082話 【SIDE-鷹野菖】Mischief killed the …
あれは確か3年前の、もう都知事選が前日に迫る夏の土曜日の午後。
私が何故家に引きこもらずにこんな炎天下を歩いていたかというと、その日は珍しくお父さんを誘ったからだった。本当は配信活動で忙しい時期だったけど、どうしてもこの日しか空いていないというお父さんの都合に合わせてあげた。
高校入学から一年とちょっとが経って、でも東京に居るハズのお父さんにまだ会ってなかったってことに気付いて、今更のお礼がてら私から連絡を取った。
お金だけ出してもらっておいて本人の事は忘れてたなんて、我ながら現金な奴。まぁでも、思春期とかのアレでしょ。私だって難しい年頃で、日々を生きるのに大忙しなんだから。
「よぅ。……大きくなったな」
背が高くがっしりとしたお父さんの体型は遠くからでもすぐに見つけられると思ってたけど、この人混みでは向こうが私を見つける方が早かった。
無精髭の浮かぶその顔つきが昔よりくたびれたように感じるのは、きっと気のせいじゃない。
「んー、まぁね」
3年ぶりくらいの再会は、蝉の声にかき消されても問題ないようなよそよそしい会話で始まった。
とりあえず涼みたくて近くの百貨店に入る。そこでの中身の無いウィンドウショッピングは早々に飽きてしまい、時間を潰すためにカフェに入ってみたけど、やっぱり久々のお父さんはちょっと気まずさが勝る。
「どうだ、一人暮らしは」
「気楽で楽しいよ。最初の頃はお母さんも心配して毎日連絡くれたけど、もう落ち着いてきたかな」
私生活の話はあんま突っ込まれたくない。けど、そっちはどう?なんて言葉が喉まで出かかって飲み込む。
会社の話は、多分しない方が良い。
お父さんの会社――ツワブキ出版は今、世間ではソラ色って非難されている。アオ寄りでもシロ寄りでもない平等を謳う記事は対立煽りかつ責任逃れで不誠実だ、って。だからきっと会社も大変な時期なんだと思う。
一方で私は配信者としてアオい思想に囲まれてるし、当然私自身もアオの考え方が正しいと思ってる。今まで話を聞いてもらえなかった若者が必死で声を届けようとしてる中で、権力でズルしてるシロの言い分なんかを喧嘩両成敗の感覚で持ち出すソラ色の考えには共感できないよ。
だから私もソラ色のお父さんに思うところはあるけど、久々に会ってする話でもないから口にはしない。
もしかしたら今日はそんな話題が向こうから飛び出すんじゃないかと心配もしてたけど、その気配は一向に無いので一安心。お父さんに私の配信活動がバレているワケでは無さそうだし、私からも変に突っ込まないでおく。
「すまなかったな。お前と……母さんには苦労かけた」
「私は別に。お母さんはまぁ大変だろうけど、お父さんの愚痴言ってるのは聞いたこと無いよ」
「そうか。……あいつは、お前を立派に育ててくれた」
そう言うと、お父さんは粗い手つきで私の頭を撫でる。
やめてよ。ちゃんと時間かけてセットしてるんだから。もうそういう歳なんだよ、私は。
「お父さんが知らない間に私だって一人前になったんだから。あんまり子供扱いしないでよね」
「おぉ、済まん。……もう俺の知らない菖が居るんだな」
そう口にするお父さんは、申し訳なさそうな表情を浮かべた。無邪気に追いかけてた頃より父親がいくらか弱々しく感じるの、ちょっとしんどいかも。
「そろそろ出るか」
気まずくなったのか、お父さんは立ち上がり歩き出した。
ちょっと、まだ私ラテ飲み終わってないんだけど。
その時、お父さんのお尻のポケットに黒く光る機械のようなものが頭を覗かせているのが見えた。見覚えのあるそれは、確か幼少期の私の歌声を録音してたやつ。
あの中にはまだ、3人で暮らしてた頃の時間が詰まってる。
そんな物まだ大切に持ち歩いてるんだ――って、嬉しいような恥ずかしいような感情から、親子の仄暗い空気を私なりに払拭するひとつの妙案が浮かんできた。
ちょっとイタズラしてやろっ。
車の行き交う大通りに出る頃には、私にはもうお父さんのポケットしか見えていなかった。
――寒い。
それで、目が覚めた。
あぁ、眠っちゃってたのか
私は確か修験道場に居て……今の夢は……あれ?
何も視えない!!
ヤバい、電池切れ!?
手探りでポシェットから充電器を探すけど、指が悴んで上手く動かせない。何でこんなに寒いの!?
その直後、強風がこの本堂を叩いた音が響く。
吹雪……!
それで電線が断線して、電気ストーブが切れたんだ!
必死に指を動かして手探りでアイちゃんに充電器を差したけど、視界は闇のままだ。物理ボタンをあちらこちら押すと、電子音のレスポンスが返ってくる。あぁ、アイちゃんはバッテリー切れじゃない――消えてしまったのは私のチカラの方だ!
思考が恐怖に支配されていく。
ここから出るにも手探りだし、外が吹雪なら家まで辿り着くのは絶望的。かといってここに籠っても凍え死んでしまう。
緊急電話機能みたいなのを思い出し、アイちゃんのボタンをあちこち連打するが、電子音以上の反応は無い。そもそもこの修験道場は電波が悪く、吹雪なら圏外になっててもおかしくない。
少しでも隙間風から逃げようと、手探りの四つん這いでお堂の奥へと進む。
あぁ、帰るべきだった場所から逃げて、こんな所に来るんじゃなかった。
押し寄せてくる後悔ばかりに意識が行き、もう方向感覚も掴めない。
手の先に何か垂直のモノが触れる。
とりあえずそれに体重を預けようとするが、しかしそれは手応え無くするりと手のひらを避ける。
そこからは今までと打って変わって思考が研ぎ澄まされ、まるで世界がスローモーションのように感じた。
壁だと思って体重をかけたそれは、多分掛け軸。だから身体がバランスを崩しちゃったけど、奥の木戸に手を付いてそれで倒れずに済むハズだった。
なのに何故か、私の手のひらは空を切り、そのまま身体全体が掛け軸の奥へと吸い込まれていくのを感じる。
『鳥目乃間』の木戸は、空いてたんだ。
その先にあるのは、下へ下へと掘られた縦穴。
能力を発現させるためにヨミワタシの巫女の光を奪う洞。
こんな時だから、自分に非がありそうな部分ばっかりを思い出す。
歴代の風習を放棄してヨミワタシを継承しなかったこと。
アイリスとして多くの人を扇動した責任を取っていないこと。
お母さんの制止を無視して家を飛び出したこと。
大事な事を伝えないままおつろーくんの元を去ったこと。
そしてまたお母さんから逃げてこの修験道場に来たこと。
さっきの夢で少し思い出した。
私は多分、自分の悪戯心の所為で事故に遭った。
それを隠そうとしてくれた両親の優しさに気付かず、知りたがったりなんかしたからきっとバチが当たったんだ。
私の人生は、この冷たくて真っ暗な世界に堕ちて終わる。
ごめんなさい、お母さん、お父さん……!
その刹那、私のもう片方の手が、何者かによって掴まれた。
「あやめ……!」
洞穴から私を引き上げるその腕の体温は、私の名前を呼ぶその声は――私の大切な、大切な人のものだった。




