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淡々三国志  作者: ンバ
呉書第十、凌統伝
478/603

四・註一、合肥の死闘

4.

又從破皖,拜盪寇中郎將,領沛相。與呂蒙等西取三郡,反自益陽,從往合肥,爲右部督。時權徹軍,前部已發,魏將張遼等奄至津北。權使追還前兵,兵去已遠,勢不相及,統率親近三百人陷圍,扶扞權出。敵已毀橋,橋之屬者兩版,權策馬驅馳,統復還戰,左右盡死,身亦被創,所殺數十人,度權已免,乃還。橋敗路絕,統被甲潛行。權旣御船,見之驚喜。統痛親近無反者,悲不自勝。權引袂拭之,謂曰:「公績,亡者已矣,苟使卿在,何患無人?」拜偏將軍,倍給本兵。

(訳)

一方でかんの撃破に従軍して

盪寇とうこう中郎将ちゅうろうしょうに拝され、

はいの相を兼領した。


呂蒙らとともに西の三郡を奪取し

益陽えきようから反転して合肥ごうひへ往き

右都督となった。


時に孫権は軍を撤退させており

前部は已に出発していたが

魏将の張遼ちょうりょうらが

渡しの北まで掩襲(奇襲)に至った。


孫権は帰還させた前兵を追わせたが、

兵は已に遠くまで去っており

勢いが互いに及ばなかったため、

凌統は親近の三百人を率いて囲みを陥し、

孫権をたすふせいで脱出した。


敵は已に橋をこわしており

橋は二枚の板のみで連接していたが、

孫権は馬にむちを入れて馳せ駆けた。


凌統はまた戻って戦うも

左右の者は盡く死んでしまい、

その身にも創を被りながら数十人を殺し、

孫権が已に免れた頃をはかって

そこで帰還した。


橋が破れて退路が絶たれていたため

凌統はよろいを纏ったまま潜行した。


孫権は既に船に御していたが

彼と見えて驚喜した。


凌統は、親近のうちで

帰ってきた者がいない事を痛惜し

悲しみに自ずと堪えられなかった。


孫権は袂を引いてこれを拭い、

こう言った。


公績こうせき、亡くなった者は戻ってこない。

いやしくも卿が健在であるならば

どうして(我が配下に)人がいないと

憂患する事があろうか」


偏将軍に拝され、

本来の倍の兵を支給された。



註1.

吳書曰:統創甚,權遂留統於舟,盡易其衣服。其創賴得卓氏良藥,故得不死。

(訳)

呉書にいう、凌統の創は深く、

孫権はかくて凌統を船に留めて

その衣服を盡くえさせた。


その創は卓氏の良薬を得たため

(治り)死なずにすんだ。


(註釈)

魯粛ろしゅく伝に記述のある

皖城攻めに従い、

沛国の相となった凌統。

沛国は豫州なので孫権領ではない。

孫呉名物、名ばかりの長官。


合肥では張遼ちょうりょう

800人で100000人を相手に

昆陽の光武帝もびっくりの

大立ち回りを演じてのける。

陳武が戦死し、士気はガタ落ち。

撤退を命じた折に

孫権も張遼から奇襲を受けてしまう。


橋が既にぶっ壊されて

板二枚で繋がってる状態だったが

谷利こくりのサポートで孫権の馬が

これを飛び越える事に成功。


更に凌統が奮戦したお陰で

どうにか孫権は逃れられたが

親近者三百人は全滅してしまった。


凌統自身は数十人を倒し

孫権が逃げる時間を稼いでから

鎧を着たまま泳いで逃げた。

相当なダメージを負ってるだろうに

恐ろしいバイタリティである。

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