞相兄弟友黨甚盛,恐人心不同,不可卒制,可因臘會,有陛下兵以誅之也。」休納其計,因會請綝,奉與張布目左右斬之。遷大將軍,加左右都護。永安二年,假節領徐州牧。六年,魏伐蜀,奉率諸軍向壽春,爲救蜀之勢。蜀亡,軍還。

(訳)

孫休そんきゅうは即位すると

張布ちょうふとともに謀って

孫綝そんちんを誅殺せんとした。


張布は言った。


「丁奉は官吏や文書の事はできませぬが

計略は人に過ぎ、大事をでき出来ます」


孫休は丁奉を召し、こう告げた。


「孫綝は国家の威を

不軌なる行いをなさんとしておる。

将軍とともに、やつを誅殺したい」


丁奉は言った。


「丞相の兄弟や友党は甚だ盛んです、

恐らくは人心が同調せず

怱卒と制圧する事はできますまい。


臘会(年末に行う神や祖先の祭事)に

託け、陛下の所有される兵を以って

これを誅殺するべきです」


孫休はその計を納れ

臘会によって孫綝を召請すると

丁奉と張布が左右の者に

目配せをして、これを斬った。


大将軍に遷り、左右都護さゆうとごを加えられた。


永安二年(259)に節を仮され

徐州牧を兼領した。


六年(263)、魏が蜀を征伐すると、

丁奉は諸軍を率いて寿春へ向かい

蜀の軍勢を救援しようたしたが、

蜀が滅亡してしまい、軍は帰還した。


(註釈)

256年に孫峻が死に

従弟の孫綝そんちんが権勢をつぐ。


258年、呉帝孫亮(そんりょう)

孫綝の専横を憎み

無難の兵を率いて

討ち入りを決行するが失敗、

廃位されてしまう。

この時、まだ16歳であった。


孫綝は孫権の六男、孫休そんきゅうを皇帝に迎える。


孫休はこの時、尻尾がない

龍の夢を見たとされる。


長男・次男・三男・四男は

すでにこの世の人ではなく、

五男の孫奮は庶民に落とされており

七男の孫亮が廃位されたため、

皇位継承の有資格者はもう

孫休しか残っていなかったのだ。


孫休は丁奉らと謀って孫綝を誅殺し

国内のゴタゴタを片付けると

政治に対する興味を失ってしまい、

側近の濮陽興ぼくようこうや張布らに実務を任せて

大好きな学問研究に没頭してしまう。

同盟国の蜀が危機に瀕した時にすら

殆ど何の対策も講じることが出来なかった。


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