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淡々三国志  作者: ンバ
魏書第十五、司馬朗伝
328/603

註三、孫盛の弁

註3.

魏書曰:文帝善朗论,命秘書录其文。孫盛曰:繇既失之,朗亦未爲得也。昔「汤舉伊尹,而不仁者远矣」。易稱「颜氏之子,其殆庶幾乎!有不善未尝不知,知之未尝復行」。由此而言,圣人之與大賢,行藏道一,舒卷斯同,御世垂風,理無降異;升泰之美,豈俟积世哉?「善人爲邦百年,亦可以胜残去杀」。又曰「不践迹,亦不入于室」。數世之论,其在斯乎!方之大賢,固有間矣。


(訳)

魏書にいう、文帝(曹丕)は

司馬朗の論を善とし

秘書に命じてその文を記録させた。


孫盛は言っている、


鍾繇しょうようはこれ(正解)を失ったが

司馬朗もまた得てはいない。


かつては


『湯王は伊尹いいんを挙げて

不仁なる者を遠ざけた』


と言われており、易では


『※顔氏の子(顔回)は、それ

殆ど庶幾こいねがわんか。


不善有れば、いまかつて知らぬことはなし、

これを知れば未だ嘗てまた行うことはなし』


と云っている。


(※顔回は孔子が求めていた理想像に

限りなく近い存在だった)


こうした言によれば、圣人と大賢者の

行藏(進退)の道は一つであり、

舒卷(伸縮)が斯くも同様であれば

世を御し、風化を垂れるという理に

異なるところはないのである。


美しき泰平を

どうして世代を重ねて俟たねばならぬのか?


『善人が百年邦を為せば

また残酷に勝ち、殺人を

除き去る事ができる』


また


あとまず、また室に入らず』


という。


数世の論、それはここに在ろう!


これを大賢者とならべれば

もとより差があるというものだろう。


(註釈)

孫盛は言い回しが小難しくて苦手。


伊尹て中国の歴史上の人物で

引き合いに出される確率

ナンバーワンじゃないですかね。


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