7話 悪役令嬢と街道のワイバーン
「開門!」
いかにも屈強そうな門番たちの声が響き、重厚な扉がゆっくりと開かれた。
蹄を鳴らし、侯爵家の屋敷がゆるやかに遠ざかっていく。
リリアナは、2頭引きの馬車の窓からその光景を見つめていた。
白亜の外壁、整えられた庭園、そして見慣れた中庭の屋根が、徐々に視界の端へと消えていく。
「侯爵家から王都までは、馬車なら半日とかからないのよ」
クララが、柔らかな声でそう言った。
馬車は石畳の街道を進む。
車輪が刻むリズムは思いのほか心地よく、リリアナの緊張を少しずつほどいていく。
石畳は丁寧に管理されており、揺れは少ない。
侯爵領の豊かさが、こうした細部にも表れていた。
窓の外に目をやれば、地平線まで続く小麦畑が、風に揺れて金色に波打っている。
「……小麦の収穫期か」
リリアナがぽつりと呟くと、前方からヒースの声が返ってきた。
「侯爵様の領地は土壌が豊かで、年に二度収穫できます。
私の子どものころにいたところでは、こんなに背の高い小麦はできませんでした」
その声は、どこか懐かしさを帯びていた。
「まあ、ヒースは物知りですね」
クララが微笑みながら、窓越しにヒースの背中を見つめる。
「ヒースの実家……トーテンランゼ子爵家は5年前に領地を手放して……今は、一人で我が家に仕えてくれているのよ」
「……そうなのですね」
リリアナは、ヒースの背筋を見つめた。
まっすぐで、揺るぎないその姿勢。
(初めて会った時から、今に至るまでヒースの人柄は実直で誠実であるように見える。
怖がってばかりいるのは、彼に失礼だな。
恐怖がちらつくが、普通に接するように努力してみよう)
馬車が丘陵地帯に差しかかると、馬車に影が差し、リリアナは空を見上げた。
「……空に浮かぶ鳥にしては大きいですわ」
高く澄んだ空に、巨大な影がゆっくりと旋回していた。
翼を広げたその姿は、まるで空を裂くように滑空している。
「ワ、ワイバーン……?」
思わず声が上ずる。
あの鱗の光沢、鋭い爪、長くしなる尾――間違いない。
「え? ちょ、ちょっと待って、あれヤバいやつじゃ……!」
リリアナが慌てて馬車の窓を閉めようとしたそのとき、前方のヒースがちらりと振り返った。
「ご安心ください。
あれはこの辺りに棲みついている個体です。
人里には近づきませんし、こちらから手を出さなければ、襲ってくることもありません」
「……え、そうなの?」
「ええ。むしろ、王都の空を飛ぶワイバーンは、天候の前触れとして重宝されております。
あれが低く飛ぶと、雨が降ると言われているんですよ」
ヒースは淡々と説明しながら、手綱を軽く引いた。
そのとき、後方からノルノが顔を出す。
「おおお、あれは……! 焼いたら絶対おいしいやつなのです!」
ぺろりと舌なめずりするノルノに、リリアナは絶句した。
「……え? 怖くないの?」
「火龍なら急いで引き返しますけど、ワイバーンなら大丈夫なのです。
あれは、ちょっと大きい鳥みたいなものなのです!
身がしまってうまいのです!」
(いやいやいや、ちょっとじゃないし! あれ、翼広げたら家一軒分あるぞ!?)
リリアナは、異世界の“常識”と“非常識”の境界線が、また一つわからなくなった気がした。
――やがて、街道の先に王都ルミナリアの門が見えてきた。
黒光する高い門塔。
その上に翻る、銀の月と三つ星と独角獣の王国旗。
(……ここが、王都ルミナリア。
我が祖国グレイコールド王国の心臓部。
【灰の冷気】を意味するその名の通り、かつては氷の魔法王朝として知られた国。
良くお母様は、ここでの思い出を楽しそうに語ってくれた)
黒い門と、旗を掲げた衛兵たち。
その向こうには、色とりどりの屋根が連なる、活気ある街並みが広がっていた。
「リリアナ様、王都に着いたのです!」
ノルノが馬車の窓から顔を突っ込んできて、目をきらきらと輝かせている。
「ふふ、落ち着きなさいな。まだ門をくぐってもいないのよ」
クララが扇で口を隠して笑う。
「でも、もう匂いがするのです!
焼きたてパンの匂いが!」
リリアナは、胸の奥がふわりと温かくなるのを感じた。
この世界に来てから、初めての遠出。
初めての王都。
ぶるぶると尻尾を震わせるノルノほどではないが、リリアナも期待に胸を躍らせていた。
★☆
少し休むというクララを宿に置いて、リリアナはヒースとノルノを連れ、王都ルミナリアの中央市場へ繰り出した。
中央市場は、アウグスト侯爵領とは比べ物にならないほどの賑わい。
立ち並ぶ露店には威勢のいいかけ声が飛び交い、異種族たちが行き交う。
「伝説の剣だよー!」
「死人をよみがえらす薬だよー!」
(う、嘘くさい……。
こんな露店に伝説級の武器や道具があるものか)
大げさな宣伝や、店員と客が値切りに罵声を飛ばし合う様。
品物にあふれ、粗野で雑然としているが、ここはエネルギーに満ちている。
(それにネコ族、すらっとしたエルフに、ちんちくりん筋肉質のドワーフ。
空には黒翼の鳥人族まで……。
……これこそ、異世界、くぅうう! 異世界に来たなーって感じる。
血がもえたぎるな!)
後ろを振り返ったヒースはリリアナを見つめると、少しだけ口角をあげた。
「リリアナ様、とても楽しそうですね」
「そりゃ、そうだろ。
エルフにドワーフ……初めて見たんだぞ!」
ヒースが少しだけ目を見開いた。
「リリアナ様。
……周りに人がいます」
(いけない、テンションが上がると、お嬢様言葉が抜けてしまう)
「私だって、いつもお行儀よくするのは大変なのですわ。
さきほどの言葉遣い、お母様には内緒にしてくださるかしら」
「……仰せの通りに」
ヒースは、何が嬉しいのか笑っている。
「何がそんなにおかしいの?」
「……いえ」
ヒースは首を左右に振ると、すぐに冷静沈着な表情に戻った。
(ヒースの奴。
何だよ、笑うと可愛いのに、すぐに大人みたいな澄まし顔をしやがって……)
リリアナは自嘲した。
(オレとヒースは、もしかしたら、少しだけ似てるのかもしれない)
「リリアナ様、クリームもりもりのパイシューあるのです!」
ノルノはリリアナの袖を引っ張った。
「でかしましたわ、ノルノ!」
ヒースが小さく咳払いをした。
「……甘いものが、お好きなのですね」
(オレも、クリームもりもりのパイシューは大好物だ)
ヒースは微笑みながら、二人の変わらぬ様子を見守っている。
「……お変わりないですね、リリアナ様は」
「ノルノ、いっぱい食べてもよろしいのですけど……顔についてるよだれは、すぐに拭いたらいかがかしら」
「すぐ、拭くのです!」
ノルノは拭いた瞬間、よだれを垂らした。
(……んー、護衛の人選これで良かったかな。
不安が残るんだが……)
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