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淡々三国志  作者: ンバ
呉書第十、董襲伝
473/603

一・註一、餘姚の勇者

1.

董襲字元代,會稽餘姚人,長八尺,武力過人。孫策入郡,襲迎於高遷亭,策見而偉之,到署門下賊曹。時山陰宿賊黃龍羅、周勃聚黨數千人,策自出討,襲身斬羅、勃首,還拜別部司馬,授兵數千,遷揚武都尉。從策攻皖,又討劉勳於尋陽,伐黃祖於江夏。

(訳)


董襲とうしゅうは字を元代げんだい会稽かいけい餘姚(よよう)県の人である。

身長は八尺で、武力は

人に過ぎたるものがあった。


孫策が(会稽)郡へ入ると

董襲は高遷亭こうせんていに迎え入れた。

孫策は会見してみて

彼を魁偉なものと見なし、

(役府に)到ると門下賊曹もんかぞくそうに署した。


時に、山陰の古くからの賊徒である

黄竜羅こうりゅうら周勃しゅうぼつが徒党数千人を集めており、

孫策は自ら討伐に乗り出した。

董襲は躬ら黄竜羅・周勃の首を斬り、

帰還すると別部司馬に拝されて

兵数千を授かり、揚武ようぶ都尉といに遷った。


孫策の皖城攻めに従い、

また、劉勲りゅうくん尋陽じんように討ち、

黄祖こうそ江夏こうかに伐った。


註1.

謝承後漢書稱襲志節慷慨,武毅猛烈。

(訳)

謝承の後漢書では

董襲は志節慷慨、武毅猛烈

と称えられている。


(註釈)

董襲は虞翻と出身県が同じ。

孫策の会稽征伐の際に傘下に加わる。


演義の陳武は背が縮んじゃったけど

董襲は身の丈八尺の巨漢のまま。

逃亡した厳白虎の首を持って

孫策軍に加わる、顔と口の大きな男。

というふうに描写されている。


初期の孫策陣営は、戦功立てたら

「とりあえず別部司馬にしとけ」

感がものすごい。

まだ袁術の手下の

新興軍閥でしかないからね。


山陰の名前負けしてる山賊を破り

劉勲や黄祖と戦った。


謝承しゃしょうは最古の後漢書を著したとされる

孫呉の歴史家。

晋書八十二巻に出てくる謝沈しゃしん

後漢書百巻を著したって書いてあるが、

一族間で継続して編纂したのかな。

現代では佚書となっており

断片が拾えるのみ。


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