076話 【SIDE-鷹野菖】鳶とか鷹とか関係なくて
私がアイちゃんと繋がって、もう2年以上が過ぎた。
ウェアラブルカメラでの広角の視界にも慣れ、今や10時間以上も連続で使用できる。私は目標の為に、虎視眈々と訓練を進めていた。
「私、もう一度東京へ行く」
そして、いつものように自室でお母さんにご飯を食べさせて貰っていた折、私は遂に切り出した。
「実はさ、最近少しずつ目が視えるようになってきてて……」
我ながら随分と無理がある言い分。
でも私はもう決心した。もう一度東京へ行って、お父さんを探す。そしてあの日のことを聞く。
「そんなコトは知ってる」
お母さんの返答は予想外だったけど、何か口を挟める隙が無い程にその声色は静かな怒りに満ちていた。
「お前が時折、家の中を歩き回ってたのだって、何度か物置部屋が漁られてたのだって、気付かれてないとでも思ってたか?」
今、私はアイちゃんを点けていない。
すなわち何も視えていない。
それでもお母さんがどんな顔をしているかは、分かる。
「そんな大事な事を今まで黙ってて、それで東京に行くだと? ふざけんのも大概にしろ。そもそも今この瞬間は視えてないんだろうが。そんな不安定な視力で勝手な行動するのは許さん」
お母さんはアイちゃんのコトを知らない。それでも、私が完全に視力を取り戻したのではなく視える時と視えない時があることに気付いている。
今対面している私の瞳孔の動きとかが不自然で、そもそもこの状態だとご飯を食べさせて貰わなきゃならないのは変わってなくて、それで今は何も視えてない事だってバレてるのは当然で、やっぱり一筋縄ではいかなそうだ。
お母さんはずっと勘付いてて、だけど私からそれを打ち明けるのを待ってたんだ。私も筋を通さないと、説得はできない。
でもごめん、私はズルするね。
「大事な事を黙ってたのはお互い様でしょ?」
お母さんの表情は分からないけど、私は続ける。
「事故に遭った日、私はお父さんと一緒だった。私に当日の記憶が無いからって、その事を私に隠してるのは、なんで?」
「お前……! 思い出したのか……!?」
お母さんが狼狽える。
私があのやり取りを盗み見たなんて知らないだろうから、そう考えるのが自然。でも残念ながら私は、あの日のことを思い出せてはいない。
「お母さんの口から事故の日の事を教えてくれないなら、私は東京へ行く」
「話が逸れてる。あの事故がどうのこうのとかと、お前の外出を容認できるかどうかは関係ない」
私が大して思い出せていない事がバレたようで、それならお母さんは事故のコトを隠し通すみたい。その上で、私が東京へ行くのは危険だからと止めている。それは覆らない。
取り付く島もなく、お母さんは私の胃袋に夕飯を詰め込んで階下へ降りていった。私が失明してからのお母さんは比較的優しかったけど、やっぱりこのワガママは通らない。
1人になった自室で、さてどうしたものかと考えながら、私はアイちゃんを点けようとした。
……あれ?
視界に画面が現れない。
私は冷や汗をかきながら、何度もアイちゃんのホームボタンをタップする。すると少し遅れて、ノイズめいた画面が浮かび上がった。そのノイズは靄が払われるように薄くなり、やがていつものような視界になる。
あぁ、やっぱり。
私には多分、時間が無い。
アイちゃんはスマートフォンだ。耐久年数とかがあるハズで、使い続ければいつかは壊れる。デザリングやカメラ機能を長時間使い続けていたらなおさら。今だって充電し続けながら使うと、本体が結構熱くなって怖い。
それにそもそものこのチカラだって期限付きかもしれないとはずっと考えていた。いつまでも視界が安泰だなんて楽観はしてられない。
その予兆を、今、遂に感じ取ってしまった。
私は20歳を目標に東京へ赴く計画を立てていた。親の力を借りず1人で何かするのには、成人していた方が色々と都合が良いから。
でももう、そんな悠長なコトも言っていられない気がする。あと半年もモタモタしていたら、あっという間にまた真っ暗な世界に帰されてしまいそう。
そうなる前に行動に移さなきゃヤバい。
私は計画を前倒しにし、東京へ行く準備を整えた。
お母さんに準備がバレないよう、持っていくものはミニリュックに入る最低限のものに。足りないモノは向こうに行ってからお金で何とかする。アイリス時代に企業案件とかで貯めた貯金が50万くらい残ってるし。まだ成人してないからバイトや賃貸はちょっと不安だけど、まぁ何とかなるでしょ。
物置小屋で見つけたヘッドライト付きヘルメットを改造して、ウェアラブルカメラを仕込む。これで両手を空けつつ視界が確保でき、一見普通の人の様に振る舞える。見た目が目立つのはまぁ……恥ずかしいけど仕方ない。
このカメラから映像を受け取るディスプレイも必要で、中学時代のスマホを引っ張り出す。デザリングってやつがキャリア契約してない端末でも有効で助かった。これをアイちゃんと繋いであげれば、カメラ映像とアイちゃんを別窓で同時にコントロールできる。
私の眼裏はさながらコクピットのようで、ちょっとテンションが上がる。
――菖の事を頼む。
――でもあいつは私に似てるから、どうだろうな
そんな両親の会話を免罪符にする訳じゃないけど、お母さんにも覚悟はできてるハズ。私は私の為に、勝手なことをする。
それから10日後くらいの、7月に差し掛かったある日の早朝。
私はバスの始発を狙い、そっと階下へ降りる。お母さんを起こさぬよう、音を立てずに玄関を出なければならない。
「似合わねぇヘルメットだな」
だからお母さんの声が背後から聞こえた時は、ドアノブにかけた手が跳ね上がる程に驚かされた。
「はっ、早起きだね。……でも寝癖だらけ」
私は振り返り、苦し紛れに眼が視えているアピールをする。
お母さんを正面からカメラに捉えて視ることはこの2年半でも無かったので、目を合わせられることに今更ながら喜びを感じた。しかしそれも束の間、その形相を見てしまえばうかうかはしてられない。
「どこへ行く?」
「……東京」
お母さんが、徐々に詰め寄ってくる。
やっぱり私を行かせてはくれないようだ。
私は苦し紛れに、言葉を振り絞った。
「……マナコが、くれたんだよ」
お母さんの足が止まる。
それは半分は建前で、同情に訴えるための卑怯な手。
でももう半分は、紛れもなく私の本心。
「最初に視えたのがね、マナコが亡くなった日だったの。だからきっと、私の世界にもう一度光をくれたのはマナコ。視力を失ったヨミワタシの末裔の為に、最期の力を振り絞って眼になってくれてるんだよ」
もしかしたらアイちゃんにはマナコの霊が宿っているのかもしれない。ヨミワタシの言い伝えと、この超常現象。私が失明の運命から逃れられなかったことも含めて、そう思わずにはいられない。
それはお母さんにだって否定できっこない。私には眉唾モノだったけど、お母さんはおばあちゃんにヨミワタシの力が備わっていたことを信じてたから。
「……東京へ行って何がしたい」
お母さんは、少し辛そうな声でそう言った。
「お父さんに会いに行く。あの日の事、本当はお母さんも大事なコトは知らないんでしょ?」
なんとなく、そんな気がする。
だからあの日の事を知るためには、記憶を取り戻すか、お父さんに会って直接聞くしかない。
「せっかく視力が少しでも戻ったんだ、ウチで安静にしてりゃもう怖い目に合うこともないだろうに」
そう言うお母さんは、もう私を止めるのを諦めているような口振りだった。
「ごめん。でも多分、この視力は長くは続かない。だから視えてるウチに出来るコトはやりたい」
これを逃したら、絶対後悔するだろうから。
「クソみてぇなトコだけ、私に似やがって」
それ以上お母さんの顔を見ていたら私も気が変わってしまいそうで、だから無情に徹して逃げるように玄関を飛び出した。
背後で扉が閉まる音が響く。
朝靄に包まれた山岳部は、もう夏の匂いがした。




