註三、紛紜を一蹴
註3.
江表传曰:策初遣慈,议者纷纭,谓慈未可信,或云与华子鱼州里,恐留彼为筹策,或疑慈西讬黄祖,假路还北,多言遣之非计。策曰:“诸君语皆非也,孤断之详矣。太史子义虽气勇有胆烈,然非纵横之人。其心有士谟,志经道义,贵重然诺,一以意许知己,死亡不相负,诸君勿复忧也。”慈从豫章还,议者乃始服。慈见策曰:“华子鱼良德也,然非筹略才,无他方规,自守而已。又丹杨僮芝自擅庐陵,诈言被诏书为太守。鄱阳民帅别立宗部,阻兵守界,不受子鱼所遣长吏,言‘我以别立郡,须汉遣真太守来,当迎之耳’。子鱼不但不能谐庐陵、鄱阳,近自海昬有上缭壁,有五六千家相结聚作宗伍,惟输租布於郡耳,发召一人遂不可得,子鱼亦睹视之而已。”策拊掌大笑,(仍)有兼并之志矣。顷之,遂定豫章。
(訳)
江表伝にいう、
孫策が太史慈を遣わした当初は
意見が紛紜しており
太史慈はいまだ
信じるべきでない、と謂われていた。
(太史慈は)
華子魚(華歆)と同郷であるから
恐らくは彼方に留まって
策謀を為すだろうと云う者もあれば、
太史慈は西方の黄祖に身を託し
経路を偽って北へ帰るのではと
猜疑する者もおり、
多くの者が、彼を派遣した事は
失策であると述べていた。
孫策は言った。
「諸君の語る所は、みな間違いである。
孤は、断じてそれを詳らかにしてやろう。
太史子義は
勇ましき気力と烈しき胆力を
有していると雖も、縦横の人ではない。
その心には烈士としての謀が有り、
志は道義を経としていて、
応諾した事については重く貴び、
一たび知己として気を許したならば、
死んだとしても相負かぬ。
諸君はもう怵惕(ビビる)する事のなきように」
太史慈が豫章から帰還するに从って
(あれこれと)議論していた者も
そこで初めて帰服したのであった。
太史慈は孫策に見えて言った。
「華子魚は良徳の者にございます。
しかるに籌略の才はなく、
これといった方規もなしに
自守しておるだけでした。
また、丹楊の僮芝が
自ら廬陵を独擅しており
詔書を被りて太守となったのだと
詐りを申しております。
鄱陽の民の統帥は
別に宗部(宗教団体)を立てて
兵を阻み、界域を守っており、
華子魚の遣わした長吏を受け入れずに
『我らは別に郡を立てた。
漢が真の太守を寄越したならば
これを迎え入れよう』と
言っておりました。
子魚はただ廬陵・鄱陽を
安定させられぬばかりか、
近郊の海昬に有る上繚壁には
五、六千の家が相結集して
宗伍(宗部と大体同じ意)を作しており
ただ郡には租布(年貢の布)
を輸送しているのみで、
徴発をしても、遂には一人も得られず、
子魚もまた傍観しているだけでした」
孫策は手を叩いて大笑いすると、
そこで(豫章)兼併の意思を
有したのであった。
しばらくして、結局豫章は平定された。
(註釈)
太史慈が孫策の味方になるとこに
註釈が集中してる。
一人の群雄が、直接対決を経て
仲間になるというアツいシーンだから
話を盛りたくなるの、超わかる。
劉繇、華歆、太史慈。
全員青州の人間のはずなのに
揚州に割拠してるのがおもしろいな。




