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淡々三国志  作者: ンバ
魏書第十五、梁習伝
334/603

三・註二、梁習と王思

梁習の同僚にして、

疑り深くて、怒りっぽくて

ハエを捕まえられない王思伝です。

(言い方

3.

初,济阴王思與習俱爲西曹令史。思因直日白事,失太祖指。太祖大怒,教召主者,將加重辟。時思近出,習代往對,已被收執矣,思乃驰還,自陳己罪,罪应受死。太祖叹習之不言,思之识分,曰:「何意吾軍中有二義士乎?」後同時擢爲刺史,思领豫州。思亦能吏,然苛碎無大體,官至九卿,封列侯。


(訳)

当初、済陰せいいん王思おうし

梁習と倶に西曹令史せいそうれいしとなっていた。


王思は当直の日に因みて

事(意見)を建白したことで

太祖の意旨を失ってしまった。

(曹操の機嫌を損ねてしまった)


太祖は大いに怒り、

責任者を召し出させて

重罰を加えようとした。


この時王思は近郊に出掛けており

梁習が代わりに応対に向かったが

縄を被る事になってしまった。


王思はそこで馳せ帰り、

自らの罪について陳べ、

罪状は死刑を受けるに相応しいとした。


太祖は、梁習が言い訳をしなかった事と

王思が分を弁えた事に嘆息し、こう言った。


「吾が軍中に二人の義士がおるとは

思わなかったわい」


その後、同時期に抜擢されて州刺史となり

王思は豫州を統領した。


王思もまた能吏であったが、

(治政は)苛酷で煩瑣であり

大礼を弁えていなかった。


官位は九卿に至り、列侯に封じられた。


(註釈)

意を違えたヤツであっても

結局許してあげる曹操は偉いね。



註2.

臣松之以爲習與王思,同寮而已,親非骨肉,義非刎颈,而以身代思,受不测之祸。以之爲義,無乃乖先哲之雅旨乎!史遷云「死有重於太山,有轻於鸿毛」,故君子不爲苟存,不爲苟亡。若使思不引分,主不加恕,則所謂自經於沟渎而莫之知也。習之死義者,豈其然哉!


(訳)

わたくし松之が考えるに、

王思と梁習は同僚ではあったが

骨肉の親しさがあったわけではなく

その義は※刎頚という程ではなかったが、

(※相手のためなら首を刎ねられても本望と

思えるくらいの友情)

躬ら王思の代わりとなって

不測の災難を受ける事になった。


これを以て義と為せば、

先代の聖哲の雅旨と

乖離してしまうのではなかろうか!


太史公たいしこう司馬遷しばせん(史記の著者)は

「死は太山(泰山)よりも重いこともあれば

鴻毛こうもうよりも軽いこともある」

と云っている。


故に君子は苟且かりそめに存亡を為さぬのだ。


もし、王思が引責せず、

主(曹操)が温情を加えていなければ則ち、

「自ら沟渎(こうとく)に(首を)わなきて

これを知る者がいない」

とでも謂う所である。


梁習の道義に死すという行為が

どうして正しきものといえようか!!


(註釈)

美談でもなんでもなかったッッッッ

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