1話 悪役令嬢の目覚め
頬を上気させ、高熱にうなされる少女の天蓋付きベッドには、一点のシワも見当たらなかった。
床の大理石や、縁に金泥を引いた艶のある陶器の壺、金糸の刺繍のカーテンや象牙で縁取られたタンスに至るまで一級品で、その配置や採光に至るまで、この少女ただ一人のために整えられたものだ。
(……熱い……息が浅い……)
小さく咳き込み、眉が数回震えた後、少女はゆっくりと眼を開いた。
(……天井が見たことないような形をしている。これって天蓋ってヤツだよな? 柑橘系のお香か? 背中の弾力も、空気も全然違う! どこなんだ、ここは!)
白いヘッドドレスのメイドが、息を呑んでこちらを見つめていた。
「お嬢様がお目覚めになられました!」
メイドは洋館中に響き渡るような大声で、少女の目覚めを告げる。
すると、猛然と駆ける足音が絨毯を跳ね、扉が開いた。
巨躯の男――ヴィルヘルム侯爵が飛び出してきて、少女のベッドへ駆け寄った。
すぐ後ろに優しそうな雰囲気の女性、その後ろから、髪をぴったりと撫でつけ、髭を蓄えた細身の燕尾服、執事長エドガー。
「リリアナ、大丈夫か!」
侯爵は激情の赴くままに手を握った。
「い、痛い……」
「すまん!」
顔をしかめると、侯爵はすぐに手を引っ込めた。
「ヴィルヘルム様。あなたったら、もう」
「す、すまん! クララ、ワシはリリアナの手を握ってやりたかったのだ……」
侯爵は巨体を小さく丸めてうなだれ、優しそうな女性、クララは穏やかに微笑んでいる。
(……こいつら何なんだ、勝手に手は握るし、ぞろぞろと入ってきやがって……それに頭の中を見たこともないような映像がグルグル回って……)
「うぅ……」
突き刺す痛みに思わず身体を起こし、こめかみを抑えると、クララはそっと、手を重ねた。
「大丈夫よ、リリアナ」
手の温かさが移るにつれ、痛みはすうっと抜けていった。
ふらつきながら立ち上がり、叫ぶ。
「ここは、どこだ!? 何故洋館にいるんだ? オレは……どうしたんだ!?
家は? オレのスマホは? この服はなんだ!
それに、お前ら誰だ!」
不安な感情を、そのままぶつけると、皆は首を傾げた。
「……リリアナ? 何をわけのわからないことばかり口走っているのだ……エドガー、どういうことだ?」
「もしかすると、リリアナ様には呪いのようなものか、悪魔でも取り憑いたのかもしれませんな」
ヴィルヘルムは頭を抱え、黒い燕尾服のエドガーはアゴに手を当て、考え込んでいる。
「みんな、大げさなんですから。
リリアナは、悪い呪いになんてかかっていませんよ。
ましてや悪魔なんて取り憑かれるわけがありません」
クララは、リリアナの腰を支え、磨き抜かれた大きな鏡の前へ導いた。
「リリアナ。
あなたは高熱で寝込んでいて、目を覚ましたばかり。
ほんの少しだけ混乱しているだけですよ」
クララのゆっくりとした声を聴き、リリアナは少し落ち着きを取り戻した。
「オレは、誰なんだ……」
「忘れたなら、お母様が何度でも教えてあげます。
あなたはリリアナ・アウグスト。
私の自慢の一人娘ですよ」
鏡の中には、艶やかな銀の髪、二つの蒼眼、目鼻立ちの良い華奢な少女。
(……見たことがある。
この少女の名前と、果ては運命でさえ、何故かオレは知っているんだ。)
リリアナが思わず鏡に駆け寄れば、鏡の中の少女も同じように駆け寄る。
「……ああっ……」
視線が交錯した瞬間、淀んだ黒いもやはすべて消え失せた。
(前世の名は、「君原真一」。事故死した40歳のおっさんで……
そして、この鏡に映る少女は――オレの妹が好きだったゲーム「恋は火炎&氷塊」の登場人物……悪役令嬢リリアナ・アウグスト)
身体を駆け巡る血が冷えていく。
(どのルートでも破滅する。
刺殺、ギロチン、幽閉、国外追放――その令嬢、不幸の宝石箱につき……)
「私は……リリアナ・アウグスト」
苦虫でも噛むようにつぶやいた。
「おお、リリアナが正気に戻ったぞ!」
侯爵は豪快に笑った。
「よし、快気祝いだ! エドガー!
肥え太った女鹿の丸焼きを用意しろ!」
そう言うと、侯爵を先頭に皆が歩き出した。
(病人にガッツリ肉を食わすのはやめてくれよ。
オレはどうやって破滅の未来を回避したらいいか必死で考えてるんだよ)
クララは、歌を口ずさみながら足取りの重いリリアナの肩を押す。
「まあ、あなた。
元気が出るのは、取れたての生の魚ですよ?」
(病人なんだぞ、生魚なんて消化の悪いモノ……お腹壊すだろ。
せめて焼いてくれ)
ため息に気づいたのか、エドガーはそっと耳打ちをした。
「お嬢様。
胃に優しいコーンスープの準備もございます」」
「……あいつらよりよっぽどマシな提案だな、気が利くな、頼むよ」
執事長エドガーは眉をひそめた。
「あいつら?」
(いけない、今のオレは侯爵令嬢だったな)
「コーンス―プを……えっと……頂きたいのだけど。
エドガー、用意できるかしら」
慣れない口調のせいで全身にかゆみが走った。
「もちろんでございます、リリアナお嬢様」
エドガーは満足そうに礼をした。
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