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淡々三国志  作者: ンバ
魏書第十五、劉馥伝
319/603

二、風雲劉馥城

2.

馥旣受命,單馬造合肥空城,建立州治,南懷緒等,皆安集之,貢獻相繼。數年中恩化大行,百姓樂其政,流民越江山而歸者以萬數。於是聚諸生,立學校,廣屯田,興治芍陂及茹陂、七門、吳塘諸堨以溉稻田,官民有畜。又高為城壘,多積木石,編作草苫數千萬枚,益貯魚膏數千斛,為戰守備。


(訳)

劉馥は命を受けると

単騎で合肥ごうひの空城へ向かい、

州の治所を建立して

南方の緒ら(雷緒や陳蘭)を懐柔し

皆を安んじてこれを集めたために

貢献が相次いだ。


数年中に恩沢と教化は大いに行き渡り

百姓はその政治に親しみ

長江や山を越えて帰順してくる流民が

万の数にまで及んだ。


ここにおいて諸生を集めて学校を立(建)て、

広く屯田を行い、

芍陂しゃくは及び茹陂かは七門しちもん呉塘ごとうといった

諸々の堤防を築き、治める事で

稲田を灌漑し、官吏や民衆は蓄えを有した。


一方で城塁を高くし、

木や石を多数積み上げ、

草やとまを数千万枚編作し、

魚膏数千斛を増やし貯えて

防戦の備えとした。


(註釈)

曹操はこの頃袁氏やら

高幹やら烏丸やらの

処理に追われて、とても

揚州を顧みる余裕がなく、

そちらは劉馥に一任してた模様。


官渡から赤壁の8年間で

劉馥は合肥を要塞に変えました。


赤壁のイメージに引きずられがちですが

この頃の孫権は別に

曹操と敵対しようなどとは

考えていないっぽいので、

劉馥に手を出す事もありません。

一応曹操も孫権も漢の臣下です。

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