五・註一・六、偽城の計
5.
後魏文帝大出,有渡江之志,盛建計從建業築圍,作薄落,圍上設假樓,江中浮船。諸將以爲無益,盛不聽,固立之。文帝到廣陵,望圍愕然,彌漫數百里,而江水盛長,便引軍退。諸將乃伏。
(訳)
その後、魏の文帝(曹丕)が
大挙して出撃し
長江を渡る意思を有すると、
徐盛は計を立て
建業からの囲繞(防護壁)を築き、
薄落(すだれ?)を作って
囲繞の上に偽装の楼閣を設え
長江じゅうに船を浮かべた。
諸将は(そんな事をしても)
益はないとしたが、
徐盛は聴き入れず、
頑固にもこれを打ち建てた。
広陵へ至った文帝は
囲繞を望見して愕然とした、
(船団、楼閣、防壁が)
数百里に広がり満ちており
長江の水量も増していた事から
すぐに軍を引き連れ、退却した。
諸将はかくて
(徐盛の見通しの正しさに)
平伏したのであった。
註1.
干寶〝晉紀〟所云「疑城」,已注孫權傳。
〝魏氏春秋〟云:文帝歎曰:「魏雖有武騎千羣,無所用也。」
(訳)
干宝の晋紀が
云う所の「疑城」であり、
已に孫権伝の註釈にみえる。
「魏氏春秋」はいう、
文帝は歎息して言った、
「魏は武装した騎兵を
千群も有していると雖も、
用いる所が無いではないか」
6.
黃武中卒。子楷,襲爵領兵。
(訳)
黄武年間(222〜229)に卒した。
子の徐楷が爵位を襲ぎ兵を統領した。
(註釈)
徐盛最大の見せ場がここ。
呉主伝のひく干宝の晋紀に
詳しい構造(?)が載っており
後述します。
18巻に出てきた趙達も
ここに出てきており
「呉は58年後に滅びます」
と予言している。
孫権は
「目の前のことで精一杯で
そんな未来の事まで考えてられるか」
と返している。
孫権のスタイルは
良く言うと目の前の事に一生懸命
悪く言うと行き当たりばったり
ってことなんかな。
徐盛評価
・戦闘 ★★★★★★★ 7
黄射戦、曹休戦、曹丕戦、
多勢に無勢だと燃える男。
逆に数で圧倒してた合肥だと
負傷した上旗を奪われる失態をおかす。
(賀斉が取り返してくれた)
・戦略 ★★★★★★★ 7
疑城の計で曹丕の大軍を撤退させる。
戦術レベルで最高にいい仕事をした。
・内政 ★★★★★★ 6
蕪湖令、廬江太守と
名ばかりの長官ではなかった。
兵士の考査も担当。
・人格 ★★★★★ 5
周泰の事を舐めていたり
蒋欽に逆襲されると思って
びくびくしていた。
人格に対する称賛は特になかった。
次は潘璋伝です。




