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淡々三国志  作者: ンバ
蜀書第十三、呂凱伝
441/603

三・四、蛮夷の乱に斃る

3.

凱威恩內著,為郡中所信,故能全其節。


(訳)

呂凱の威風と恩恵は内に顕著であり

郡中から信頼されていたため

その節義を全うできた。


4.

及丞相亮南征討闓,既發在道,而闓已為高定部曲所殺。亮至南,上表曰:「永昌郡吏呂凱、府丞王伉等,執忠絕域,十有餘年,雍闓、高定逼其東北,而凱等守義不與交通。臣不意永昌風俗敦直乃爾!」以凱為雲南太守,封陽遷亭侯,會為叛夷所害,子祥嗣。而王伉亦封亭侯,為永昌太守。


(訳)

丞相の諸葛亮しょかつりょうが南征して

雍闓を討伐するに及び、

進発して途上にあった際に

雍闓は高定の部曲に殺される所となった。


諸葛亮は南方へ至ると、上奏して言った。


「永昌郡の吏人である呂凱、

府丞の王伉らは、絶域に

忠義を執りて十余年、

雍闓・高定がその東北部へ逼迫するも

呂凱らは義を守りて

ともに通好を交えませんでした。


臣は、永昌の風俗がここまで

敦煌で廉直であるとは

思いもいたしませんでした!」


呂凱は雲南うんなん太守となり

陽遷ようせん亭侯に封じられたが、

ちょうど夷狄が叛逆を為し

殺害される所となった。


子の呂祥りょうしょうが嗣いだ。


王伉もまた亭侯に封じられ

永昌太守となった。



註2.

蜀世譜曰:呂祥後為晉南夷校尉,祥子及孫世為永昌太守。李雄破寧州,諸呂不肯附,舉郡固守。王伉等亦守正節。


(訳)

蜀世譜にいう、

呂祥はその後、晋の南夷校尉となり、

呂祥の子及び孫は永昌太守となった。


李雄りゆうが寧州を破ると、

呂氏らは懐附する事を肯じず

郡を挙げて固守した。


王伉らもまた正しい節義を守った。



(註釈)

諸葛亮にほめられたけど

結局再度反乱が起きて

殺されてしまった。


呂凱評価


戦闘 ★★★★ 4


戦略 ★★★★★ 5


内政 ★★★★★ 5


人格 ★★★★★★ 6


王伉は生き残ってるんだけど

呂凱は武官適正はなかったのかな。


次は馬忠ばちゅう伝です。


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