註十六、晋代の荀氏
註16
荀氏家傳曰:頵字溫伯,爲羽林右監,早卒。頵子崧,字景猷。晉陽秋稱崧少有志操,雅好文學,孝義和愛,在朝恪勤,位至左右光祿大夫、開府儀同三司。崧子羨,字令則,清和有才。尚公主,少歷顯位,年二十八爲北中郎將,徐、兖二州刺史,假節都督徐、兖、青三州諸軍事。在任十年,遇疾解職,卒於家,追贈驃騎將軍。羨孫伯子,今御史中丞也。
(訳)
「荀氏家伝」にいう、
荀頵は字を温伯といい、
羽林右監となったが、早逝した。
荀頵の子の荀崧は字を景猷といった。
「晋陽秋」が称するには、
荀崧は少くして志操を有し、
雅に学問を好んで
孝悌にして義心を持ち、温和で愛情深かった。
朝廷に在りては恭しく勤め
位は左右光禄大夫、
開府儀同三司まで至った。
荀崧の子の荀羨は字を令則といい、
清らかで温和、才覚を有していた。
公主を娶り、少くして顕位を歴任し、
二十八歳で北中郎将・
徐州と兗州の二つの州刺史・
仮節・都督徐兗青三州諸軍事となった。
在任十年で病に罹って官職を解かれ、
自宅において卒した。
驃騎将軍を追贈された。
荀羨の孫の伯子は、
現代の御史中丞である。
(註釈)
荀頵は荀彧のひ孫。
荀崧は玄孫。
荀崧の娘が
烈女伝に出てくる荀灌です。
荀羨と荀灌は荀彧の来孫。
荀羨は羅憲とあざなが同じです。
荀崧・荀羨は晋の時代にかなり出世した模様。




