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淡々三国志  作者: ンバ
魏書第十五、司馬朗伝
324/603

註一、祖父と父

註1.

司馬彪序傳曰:朗祖父雋,字元異,博學好古,倜儻有大度。長八尺三寸,腰帶十圍,儀狀魁岸,與眾有異,鄉黨宗族咸景附焉。位至穎川太守。父防,字建公,性質直公方,雖閑居宴處,威儀不忒。雅好漢書名臣列傳,所諷誦者數十萬言。少仕州郡,歷官洛陽令、京兆尹,以年老轉拜骑都尉。養志閭巷,闔門自守。諸子雖冠成人,不命曰進不敢進,不命曰坐不敢坐,不指有所問不敢言,父子之間わ也。年七十一,建安二十四年終。有子八人,朗最長,次即晉宣皇帝也。


(訳)

司馬彪しばひょうの序伝にいう、

司馬朗の祖父の司馬雋しばしゅんは字を元異げんいといい、

博学にして古典を好み、

倜儻てきとうにして大きな度量を有していた。


身長は八尺三寸(192センチor200センチ)、

腰回りは十囲(115センチor120センチ)、

儀狀(見た目やふるまい)は魁岸で

衆人とは異なっており、郷党・宗族はみな

影のように彼に附随していた。


位は潁川えいせん太守まで至った。


父の司馬防しばぼうは字を建公けんこうといい、

性質は実直にして公正、

閑居、宴席の場においても

威儀をたがえることはなかった。


もとより漢書の名臣列伝を好み、

諷誦(ソラで言える)する所は数十万言であった。


少くして州郡に仕え、洛陽令、

京兆尹といった官職を歴任したが

老年を以て転出し、騎都尉きといに拝された。


閭巷りょこう(民間)にて志を養い

門を閉じて自ら守った。


諸子は冠礼を経て成人となっても

進むなと命じられれば敢えて進まず、

坐るなと命じられれば敢えて坐らず、

指されなければ敢えて言おうとせず、

父子の間は粛然としていた。


年七十一、建安二十四年(219)に臨終した。


子は八人おり、長男が司馬朗、

次男が即ち晋の宣皇帝(司馬懿)である。


(註釈)

おじいちゃんの司馬雋、でけぇ。


「腹回り120センチ」というのは

許褚と同じです。

この場合、ウエストじゃなくて

多分チェストのこと言ってるはず。


190センチ台の身長で

チェスト120センチて、

ほとんどボディビルダーの数値ですよ。


この分なら司馬朗も司馬懿も

185くらいはあったのかも。


そして、親子関係は厳粛なようで

躾とかめっちゃキッチリしてそう。


じいさんが潁川太守やってた関係で

潁川知識人グループとコネがあって

荀彧から司馬懿が推挙されたと。

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