060話 団い塊、バックラッシュ
朦朧とする意識の中で、身体に迸る痛みによりスタン警棒を食らったことを思い出す。
あれからどれだけ経ったのだろうか。
「起きたかい」
聞きなれない、老年の女性と思しき声がする。
軋む上体を起こそうとすると、手首の硬く冷たい感触が伸ばそうとする腕を妨げる。ソファに寝かされていたらしき俺は、手錠の所為で可動域の狭くなった腕を確認しながら何とか身体を起こすと、辺りを見渡した。
部屋を真ん中で区切るガラス張りの壁。こちら側には椅子やソファと卓上マイクの乗った机。ガラスの向こう側には数多のミキシング機器と、出入口付近に白コートの人影が2つ。
この部屋は確か、帝東大の放送室だ。
校内放送に使われる他、ラジオ系サークル等の活動拠点でもあり、報道系に厚い大学だけあって機器も一端のものが揃っている。学生時代、桐谷先輩がアナウンスの朗読練習をするのに、何度か付き添ったことを思い出した。
時計に目をやると既に午後4時で、およそ2時間ほど気を失っていたようだ。もうあの騒動は収まったのか気になるが、この遮音性の高い密室では耳を澄ませても外の音は拾えない。
「……貴女は?」
机を挟んで向かいに座る老年の女性に問いかける。
白く上品に流れる毛髪を束ねる簪。目尻と唇に差された鮮やかな紅は、刻まれた皺と共存している。和装には詳しくないが、まるで普段使いしているかのように自然に着物を羽織っていた。袴の下は足癖悪く脚を組んでいるようだ。
「おれは興津千代。ここの学長さ」
艶やかな声に似つかわしくない男勝りな一人称で、その老婦人は名乗った。俺の在学中は男性の学長だったと記憶しているから、その後に代わったのだろう。
そして、その名前を聞いてピンとくるものがあった。
「記憶違いなら申し訳ありませんが……以前、議員をされていたご経歴はありませんか」
「ほぅ。よぅ知っとるな。おれなんぞ大して何もやっとらんのに」
顎に手を当てる仕草で、垂れた袖からこけた腕を覗かせる。
大して何もやってない、は謙遜だ。
まだ俺が中学生くらいだった頃、ワイドショーをよく湧かせていたのを覚えている。当時まだ野党だった皆国党の議員として与党への歯に衣着せぬ物言いの追求は、一時期国会中継の名物になっていた。
そんなお人が帝東の学長になっていたとは知らなかった。
「それでここは……あなたと私は何故ここに?」
「オサムの“演し物”を嗅ぎつけた公安の連中、奴らに軟禁されてんだよ。おれも、お前さんも」
興津千代は、部屋の隅で無口に佇む白コートへ目くばせする。やはり、公安6課や機動隊は新垣治の演説を危険視して現れたということだろうか。
「あなたはご存知だったのですね? サプライズゲストのことを」
「そりゃあそうさ。オサムもそこは筋通してきたからね」
新垣治も帝東の卒業生として、それは必要な手続きだったのだろう。しかし先ほどから名前呼びしているところを見るに、2人はもっと親密な関係なのかもしれない。
興津千代は政権を取った後の皆国のやり方が気に食わないと唾を吐いて、一線を退いた。皆国と対立する政党と親しくしていてもさほど違和感は覚えない。
「おれはここの最高責任者として学生共を叱れと、そんで謝れと警察に詰められたのさ。でも若ぇのはこんな老いぼれの言葉なんか聞きゃしないだろ? だからなんもしねぇっつったらここに閉じ込められたんさ」
この状況を茶化すようにお手上げのポーズをする。大胆不敵で傍若無人な人柄は議員時代から変わっていないようだ。
多くのピックスによりリアルタイムで全国に配信されてしまった今回のこの騒動。マスコミNGだったことにより、政府はどうしても印象操作が出遅れてしまう。だから警察側としては世論がアオ側に傾く前に、何としても機動隊介入の大義を説く報道をしたいに違いない。
そのために学長から大学側の落ち度を認めさせ、謝罪の言質をとりたいというわけだ。けれど興津氏は一筋縄ではいかず、苦肉の策で軟禁しているのだろう。
「お前さんこそワッパまでかけられて、一体なにをしでかしたんだい?」
ガラスの向こう側にいる白コートたちは、睨みこそ利かせているが俺たちの会話を妨げる気は無いらしい。
俺は一呼吸おいて、その問いに答える。
「私もここの卒業生です。……当時思い描いていたような大人にはなれませんでしたが、なんとなくそんな後ろめたさとも向き合える歳になったって、そう思って足を運んだんです。でもそれは逆に不完全燃焼だった自分を思い出すことにもなってしまって……それで柄にもないことした結果がこれです」
自嘲を込め、俺も茶化すように手首を掲げて手錠を見せる。
そうだ、もう甲斐斗に対して気持ちの整理はついていた筈だった。なのにあの部室へ行って、桐谷先輩と話して、そうやって色々思い出して、それでまた甲斐斗のあの姿を見たら不思議と体が動いてしまった。
「それで答えになってるつもりかい? ったく、手前の懺悔なら告解室にでも行くんだね」
「すみません。……ここで育った同期生が公安にいたんです。それを見て私だけノスタルジックに青春かましたら、突き放されてここに連れてこられただけの話でした」
熱くなっていたのは、俺だけだった。甲斐斗はただ、淡々と仕事を全うしたに過ぎないのだろう。いつまでも青臭いままの旧友のウザ絡みを、火の粉を払うようにあしらっただけ。
「青いって言やぁ、おれらの頃は未熟なことを言ったモンよ。でも今じゃオサムとか一緒に莫迦騒ぎしてたあいつらのことを言うんだろう。まぁ2つの意味で青いわな。でもあいつらを見てると、おれの若い頃を思い出すよ」
「学生運動……ですか?」
学生運動。
齢70も半ばかと思しき興津千代が、大学生だった頃まで遡る。当時、政党を後ろ盾にした学生が活動家となって行った数多の社会運動があった。
学費の値上げ反対など学生にとって身近な問題から、果ては反戦運動にまでその目的は多岐にわたる。初めこそ学内でのビラ配りや演説などを行うサークル活動に留まっていたが、それがやがて大人数でのデモ活動や授業ストライキ、果てはバリケードによる建物占拠へと過激化していった。
「おれたちの一挙手一投足が新聞に載って、それで各地に同志がいるのを感じたモンよ。全員で共に闘って、あの時確かにおれたちが日本を動かしてたのさ。大人たちの作った抑圧構造からの脱却、モラトリアムの履き違えにより肥大化した自己肯定感。……きっと今のアイツらも同じさ」
当時の学生運動はさらにエスカレートし、機動隊が出動するまでの事態に陥る。投石や火炎瓶が飛び交い、双方に死者を出し始めた頃から、世間からの支持が得られなくなっていった。
「結局は熱にアテられちまってね。大して主張に興味ない奴らまで巻き込み始めて、活動が手段から目的になっちまった」
内ゲバを繰り返すことでより暴力的に先鋭化した組織を見て、学生たちは目を覚ましたかのように学生運動から手を引いていった。残党たちから大勢の逮捕者が出たこともあり、後世で語り継がれる学生運動の社会的評価は芳しくない。
「だから、学生運動に参加してたおれたちは、今になって聞かれたら口を揃えて言うんよ。アレは若気の至りだった、あの頃はまだおれも“青かった”って」
興津氏は遠い目をして、過去をそう振り返った。
「じゃあ、このサファイアデモクラシーもそういった末路を辿る、と仰るのですか?」
俺の問いに、しかし今度は興津氏の瞳が燃え上がるのを感じた。これから本懐を語らんとするかのような気迫。
「おれたちは今になって聞かれたら口を揃えて言うんよ! アレは若気の至りだった、って! 誰もそんなこと思っちゃいないのに!! ……本当はみんなあの熱を誇りにしちょるんよ。でもそれを大っぴらにすべきでないという分別はある。だから胸の内に秘めるのさ。今の政財界にはそんな奴らがごまんとおる!」
それは、十余年前の国会中継を沸かせていた、女傑の顔であった。
「若い頃に灯った火っちゅうのはな、一生消せん」
青年期を学生運動に費やし、高度経済成長の中で社会進出した彼女らの世代は、日本を牽引する著名人を数多く輩出した。その原動力は若かりし頃に培われたのだと、興津氏はそう言いたいのだろう。
だとしたら現代日本で熾りつつあるサファイアデモクラシーの火も、参加した若者たちを一生を焚き続けるのだろうか。




