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淡々三国志  作者: ンバ
蜀書第十三、李恢伝
438/603

三、凶類撲滅

3.

南土平定,恢軍功居多。封漢興亭侯,加安漢將軍。後軍還,南夷復叛,殺害守將。恢身往撲討,鋤盡惡類,徙其豪帥於成都,賦出叟、濮耕牛戰馬金銀犀革,充繼軍資,於時費用不乏。建興七年,以交州屬吳,解恢刺史。更領建寧太守,以還居本郡。徙居漢中,九年卒。子遺嗣,恢弟子球,羽林右部督,隨諸葛瞻拒鄧艾,臨陣授命,死於綿竹。

(訳)

南方の地が平定されると

李恢の軍功が多大であったため

漢興かんこう亭侯に封じられ、安漢あんかん将軍を加えられた。


その後、軍が帰還すると

南方の夷狄が再び叛いて

守将を殺害した。


李恢は躬ら討伐に向かい

凶悪なやからを根絶して

その豪帥を成都へ移すと、

そうぼくに耕牛や軍馬、

金・銀・犀のかわを貢賦として供出させて

軍資に充てがったため、

当時に於いて費用が空乏する事はなかった。


建興七年(229)、

交州が呉に帰属した事から

李恢は刺史を解任となった。

改めて建寧けんねい太守を拝領し

帰還して本郡に居した。


九年(231)に卒した。


子の李遺りいが嗣いだ。


李恢の弟の子の李球りきゅう

羽林右部督うりんうぶとくであった。

諸葛瞻に隨って鄧艾を拒ぎ

陣に臨んで命を捧げ、綿竹にて死んだ。


(註釈)

また反乱が起きたけどこれも平定した。


叟も濮も異民族っぽいニュアンス。

叟は氐羌の系統で、

濮は濮水流域に住んでるから濮人?


サイの皮など、珍品を朝貢させた。


かくて南征で懐の潤った蜀軍は

北伐に移っていくという流れかな。


263年に蜀平定の戦役が起こると

甥の李球は命を賭して戦った。


筑摩訳だと「弟の李球」になってるけど

「弟の子の李球」だと思われる。


李恢の死後32年経ってるのに

弟が生きてるのも変だもんね。



李恢評価。


・戦闘 ★★★★★★ 6


建寧の反乱を鮮やかに平定。


・戦略 ★★★★★★★ 7


劉備の入蜀が成功するの見越して

早めに帰順。


当時をときめく馬超を

味方につける事にも成功。


劉備死後の反乱分子との戦では

建寧に帰りたか……

ウッソピョーン!

で、四面楚歌からの逆王手。


伊達に劉備から節を与えられてない。



・内政 ★★★★★★ 6


ほぼ寧州刺史扱いの庲降都督。


叟、濮に朝貢させて

国庫を潤わせた点は

治績をあげてるのとは

微妙に別ベクトルと考え

戦略方面に加点した。



・人格 ★★★★★ 5


人柄に対しての称賛はなかった。

ただ、おばの夫は

董和が遠慮するくらい

建寧だとかなりの名門出らしい。


誣告された時に

劉備が潔白証明してるくさいので

目上には割に好かれるたち。


続いて呂凱伝。

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