註二・註三、劉徹と劉備の得失
註2.
臣松之以為漢武用虛罔之言,滅李陵之家,劉主拒憲司所執,宥黃權之室,二主得失縣邈遠矣。詩云「樂只君子,保艾爾後」,其劉主之謂也。
(訳)
わたくし松之の意見、
前漢の武帝(劉徹)は
虚罔の言を用いて
李陵の家族を滅ぼした。
劉主(劉備)は憲司の執る所を拒んで
黄権の質(妻)を宥した。
二人の君主が得たものと失ったものは
遼か遠くに懸絶している。
詩経はいっている。
「楽しきかな君子、
爾の後裔を保ち艾わん」
(君主がいい人ならきみの将来安泰だ)
これは、劉主の事を謂っているかのようだ。
(註釈)
前漢の武帝の時代に、
李陵は匈奴の討伐に当たった。
寡兵で力戦したが、力尽きて降伏。
武帝が国内に残された
李陵の家族を殺そうとすると、
司馬遷が李陵を弁護した。
怒った武帝は
司馬遷のチ○コを切ってしまい、
結局李陵の家族はころされた。
それに比べて、
黄権の家族を許した劉備の
なんと度量の広いことよ。
黄権のむすこの黄崇が
蜀滅亡時に果敢に戦い抜くのが
またなんともエモいのです。
劉備はこの時以外にも、
麋芳が呉に寝返った時も
糜竺のこと怒る様子ゼロでした。
自分が何回も勢力鞍替えしてきてるから
人が同じことやっても寛大なのかも。
なんだかんだ言って
劉備は最高にイカした男さ。
註3.
漢魏春秋曰:文帝詔令發喪,權答曰:「臣與劉、葛推誠相信,明臣本志。疑惑未實,請須後問。」
(訳)
漢魏春秋にいう、
文帝(曹丕)は詔を下して
喪を発するよう命じると
黄権は答えて言った。
「臣は劉・葛(劉備、諸葛亮)と
誠心を推して互いに信じ合いまして、
臣の本意は明らかです。
疑惑はまだ事実となっておりませぬ、
どうか後の問を須たせてください」
(註釈)
黄権と諸葛亮って仲良いんすね。
後年、諸葛亮との手紙のやり取りで
「黄公衡は快男児、
いつも諸葛亮さんをほめてるよ」
と、司馬懿が述べています。




