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淡々三国志  作者: ンバ
呉書第十、徐盛伝
481/603

一・二、逆境で燃える男

1.

徐盛字文嚮,琅邪莒人也。遭亂,客居吳,以勇氣聞。孫權統事,以爲別部司馬,授兵五百人,守柴桑長,拒黃祖。祖子射,甞率數千人下攻盛。盛時吏士不滿二百,與相拒擊,傷射吏士千餘人。已乃開門出戰,大破之。射遂絕迹不復爲寇。權以爲校尉、蕪湖令。復討臨城南阿山賊有功,徙中郎將,督校兵。

(訳)

徐盛じょせいは字を文嚮ぶんきょう瑯琊ろうや(きょ)県の人である。


動乱に遭遇して呉に客寓し

勇気を以って聞こえた。


孫権が事業を統括すると

彼を別部司馬に任命して

兵五百人を授け、

仮の柴桑さいそうの長として黄祖こうそを拒がせた。


黄祖の子の黄射こうしゃ

嘗て数千人を率いて下り

徐盛を攻めた事があった。


徐盛の当時の吏士は

二百にも満たなかったが、

互いに拒ぎ、攻撃し合って

黄射の吏士千余人を損傷させた。


そこで門を開いて出撃し、これを大破した。


黄射はかくて痕迹を絶ち、

二度と侵略してこなかった。


孫権は彼を校尉、蕪湖ぶこ令とした。


今度は臨城の南部の

阿山の賊を討って功績をあげ

中郎将にうつり、兵士の考査を監督した。


2.

曹公出濡須,從權禦之。魏甞大出橫江,盛與諸將俱赴討。時乘蒙衝,遇迅風,船落敵岸下,諸將恐懼,未有出者,盛獨將兵,上突斫敵,敵披退走,有所傷殺,風止便還,權大壯之。

(訳)

曹公が濡須じゅしゅへ出向すると

孫権に従ってこれをふせいだ。


魏が嘗て横江おうこうへ大軍を出撃させた際

徐盛は諸将と倶に討伐に赴いた。


この時、蒙衝もうしょうに乗っていたが

迅風に遭遇してしまい

船は敵側の岸下へ転落した。

諸将は恐懼し、出ようとする者は

いなかったが、徐盛は獨り

兵を率いて(岸へ)上ると、

敵に突撃して斬り込んだ。


敵が散開し敗走する所を殺傷し

風が止むとすぐに帰還した。

孫権は大変に彼を勇壮なものとみなした。


(註釈)

二張、魯粛ろしゅく歩騭ほしつ諸葛瑾しょかつきん厳畯げんしゅんなど

孫呉の徐州出身者は

文官が多いイメージですが

ついに武官が出てきました。

あとは呂岱りょたいとか。


動乱を避けて南遷したが

孫策の代にはまだ仕えてない。


周泰伝には、徐盛(と朱然しゅぜん)が

(周泰に)従わなかったとあるから、

それなりの名門出で

まだ若かったんかも。


蕪湖令の時代に蒋欽の屯吏を

告発した事もあり、

遠慮のない性格というイメージだ。


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