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絵空事イデオロギー  作者: 千枝幹音
第01章 空模様デトックス
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006話 わたしにみえるもの

「ありがとうございましたー」


 引っ越し業者の人達は、微塵の疲れも見せず爽やかにそう言い放って帰っていった。


 かれこれ3時間くらい使ってしまっただろうか。

 営業所兼自宅物件の説明と受け渡し、さらに俺の私物を運ぶ引っ越し業者。そしてそれと重なるタイミングで、事前に購入しておいた機材の搬入まで来てしまった。

 俺は私物をなるべく持たないようにする主義だったが、どうしても家電は一通り必要になる。この狭い部屋では洗濯機や冷蔵庫の配置は大変だ。それに重なって仕事用デスクや業務用プリンターまで届いたのだから、営業所内はてんやわんやだった。


 すべてを捌ききった頃には、窓から見える空が茜色に染まり始めていた。


「お疲れ様……開業オメデトっ!」

「いや、色々手伝わせちまって悪かったな。……あやめ」

 俺は彼女の名前を思い出しながら、礼を言った。



 あの時――(あやめ)にこの事務所に導かれた後すぐ、早めに到着していたテナント業者が俺を見つけた。

 その後はなし崩し的に作業が進んでしまい、彼女の事を聞くタイミングを今の今まで失っていた。

 しかし菖は特に文句も言わず、逆に作業を手伝い始めたのだ。運び込まれた荷物の置き場所の指示を出したり、勝手に台所類と書かれたのダンボールを開けてお茶出しなどをしていた。俺は彼女の気遣いに戸惑いながらも、作業に追われて断ることができなかった。



 一息ついた今、俺はオフィスチェアに腰を落ち着けている。

 “開業おめでとう”の響きにある不思議な余韻に浸りかけたが、感無量な達成感も束の間、今日起きた様々な体験が思い出されどうしても思考がそちらへ向かう。


 菖の方に目をやると、彼女はブラインドの隙間から外を見ていた。雑居ビルの2階に位置するここからの展望は、そんなに美しいものではないだろう。

 ブラインドから漏れる縞模様の夕日が彼女に差している。


 何故か盗撮を暴き、この事務所の場所を知っていた、不思議な少女。

 スマホを割ってしまったと勘違いした俺につけ込んで、1日を共にした少女。



 俺の視線に気づいたのか、夕日を浴びる菖が振り返る。


「私、目が見えないの」


 少女は唐突にそう切り出した。



 ♦



 今日は混乱する出来事が多かったが、それでも今ほどは驚かなかっただろう。

 スマホの画面しか視界に映らないと自称する少女が、ゆっくりと近づいて来る。


「まぁ、そりゃ混乱するよね。……先ずは私がどうやって外の世界を見ているかオシエテあげよう」

 菖は得意げにそういうと、ポシェットから一台のスマホを取り出した。アイちゃんではない、別のスマホだ。彼女がその画面を見るように促したので、俺は言われるがままに覗き込む。


 すると、どうやらカメラモードになっているらしく、俺の顔が映っていた。

 セルフィー……ではない。もう少し高い視点から俺を映している。しかも映像の四隅は湾曲しており、広角レンズのように広い画角を映し出していた。これではまるで監視カメラだ。


 俺はこの映像の出所を探るように、視線をスマホから離さずにゆっくりと顔を上げる。すると映像の俺が正面を向いたのは、菖の身長より少し高い部分まで顔を上げた辺りだった。


「そう、犯人はこの子です」

 菖は悪戯っぽい敬語を使うと、被っているヘルメットを指差した。彼女の言葉と同時に、俺の推理も答えを出す。

 ヘルメットとの調和でまったく疑っていなかったこのヘッドライト、これにカメラが仕込まれ、彼女の目となっていたのだ。


「ウェアラブルカメラっていうの。Bluetoothでこのスマホに映像を送り続けてる。でね、このスマホはアイちゃんとテザリングで繋がってるから、私にはこのスマホの画面も視えるの」


 ウェアラブルカメラは小型化している代わりにディスプレイがない。彼女はその映像を覗き見るために、カメラ映像出力用の専用スマホを持っているということなのだ。


「次。自分のスマホを開いてみて」

 菖は続ける。俺は言われるがままにスマホを取り出した。


 しかし、彼女の言わんとしていることはおおよそ推察がつく。俺は彼女の次の言葉を待たずして、スマホのWi-Fi設定画面を開いた。受信一覧の一番上に『Eye-chang』となんとも間の抜けた字面が踊っている。


「それがアイちゃんの飛ばしてるWi-Fiテザリング」


 スマホというのは設定上、キャリアの電波よりWi-Fiを優先しがちだ。パスワードも無しで接続させてしまうスマホがあるとは知らなかったが、結果として俺のスマホもEye-changを通してのWi-Fi接続に切り替わっていた。


「アイちゃんのデザリングを受信したら、私はそのデバイスも覗き視れるの」


 俺は試しにアプリのメモ帳を開き、『25+6=』と打ってみる。


「さんじゅういち」

 菖は勝ち誇った笑みを浮かべて答える。彼女の荒唐無稽な話もいよいよ現実味を帯びてきた。

「ただね、いくらテザリングを受信していようと、画面オフにされたら私にも何も視えないし、ディスプレイの無いデバイスだってそもそも視えない」


 徐々に、菖が視える範囲の整理がついてきた。

 アイちゃんがテザリングの親機となり、そのWi-Fiを受信したすべてのデバイスのディスプレイを視ることができる。現実の視界はヘルメットに付いてるカメラと、その映像を受信するためのスマホを携帯して確保。その他、アイちゃんのテザリングを受信したデバイスを追加で覗き視れるという訳だ。


「盗撮犯のビデオカメラも、Wi-Fiが受信できるタイプだったってことか」

「そう。あの時私には、ビデオカメラに映った私たちの映像が視えてたの」


 スマホのWi-Fiデザリングが届く範囲は、障害物の有無にもよるがおよそ10メートルくらいだろう。その範囲に盗撮犯のビデオカメラが引っ掛かったのだ。盗撮画面を視ることができれば自分たちとの位置関係が判るし、UIのデザインでハンディカムタイプのカメラだという推察もできる。逆に撮影者自身は映っていないのだから、犯人の特徴が判らないのは当然だ。


 そしてこの事務所の場所が判ったのも、俺がスマホで場所の確認をしていたからという訳だ。


「おじさんのスマホも覗いちゃった。ゴメンね」

 小さく舌を出して謝る仕草は相変わらず茶目っ気のあるものだったが、表情はどこか儚げに思えた。俺を見据える彼女の瞳には、俺は映っていないのだろう。


「ほらここ、ちょっと傷跡が残っちゃってるでしょ」

 菖がヘルメットを傾け、右耳に髪をかけると、そのこめかみには薄らと手術痕のようなものが浮かんでいた。

 失明に至る事故で負ったものに違いない。


「どうしてこうなったのかは分からないけど……これが、私のヒミツ」

 菖は、一連の話を締めるようにそう言った。


♦ にはプロローグ内容が入ります

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