一・二、逆境で燃える男
1.
徐盛字文嚮,琅邪莒人也。遭亂,客居吳,以勇氣聞。孫權統事,以爲別部司馬,授兵五百人,守柴桑長,拒黃祖。祖子射,甞率數千人下攻盛。盛時吏士不滿二百,與相拒擊,傷射吏士千餘人。已乃開門出戰,大破之。射遂絕迹不復爲寇。權以爲校尉、蕪湖令。復討臨城南阿山賊有功,徙中郎將,督校兵。
(訳)
徐盛は字を文嚮、瑯琊郡莒県の人である。
動乱に遭遇して呉に客寓し
勇気を以って聞こえた。
孫権が事業を統括すると
彼を別部司馬に任命して
兵五百人を授け、
仮の柴桑の長として黄祖を拒がせた。
黄祖の子の黄射は
嘗て数千人を率いて下り
徐盛を攻めた事があった。
徐盛の当時の吏士は
二百にも満たなかったが、
互いに拒ぎ、攻撃し合って
黄射の吏士千余人を損傷させた。
そこで門を開いて出撃し、これを大破した。
黄射はかくて痕迹を絶ち、
二度と侵略してこなかった。
孫権は彼を校尉、蕪湖令とした。
今度は臨城の南部の
阿山の賊を討って功績をあげ
中郎将にうつり、兵士の考査を監督した。
2.
曹公出濡須,從權禦之。魏甞大出橫江,盛與諸將俱赴討。時乘蒙衝,遇迅風,船落敵岸下,諸將恐懼,未有出者,盛獨將兵,上突斫敵,敵披退走,有所傷殺,風止便還,權大壯之。
(訳)
曹公が濡須へ出向すると
孫権に従ってこれを禦いだ。
魏が嘗て横江へ大軍を出撃させた際
徐盛は諸将と倶に討伐に赴いた。
この時、蒙衝に乗っていたが
迅風に遭遇してしまい
船は敵側の岸下へ転落した。
諸将は恐懼し、出ようとする者は
いなかったが、徐盛は獨り
兵を率いて(岸へ)上ると、
敵に突撃して斬り込んだ。
敵が散開し敗走する所を殺傷し
風が止むとすぐに帰還した。
孫権は大変に彼を勇壮なものとみなした。
(註釈)
二張、魯粛、歩騭、諸葛瑾、厳畯など
孫呉の徐州出身者は
文官が多いイメージですが
ついに武官が出てきました。
あとは呂岱とか。
動乱を避けて南遷したが
孫策の代にはまだ仕えてない。
周泰伝には、徐盛(と朱然)が
(周泰に)従わなかったとあるから、
それなりの名門出で
まだ若かったんかも。
蕪湖令の時代に蒋欽の屯吏を
告発した事もあり、
遠慮のない性格というイメージだ。




