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淡々三国志  作者: ンバ
魏書第十五、劉馥伝
318/603

一、混乱の揚州へ

今回は魏書第十五、

曹魏の頼れる州刺史、

地方官達をまとめた巻です。


まずは合肥を要塞に変えた劉馥りゅうふく伝。


ちょっと退屈な話が続くやもしれませんが

みてやってください♪

1.

劉馥字元穎,沛國相人也。避亂揚州,建安初,說袁術將戚寄、秦翊,使率衆與俱詣太祖。太祖恱之,司徒辟為掾。後孫策所置廬江太守李述攻殺揚州刺史嚴象,廬江梅乾、雷緒、陳蘭等聚衆數萬在江、淮間,郡縣殘破。太祖方有袁紹之難,謂馥可任以東南之事,遂表為揚州刺史。


(訳)

劉復りゅうふくは字を元潁げんえい沛国はいこく相県しょうけんの人である。


揚州に乱を避け、

建安の初め(196〜)に

袁術の部将の戚寄せきき秦翊しんよくを説いて

衆人を率いさせ、ともに

太祖(曹操)のもとを詣でた。


太祖はこれを悦び、

司徒(府)に招辟して掾とした。


後に、孫策そんさくの置いた

廬江ろこう太守の李述りじゅつ(李術)が

揚州ようしゅう刺史の厳象げんしょうを攻めて殺害した。


廬江の梅乾ばいけん雷緒らいしょ陳蘭ちんらんらが

軍勢数万を集めて江水・淮水の間に在り、

郡県は残破した。


太祖はちょうどこの時

袁紹えんしょうとの兵難の最中にあり、

劉馥になら東南の事業を

委任できると判断し、

かくて上表して彼を揚州刺史とした。


(註釈)

沛国ってことは曹操と同郡の出身、

建安の初めごろなので

荀攸じゅんゆうと同じくらいの時期に

曹操の幕下へ馳せ参じた事になります。


袁術配下の戚寄せきき秦翊しんよく

袁術が呂布りょふ陳登ちんとう

ボコボコにされる直前に離脱しており

実にナイスなタイミングでした。


190年代は

陳温ちんおん(朝廷が任命?)

袁遣えんい(袁紹が任命…刺史じゃなさそう)

陳瑀ちんう(袁術が任命)

劉繇りゅうよう(朝廷が任命)

恵衢けいく(袁術が任命)

厳象げんしょう(曹操が任命)

各陣営の任命した揚州刺史が

代わる代わるに登場します。


孫策(孫権)は役職上は

州刺史ではなく郡太守でした。


放っておくと袁術(孫策)が

江南に根を張ってしまう事を恐れて

揚州へ派遣されたのが

荀彧じゅんいくに推挙された厳象です。


孫権を孝廉に推挙したり

曹家の女子と孫匡とで政略結婚させたり

孫氏の懐柔策に動いた曹操ですが、

孫策の死をきっかけに独立を目指した(??)

廬江ろこう太守の李術りじゅつに、

厳象が殺されてしまいます。


同時期に、袁術軍の残党と思しき

陳蘭ちんらんたちも暴れまわっており、

孫策の後を継いだ孫権はまだまだ

海のものとも山のものとも判断がつかない頃。

揚州は混乱の渦中にありました。


孫策が死んじゃった頃、

曹操はちょうど袁紹とやり合っており

まったく江南の方に目を向けている

余裕がありませんでした。


そこで、厳象の代役として

江南に赴任したのが、この劉馥りゅうふく


合肥のガードが鉄のように堅固なのは

この劉馥と満寵まんちょうの活躍に

よるところが大きいです。

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