三・四、対蜀魏
3.
後權破關羽,欲進圖蜀,拜泰漢中太守、奮威將軍,封陵陽侯。黃武中卒。
(訳)
その後、孫権が関羽を破り
進軍して蜀を図らんとすると
周泰は拝されて漢中太守、奮威将軍となり
陵陽侯に封じられた。
黄武年間(222〜229)に卒した。
4.
子邵以騎都尉領兵。曹仁出濡須,戰有功,又從攻破曹休,進位裨將軍,黃龍二年卒。弟承領兵襲侯。
(訳)
子の周邵を騎都尉として兵を統領させた。
曹仁が濡須へ出向すると戦い、
功績をあげた。
また、従軍して曹休を攻め破り
裨将軍の位に昇進した。
黄竜二年(230)に卒した。
弟の周承が兵を統領し侯爵を襲いだ。
(註釈)
関羽を破ると、漢中太守。
漢中は揚州からだいぶ遠いので
名ばかりの太守の座。
韓当同様、そっちの方は期待されてない。
・戦闘 ★★★★★★★ 7
目の前に迫る山賊の凶刃から
ティーンの孫権を守り抜いた剛の者。
孫権に傷の由来を尋ねられたときに
「全部あの時の山賊に受けた傷です」
とは言ってないので、
黄祖、曹操、曹仁らとの戦でも
傷を受けながら必死に戦ったんだろう。
・戦略 ★★★★★ 5
特に加点要素はない。
・内政 ★★★★ 4
韓当と同じ理由でマイナス1。
・人格 ★★★★★★ 6
当時15歳くらいの孫権から愛された、
とあるから20も30も年上ではなさげ。
頼り甲斐があって
余計な事を言わないお兄さんだったのかな。
次は陳武伝。




