三・四、蛮夷の乱に斃る
3.
凱威恩內著,為郡中所信,故能全其節。
(訳)
呂凱の威風と恩恵は内に顕著であり
郡中から信頼されていたため
その節義を全うできた。
4.
及丞相亮南征討闓,既發在道,而闓已為高定部曲所殺。亮至南,上表曰:「永昌郡吏呂凱、府丞王伉等,執忠絕域,十有餘年,雍闓、高定逼其東北,而凱等守義不與交通。臣不意永昌風俗敦直乃爾!」以凱為雲南太守,封陽遷亭侯,會為叛夷所害,子祥嗣。而王伉亦封亭侯,為永昌太守。
(訳)
丞相の諸葛亮が南征して
雍闓を討伐するに及び、
進発して途上にあった際に
雍闓は高定の部曲に殺される所となった。
諸葛亮は南方へ至ると、上奏して言った。
「永昌郡の吏人である呂凱、
府丞の王伉らは、絶域に
忠義を執りて十余年、
雍闓・高定がその東北部へ逼迫するも
呂凱らは義を守りて
ともに通好を交えませんでした。
臣は、永昌の風俗がここまで
敦煌で廉直であるとは
思いもいたしませんでした!」
呂凱は雲南太守となり
陽遷亭侯に封じられたが、
ちょうど夷狄が叛逆を為し
殺害される所となった。
子の呂祥が嗣いだ。
王伉もまた亭侯に封じられ
永昌太守となった。
註2.
蜀世譜曰:呂祥後為晉南夷校尉,祥子及孫世為永昌太守。李雄破寧州,諸呂不肯附,舉郡固守。王伉等亦守正節。
(訳)
蜀世譜にいう、
呂祥はその後、晋の南夷校尉となり、
呂祥の子及び孫は永昌太守となった。
李雄が寧州を破ると、
呂氏らは懐附する事を肯じず
郡を挙げて固守した。
王伉らもまた正しい節義を守った。
(註釈)
諸葛亮にほめられたけど
結局再度反乱が起きて
殺されてしまった。
呂凱評価
戦闘 ★★★★ 4
戦略 ★★★★★ 5
内政 ★★★★★ 5
人格 ★★★★★★ 6
王伉は生き残ってるんだけど
呂凱は武官適正はなかったのかな。
次は馬忠伝です。




