六、無二の術
6.
黃武五年,范病卒。長子先死,少子尚幼,於是業絕。權追思之,募三州有能舉知術數如吳范、趙達者,封千戶侯,卒無所得。
(訳)
黄武五年(226)、呉範は病で卒した。
長子は先んじて死んでおり
少子はまだ幼かったため
(少子の呉尚が幼かったため?)
こうして(呉範の占いの)事業は廃絶した。
孫権はこれを追思して
三州(揚州・荊州・交州)のうちで
呉範や趙達の如くに
術数を承知している者を
推挙できる者があれば募り、
千戸侯に封じるものとしたが、
ついに得ることはできなかった。
註3.
吴录曰:范先知其死日,谓权曰:“陛下某日当丧军师。”权曰:“吾无军师,焉得丧之?”范曰:“陛下出军临敌,须臣言而后行,臣乃陛下之军师也。”至其日果卒。臣松之案,范死时,权未称帝,此云陛下,非也。
(訳)
呉録にいう、
呉範は先んじてその命日を知ると
孫権に対して謂った。
「陛下は某日に
軍師を喪う事になりましょう」
孫権は言った。
「吾に軍師はおらぬのに
どうしてこれを喪い得ようか?」
呉範は言った。
「陛下が軍を出して敵に臨まれる際
臣は須く進言し、その後に
行動(に移)されました。
臣は乃ち、陛下の軍師なのでございます」
その日に至ると
果たせるかな、卒してしまった。
わたくし松之が勘案するに
呉範が死んだ時には
孫権まだ称帝しておらず、
こうして「陛下」と云うのは
間違っている。
(註釈)
呉範が亡くなったのは226年、
孫権が皇帝に即位するのは229年です。
呉範評価。
戦闘 ★★★★ 4
戦略 ★★★★★★ 6
内政 ★★★★★ 5
人格 ★★★★★★ 6
魏滕を救うシーンかっこよかったなぁ
(小並感
続いて劉惇伝。




