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淡々三国志  作者: ンバ
魏書第九、夏侯惇伝
416/603

一・註一、人質の夏侯惇です/合撃復旧

夏侯惇といえば

隻眼の名将というイメージですが

さて、正史ではどんな感じ

なのでしょうか。

1.

夏侯惇字元讓,沛國譙人,夏侯嬰之後也。年十四,就師學,人有辱其師者,惇殺之,由是以烈氣聞。太祖初起,惇常爲裨將,從征伐。太祖行奮武將軍,以惇爲司馬,别屯白馬,遷折衝校尉,領東郡太守。太祖征陶謙,留惇守濮陽。張邈叛,迎吕布,太祖家在鄄城,惇輕車往赴,適與布會,交戰。布退還,遂入濮陽,襲得惇軍輜重。遣將僞降,共執持惇,責以寶貨,惇軍中震恐。惇將韓浩乃勒兵屯惇營門,召軍吏諸將,皆案甲當部不得動,諸營乃定。遂詣惇所,叱持質者曰:「汝等凶逆,乃敢執劫大將軍,復欲望生邪!且吾受命討賊,寧能以一將軍之故,而縱汝乎?」因涕泣謂惇曰:「當奈國法何!」促召兵擊持質者。持質者惶遽叩头,言「我但欲乞資用去耳!」浩數責,皆斬之。惇既免,太祖聞之,謂浩曰:「卿此可爲萬世法。」乃著令,自今已後有持質者,皆當并擊,勿顧質。由是劫質者遂絕。

(訳)

夏侯惇かこうとんは字を元譲げんじょう、沛国譙県の人で

夏侯嬰かこうえいの後裔である。


年十四で師に就いて学んだが、

その師を辱める者があり、

夏侯惇はこれを殺した事に由り

烈しい気性を以って

聞こえる事になった。


太祖(曹操)が挙兵した当初、

夏侯惇は常に裨将となって

征伐に従っていた。


太祖が奮武将軍を代行すると

夏侯惇は司馬となり

別働隊として白馬はくばに駐屯、

折衝せっしょう校尉に遷り、

東郡とうぐん太守を拝領した。


太祖が陶謙を征伐すると

夏侯惇を濮陽ぼくように留めて守らせた。


張邈が叛いて呂布を迎えた時

太祖の家族は鄄城におり、

夏侯惇は軽車(軽装の軍?)

で迎えに行ったが

ちょうど呂布と出くわし、交戦した。


呂布は退却、帰還して

かくて濮陽へと入り、

奇襲して夏侯惇軍の輜重を得た。


(呂布は)将に偽って投降させて

共に夏侯惇を捕え、

宝貨を求めたので、

夏侯惇の軍中は震え上がった。


夏侯惇の部将である韓浩が

そこで兵を勒えて

夏侯惇の陣営の門に駐屯し、

軍吏・諸将を召して

皆によろいを解かせ、

部署に割り当てて動けぬようにさせ

諸陣営をかくて安定させた。


遂には夏侯惇の所を詣でて

(夏侯惇を)人質として

捕えている者を呵叱して述べた。


「汝等凶逆が敢えて

大将軍を捕え、脅かしながら

また生を望もうというのか!


ましてや吾は

賊を討伐する命を受けており

どうして一将軍のために

汝等を野放しに出来ようか!」


そこで(韓浩は)涕泣して夏侯惇に言った。


「国法なので、如何ともできませぬ!」


兵に召し取るように促して

(夏侯惇を)人質として捕えている者を

攻撃させた。


人質として捕えていた者たちは

惶遽し、叩頭して言った。


「我々は、ただ資用を乞うて

去ろうとしただけなのでございます!」


韓浩は幾度も責譲し、

彼ら全員を斬った。


夏侯惇が免れた後、

太祖はこれを聞いて、韓浩に言った。


「卿のこうしたやり方は

萬世の法とすべきじゃな」


かくて法令として、これ以降は

「人質を取る者があれば

皆併せて攻撃し、

人質を顧みないように」

と著されたため、

人質を取って脅迫してくる者は

遂に絶えたのであった。


(註釈)

夏侯惇は、

劉邦りゅうほうの配下、夏侯嬰かこうえいの末裔。


彭城の戦いで漢軍が楚軍に

けちょんけちょんにやられた時、

劉邦は子供たちを馬車から

振り落としてでも逃げようとしたが

夏侯嬰はそれをキャッチして

馬車に戻してあげたんよね。3回も。


「漢書」夏侯嬰伝によると

「傳至曾孫頗,尚平陽公主,坐與父御婢奸,自殺,國除」


曾孫の夏侯頗かこうは

平陽公主を娶ったが

父親の婢女と不倫したために自殺、

国を除かれてしまった。


そんな経緯もあってか

光武帝の時代では

夏侯嬰の子孫が活躍する事は

特になかった。


後漢の末期、夏侯嵩かこうすう

宦官の曹騰そうとうの養子となり

曹操が生まれた。

(曹瞞伝)


演義でも曹操と夏侯惇は

親戚という事になってますが、

逆に言うと、曹瞞伝以外に

曹操と夏侯惇が縁族とする

根拠はありません。

どっちに考えてもいいと思います。


ちなみに宦官の曹節そうせつ

姓が同じなだけで

曹操の家系とは全然繋がりがない。


夏侯惇は14歳のとき

師匠を侮辱した奴を殺した。

これも演義の5回で、夏侯惇が

初登場したときに挿話されてたね。

原文だと「学んだ」と書かれてるだけだけど

演義は武術の師匠だった事にしている。

夏侯惇は武将として活躍させる気満々。


演義はその後

曹操が董卓討伐の檄文出すまで

ずっと隠れてた事になってたけど

さすがに長すぎる気がする。


曹操が挙兵すると

夏侯惇がいつも副将として

付き従った。


初平元年(190)、

諸侯が董卓とうたく討伐に立ち上がると

曹操は行奮武将軍(代行?)となる。

夏侯惇は司馬として白馬はくばに駐屯。

折衝せっしょう校尉に遷り、東郡とうぐん太守。


これ見てる感じだと

夏侯惇は初期の初期から曹操の片腕で

夏侯淵かこうえん曹仁そうじんと同列には論じられない。


反董卓諸侯が身銭を切るのを嫌がって

誰も進軍しない中、曹操は

果敢に董卓軍にいどむ。

しかし、徐栄じょえいの前に大敗を喫した。


兵を失ってしまった曹操は、

そこで、夏侯惇とともに

揚州の丹楊たんよう郡まで募兵に向かった。

揚州刺史の陳温ちんおん、丹楊太守の周昕しゅうきん

四千人余りを与えたが

帰りがけに龍亢りゅうこうへ至った際に

士卒の多くが叛いてしまった。

(武帝紀)


董卓に負け、募兵も失敗して

踏んだり蹴ったりの曹操だったが、

その後、黒山こくざん于毒うどくらを破り、

青州黄巾を吸収してパワーアップ。

袁紹えんしょうと共闘して袁術えんじゅつ組を蹴散らす。


曹操が徐州の陶謙とうけんを征伐すると

夏侯惇・荀彧じゅんいく程昱ていいくらが留守番として

えん州を守る事に。


ここで、陳宮ちんきゅう張邈ちょうばく

呂布りょふを招いて反乱を起こし、

鄄城けんじょう東阿とうあはんの三城以外の拠点が

張邈に寝返ってしまうという非常事態に。


濮陽ぼくようを守っていた夏侯惇は

鄄城まで曹操の家族の保護に向かい

その途上で呂布に遭遇、交戦するも

縄目を受け、人質になってしまう。


「金目のものを寄越さんかい!

こいつがどうなってもいいのか!」


というテンプレ要求に対し、

部将の韓浩かんこうが周りを督励して

「殺せるもんなら殺してみやがれぁ!!

将軍すみません、国法ですから

見捨てざるを得ないです!」

というスタンスを取ったので

呂布軍は慌てて縄を解いた。


曹操は韓浩をほめて、

「以降、人質を取る奴が出ても

人質を気にせず攻撃しなさい」

という法令を出したのであった。


これじゃ夏侯惇伝じゃなくて韓浩伝やん。


註1.

孫盛曰:案光武紀,建武九年,盜劫陰貴人母弟,吏以不得拘質迫盜,盜遂殺之也。然則合擊者,乃古制也。自安、順已降,政教陵遲,劫質不避王公,而有司莫能遵奉國憲者,浩始復斬之,故魏武嘉焉。


(訳)

孫盛はいう、

「光武紀」を勘案するに

建武九年(33)、盗人が

陰貴人(陰麗華)の母親と弟を脅した際

吏人は人質を拘束し得ずに

盗人に迫り、盗人は遂に

これを殺してしまった。


しかるに、則ち

(人質と犯人を)合わせて撃つとは

古の制度なのである。


安帝・順帝以降、

治政や教化は陵遅し

王公を人質に取って

脅す事が避けられなくなり、

有司で国の憲範を遵奉できる者が

いなくなってしまった。


韓浩がはじめて

(旧制を)復旧して

これを斬ったので

魏武は嘉したのである。


(註釈)

陰麗華いんれいかは光武帝の正妻。


「仕官するなら執金吾しつきんご

妻を娶らば陰麗華」


とは、若き劉秀りゅうしゅうの弁。

仕事はかっこいい制服の執金吾、

嫁さんは美人の陰麗華がいいな。

という、どこか小市民的な目標設定。


政略の都合上(?)、

先に郭聖通かくせいつうを正后に立てたから

建武十七年に彼女が廃后されるまで

陰麗華は陰貴人て呼ばれてる。


後漢って章帝までで

あとは光武帝の遺徳だけで

もってたようなイメージ。


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