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淡々三国志  作者: ンバ
魏書第二十一、王粲伝
373/603

註三・四、王粲の計/玉珮復活

註3.

文士傳載粲説琮曰:「僕有愚計,願進之於將軍,可乎?」琮曰:「吾所願聞也。」粲曰:「天下大亂,豪傑並起,在倉卒之際,彊弱未分,故人各各有心耳。當此之時,家家欲爲帝王,人人欲爲公侯。觀古今之成敗,能先見事機者,則恒受其福。今將軍自度,何如曹公邪?」琮不能對。粲復曰:「如粲所聞,曹公故人傑也。雄略冠時,智謀出世,摧袁氏於官渡,驅孫權於江外,逐劉備於隴右,破烏丸於白登,其餘梟夷蕩定者,往往如神,不可勝計。今日之事,去就可知也。將軍能聽粲計,卷甲倒戈,應天順命,以歸曹公,曹公必重德將軍。保己全宗,長享福祚,垂之後嗣,此萬全之策也。粲遭亂流離,託命此州,蒙將軍父子重顧,敢不盡言!」琮納其言。

臣松之案:孫權自此以前,尚與中國和同,未嘗交兵,何云「驅權於江外」乎?魏武以十三年征荊州,劉備却後數年方入蜀,備身未嘗涉於關、隴。而於征荊州之年,便云逐備於隴右,旣已乖錯;又白登在平城,亦魏武所不經,北征烏丸,與白登永不相豫。以此知張隲假偽之辭,而不覺其虛之自露也。凡隲虛偽妄作,不可覆疏,如此類者,不可勝紀。


(訳)

文士ぶんし伝には、

王粲から劉琮りゅうそうへの説諭が掲載されている。


いわく、


「僕に愚計がございます。

願わくば将軍に進言致したいのですが

よろしいでしょうか?」


劉琮は述べた。


「吾も聞きたいと思っていた」


王粲は述べた。


「天下は大いに乱れ、豪傑が蜂起しており

倉卒の際にありて(すぐ状況変わる)

強弱がわかりかねるために

人々は各々思惑を抱いているのです。


この時勢に当たり、

家々は帝王にならんとしており

人々は公侯にならんとしています。


古今の成功と失敗を観察しますに

先んじて事業の機会を見通せた者は

則ちつねにその福音を受けてきました。


今、将軍が自らを度られますに

曹公とは如何ですかな」


劉琮は答えられなかった。


王粲はまた言った。


「粲の聞くところでは曹公は人傑です。

雄略は当代に冠たり、智謀は世に抜きん出、

袁氏を官渡に挫き、

孫権を江外へ、劉備を隴右へ駆逐し、

烏丸を白登にて破り、

その他も誅戮・平定され

往々として神の如く、

勝ち星は数え切れませぬ。


今日の事態、去就もわかろうというもの。


将軍がわたしの計略を

お聴き入れくださって

甲をしまい、戈を逆さにして

(戦いをやめて)

天命に順応して曹公に帰順なされば

曹公は必ずや将軍を

立派なものとして重んじられます。


自己を保たれ宗族を全うなさり

長久の福祚(幸い)を享受され

後嗣へとこれを垂下する事、

これぞ万全の策にございます。


粲は擾乱に遭遇して流離い、

この州に命を託し、

将軍父子から重い恩顧を蒙り

敢えて言葉を尽くさぬ訳には参りませぬ」


劉琮はその進言を納れた。


わたくし松之が勘案するに、

孫権はこれより以前、

なお中国(中原)と和同しており

いまだかつて兵を交えた事がないのに

どうして「孫権を江外に駆逐し…」

と云っているのだろうか?


魏武(曹操)は

十三年(208)に荊州へ征き、

劉備は退却したのち数年して

やっと蜀へと入ったのであり、

劉備自身はいまだかつて

関中かんちゅう隴右ろうゆうを渉った事はない。


しかるに荊州を征伐した年に

「劉備を隴右に逐いやり…」

と云っているのは、

前後が錯乱してしまっている。


また、白登はくと平城へいじょうにあり、

やはり魏武は経由などしておらず、

北に烏丸うがんを征伐したといっても

白登とは遠く、互いに関与していない。


この事から、張隲ちょうしつ(文士伝の作者)が

虚偽の言辞を間に合わせて、

そういった虚構を自ら露呈している事に

気付いていなかったのだろう。


およそ張隲の虚偽・妄作でたらめ

その都度言及する事はできず、

かくの如き類のものは数え切れない。



註4.

摯虞決疑要注曰:漢末喪亂,絶無玉珮。魏侍中王粲識舊珮,始復作之。今之玉珮,受法於粲也。


(訳)

摯虞しぐの決疑要注にいう、

漢末の喪亂で玉珮ぎょくはいが完全になくなってしまった。


魏の侍中・王粲が

旧くからの珮について識っており

初めてこれを復元した。


今の玉珮は、

王粲の手法を受け継いだものである。


(註釈)

劉表の遺児に降伏をすすめている。

やつがれ」や「それがし」や「わらわ」は本来

へりくだった一人称です。


曹操いわく、

「袁紹と劉表の子は豚のエサ」だっけ。

「犬のクソ」だっけ。


とにかくボロクソに

けなしてたのが印象的です。


そして相変わらず裴松之先生は辛口だぜ。


デタラメ記事に突っ込むときは

「作者○○のこーゆー誤謬は

数え切れない」って感じでシメるよね。

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