四・五、碇断つ壮士/嵐の夜に
4.
建安十三年,權討黃祖。祖橫兩蒙衝挾守沔口,以栟閭大紲繫石爲矴,上有千人,以弩交射,飛矢雨下,軍不得前。襲與凌統俱爲前部,各將敢死百人,人被兩鎧,乘大舸船,突入蒙衝裏。襲身以刀斷兩紲,蒙衝乃橫流,大兵遂進。祖便開門走,兵追斬之。明日大會,權舉觴屬襲曰:「今日之會,斷紲之功也。」
(訳)
建安十三年(208)、
孫権が黄祖を征討した。
黄祖は二隻の蒙衝を横に並べ
挟んで沔口を守衛した。
棕櫚(の褐色の毛)からできた大きな紲を
石に繋いで碇とし、上に千人を配置して
弩を乱射させたため
飛箭が雨の如くに降ってきて
軍は進めなくなってしまった。
董襲は凌統と倶に先鋒となり、
それぞれ決死隊百人を率いて
人員には二枚の鎧を纏わせると、
大きな舸船に乗って
蒙衝の裏から突入した。
董襲は躬ら刀を以て
二本の紲を切断したため
蒙衝はかくて欲しいままに
流れていってしまい、
(孫権側の)大軍がとうとう前進した。
黄祖はすぐに門を開いて逃げたが
兵が追撃してこれを斬った。
翌日に大宴会が催され、
孫権は觴を挙げて董襲にたくすと
こう言った。
「今日の会(を開けたの)は、
紲を切断した功績(が有ったため)である」
5.
曹公出濡須,襲從權赴之,使襲督五樓船住濡須口。夜卒暴風,五樓船傾覆,左右散走舸,乞使襲出。襲怒曰:「受將軍任,在此備賊,何等委去也,敢復言此者斬!」於是莫敢干。其夜船敗,襲死。權改服臨殯,供給甚厚。
(訳)
曹公が濡須に出向すると
董襲は孫権に従ってこれに赴き、
董襲に五隻の樓船を監督させて
濡須口へと向かわせた。
夜に怱卒と暴風が起こり
五隻の樓船が傾覆したため、
左右の者は走舸を散らして
董襲に脱出するよう乞うたが、
董襲は怒って言った。
「将軍の任を受け、此処に在って
賊に備えているというのに
どうして委棄して逃げ去ったりできよう。
敢えてこのような事を
再び言おうとした者は斬る!」
こうして、敢えて逆らおうとする者はなくなり
その夜に船は敗れ、董襲は死んだ。
孫権は服を改めてもがりに臨み、
供給は甚だ暑かった。
(註釈)
綱を切断して苦境を打開するのかっけぇ。
嵐の中で撤退を肯じないのもかっけぇ。
・戦闘 ★★★★★★ 6
・戦略 ★★★★★ 5
・内政 ★★★★★ 5
・人格 ★★★★★ 5
黄竜羅とか周勃とか彭虎とか
敵の名前がハッキリしてるので
イメージがいい。
実は孫策の信頼がめちゃくちゃ厚い
人だったのかも。
この後は甘寧伝でしたが
もうすでにやったので
次は凌統伝。




