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絵空事イデオロギー  作者: 千枝幹音
第01章 空模様デトックス
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007話 それはいつかのワスレモノ

「どうして……俺に話した?」


 どうやら真実であろうこのオカルトじみた視界の話は、あまりに常識とかけ離れている。出会ったばかりの人間に打ち明けられる内容とは到底思えない。


「今日は、助けてくれてありがとう」

 (あやめ)はそう言った。

 答えになっていないようで、答えになっていると言えなくもない。助けてくれたお礼に話したとでも言いたいのだろうか。


 しかしそれは少々考えづらい。

 上京した生娘が少し助けただけの男に全幅の信頼を置いてしまい、自分の全てを曝け出した――なんていうのはこの半日を共にして感じた菖の印象とはかけ離れている。


 彼女は感情豊かで直情的に見えるが、その実抜け目無く打算的で、どこか底が見えない。


 俺が納得していないのに気付いたようで、菖はもう一度口を開く。

「おじさんは、何で私に話したの?」


 何の事かと考えを巡らせる。

 菖に話した事といえば、失業から転職、そして開業に至るまでの恥ずかしい苦労話、ソラ色の記者だったという酔狂な過去話、そして盗撮犯の手口が判る程度には同類だったという自虐話だ。どれも碌な話ではないが、今日会ったばかりの少女に話すには鬱陶しい話題だったと反省する。長い間独りの生活が続き、久々の話相手に歯止めが効かなくなってしまった。


「すまなかったな、変な話を聞かせて。思い返せば恥ずかしい愚痴で……久し振りに話し相手ができて、浮ついて、俺のことを知ってくれる人が居て欲しいなんて、そんな欲が出ちまった。俺は別に自分の大事な秘密を聞かせたなんてつもりなんてないから、変な責任を感じなくて良かったんだが……」


 今日が特別な日だったからかもしれない、俺はどうも浮き足立って軽率な言動が多かった。

 しかし彼女の口から次に出た言葉は、俺の思いを否定する。


「別におじさんが自分の事を話してくれたから、私も話さなきゃって思ったわけじゃない。むしろ私の思いも、きっとおじさんと同じだよ。誰かに知ってもらって、楽になりたかった……でしょ?」


 それでもどうして今日会ったばかりの素性も知れない男に――なんて疑問は、俺自身が行動で否定している。

 俺は会って間もない少女に、べらべらと自分の背負っていたモノを吐き出してしまったのだから。それが菖の言った“おじさんと同じ”ということ。


 つまり――


「ゴメンね、変な話聞いてもらっちゃって。でもありがとう、ちょっと楽になった。……じゃあ、私そろそろ帰るね」


 ――菖も独りなのだ。


「待ってくれ。……どこへ帰る気だ」


 事務所のドアノブに手を掛けていた菖が、俺の言葉で立ち止まる。

 外から漏れる日はもう僅かになっており、夜の帳が降り始めていた。扉の前の彼女は、もうシルエットしか判らない。


「今日、東京へは5時間かけて来たと言ってたな」


 俺は何故か、この少女をここで帰してはならない気がして言葉を繋ぐ。

 先刻は潮時だとか言って無理に別れようとしたのに、随分と自分勝手だ。


「日帰りの用事があったなら、俺と一日を潰す暇なんか無い」


 けれど時間も運賃も相当にかかっているだろうから、ぶらりと暇つぶしに来たとも考え辛い。3年ぶりと言っていたから、日常的に東京に来ているわけでもない。

 何か明確な目的があるはずだ。


「つまり、ある程度の期間滞在する予定で来たんだ。なのに持ち物は小さなリュックひとつ」


 彼女は今日、5時間もかけて来たはずなのに、12時過ぎには俺と出会っていた。下宿先に寄って荷物整理をする時間は無かっただろう。


「どうして、区役所にいた?」


 アテがなく上京した人間に必要なのは金と宿だ。長期滞在ならそれは職と家。どちらを得るにも住民票が必要と考えたなら、区役所にいたのにも合点がいく。

 この少女は目的があるのに、何の用意も無く突発的に東京に来たのだとしたら。当初想起した家出少女という部分が正解だった可能性すらある。


「……ワスレモノをね、探しに来たの」

 扉の前で俺に背を向けながら話を聞いていた菖が、振り返って呟いた。照明を点けていない玄関前は特に暗く、表情は読めない。


「3年前の事故で、不本意な形でこの東京を去ることになって、でも心残りがあるからその為に帰ってきたの……けどさ、何か勘違いしてるみたいだけど私はもう19! アルバイトも賃貸だって、一人で契約できるんだからっ」

 てっきり高校生だと思っていたので、俺は虚を突かれる。


 しかしどちらにせよ、賃貸契約には安定した収入か保証人が必要だし、真っ当なアルバイトには住所が必要だ。しかもバイトの話題まで出したところを見ると、長期滞在の資金は心許ないのだろう。

 果たしてこの向こう見ずな“ほぼ少女”は、そういった算段がついているのだろうか。


「……今の菖じゃ、多分どっちの契約も難しいだろうな」

「えっ!?」


 俺はため息混じりに、しかし自分でも信じがたいことを口にした。


「ウチで、働いてくれないか」


 半日で情が移ったと言っても嘘にはならない。

 拠り所がなく身ひとつで東京に来た少女を、気付かぬ振りをして帰すことができないなどという正義感が芽生えた? お互いに知り合えた部分の共感を親愛だと錯覚した?

 ……しかしそれだけが理由ではない。


 影の中にいる菖のことなど見える筈がないのに、彼女の表情の機微を感じた。それが俺の記憶を刺激して、何故だかここが最後の分かれ道になる気がして、引き留めなければという衝動に駆られたのだ。


「えっ――?」


 けれど彼女の狼狽振りを見て、俺は急に怖くなる。

 俺の言葉が唐突過ぎて気分を害したのではないか? そもそもこの都会で、身寄りの怪しい10以上も年下の女性を安易に誘うなど、警戒されて当然だ。こちらの独りよがりな心理など知るべくもない菖にとって、その下心ともとれる提案は先刻の共感を台無しにするものにもなり得る。


「じ、実は無線配車の取り次ぎを誰かに頼めないものかと悩んでいたんだ。俺の営業中にここに常駐してくれるスタッフが居るだけでも心強い。……それに、その事情じゃ普通の働き口を探すのも大変じゃないか?」

 気まずさ紛らわせようと、さらにデリカシーの無い言葉が口を突いて出てしまう。


 そんな俺を視て、菖のシルエットが震える。そこから少し遅れて、くすくすと堪え切れない笑い声が漏れてくる。外の街灯が点いたのだろう、2階にあるこの部屋が再び縞模様の外光に照らされる。

 光を浴びた菖が見せたのは、今日一番の、屈託のない笑顔だった。


「あははっ! ありがとっ、おじさん!」


 その笑顔は、言い訳ばかりの俺を安堵させるのに充分だった。

 ここに居るのは、一人とひとり。


「あぁ……それと俺は“おじさん”じゃない」


 俺はまだ届いたばかりの名刺を一枚取り出し、菖に渡した。



 『(たちばな)営業所 ドライバー 橘 乙郎(いつろう)

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