四・註二、趙佗を超えた為政者/死者蘇生
4.
燮兄弟並為列郡,雄長一州,偏在萬里,威尊無上。出入鳴鍾磬,備具威儀,笳簫鼓吹,車騎滿道,胡人夾轂焚燒香者常有數十。妻妾乘輜軿,子弟從兵騎,當時貴重,震服百蠻,尉他不足踰也。武先病沒。
(訳)
士燮の兄弟は揃って列郡(太守)と為り
雄大さは一州に抜きん出て
万里に偏在し、威風や尊崇は
この上なきものであった。
出入の際には鍾磬を鳴らして
威儀を十分に備え、
笳簫(胡人のあしぶえ)を鼓吹して
車騎は道に満ち、
胡人で挟んで車を押し
焼香する者が常に数十人有った。
妻妾は輜軿(屏風のついた車)に乗り
子弟は兵騎を従え、
当時に貴び重んじられて
百蛮を震撼、帰服させる事においては
尉他すらも超えるに不足な程であった。
(南海太守の)士武は早くに病没してしまった。
(註釈)
治めるのが難しい筈の土地柄なのに
めちゃくちゃ治まってるし
栄華を極めている士一族。
海に面してる郡全部押さえてるし、
漁業とか海上の交易ルートとかを
一族で独占してるんでしょうな。
交州の長官が死んで
ざわついてる時に、目敏く
儲ける方法考えてたって事だから
やはりただの左氏伝マニアじゃない。
「尉他」は趙佗の事です。
劉邦の時代に南方に割拠して
遂には王を名乗った男。
当時の劉邦は項羽との激闘や
配下の粛清、匈奴との戦闘なんかで
とても南越まで攻め込める状況ではなく
趙佗の地位を正式に認めました。
要は自治区認定ね。
趙佗は法と武力で抑えてたぽいけど
士燮は厄介な蛮族たちを
恩徳で懐柔してる感じだから凄い。
そして、この二人(趙佗・士燮)は
とても寿命が長いという共通点があります。
士燮は長い年月をかけて
教科書載るレベルの莫大な利益をあげたのだ。
註2.
葛洪神仙传曰:燮尝病死,已三日,仙人董奉以一丸药与服,以水含之,捧其头摇(捎)之,食顷,即开目动手,颜色渐复,半日能起坐,四日复能语,遂复常。奉字君异,侯官人也。
(訳)
葛洪の神仙伝にいう、
士燮が嘗て病死して
三日が過ぎたとき、仙人の董奉が
一丸の薬を与えて服用させ
水によってこれを含ませると
その頭を抱え、
これを揺らして飲み込ませた。
ややあって目は開いて手は動き
顔色も次第に元通りとなり、
半日後には起きたり座ったり
できるようになり、
四日後には語れるようになって
とうとう正常に戻ってしまった。
董奉は字を君异、侯官の人である。
(註釈)
葛洪ナレフ。仙薬とか蘇生とか
さかんにいってますが、
死人が生き返るなんてありませんよ。
ファンタジーやメルヘンじゃあ
ないんですから。
孫策伝の註にあった
于吉まわりの逸話も
こんな感じだった。
実際当時の90歳って
人間でない事を疑うレベルの長寿だから
こーゆー噂くらいは
持ち上がっても仕方ない所はあるよね。




