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淡々三国志  作者: ンバ
魏書第十八、李典伝
315/603

一・註一、李乾・李整・李典

1.

李典字曼成,山陽鉅野人也。典從父乾,有雄氣,合賓客數千家在乘氏。初平中,以眾隨太祖,破黃巾於壽張,又從擊袁術,徵徐州。呂布之亂,太祖遣乾還乘氏,慰勞諸縣。布別駕薛蘭、治中李封招乾,欲俱叛,乾不聽,遂殺乾。太祖使乾子整將乾兵,與諸將擊蘭、封。蘭、封破,從平兗州諸縣有功,稍遷青州刺史。整卒,典徙潁陰令,為中郎將,將整軍,遷離狐太守。


(訳)

李典りてんの字は曼成まんせい

山陽さんよう郡の鉅野きょやの人である。


李典の従父の李乾りけんは男気があり、

賓客数千家とともに乗氏じょうしに在った。


初平年間(190〜193)に

群衆を以て太祖にしたが

寿張に於いて黄巾族を破り、

一方で袁術えんじゅつの撃破に従って

徐州(の長官)に徵された。


呂布の乱(194〜195)が起きると

太祖は李乾を乗氏に帰還させて

諸県を慰労させた。


呂布の別駕の薛蘭せつらんと治中の李封りほう

李乾を招き、倶に叛こうと持ちかけたが、

李乾は聞き入れず、遂に殺されてしまった。


太祖は李乾の子の李整りせい

李乾の兵を率いさせ、

諸将とともに薛蘭・李封を撃たせた。


薛蘭・李封を破ったのち

兗州の諸県の平定に従軍して

功績を挙げ、だんだん昇進して

青州刺史に遷った。


李整が卒すると、李典は潁陰えいいん令に移り

中郎将に任じられた。

李整の軍を統率し、離狐りこ太守に遷った。


(註釈)

李典りてん曼成まんせい

合肥の戦のあと(?)

36歳で亡くなったとあるので、

司馬懿や孫権に近い年代という事になります。


演義では第5回から登場。

当時190年くらいなので、

この頃の李典は本来まだ

少年の筈なのですが……従父の李乾りけん

李典に置き換えた形になっています。


なので、演義の李典は

亡くなった時36歳ってことはなく

50代くらいにズレてると思われます。


従父の李乾が呂布の乱で死亡、

子の李整りせいも短命に終わったようで

曹操はその親族の李典に

兵を頭領させてみたところ

思った以上に有能でビックリ!

という流れだと思われます。


註1.

魏書曰:典少好學,不樂兵事,乃就師讀春秋左氏傳,博觀群書。太祖善之,故試以治民之政。


(訳)

魏書にいう、

李典は少くして学問を好み、

兵事を楽しまなかった。


師に就いて「春秋左氏伝」を読み

様々な書物を博覧していた。


太祖はこれを善しとしていたために

試しに民政に与らせた。


(註釈)

軍人というよりは、学者肌の人のようですね。


ゲームの三國志では、

李典は政戦両面ともにこなせる

オールラウンダーになっています。

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