005話 類の呼び声
バスに乗り込んだあの時点からおよそ20分後。
俺の作戦は功を奏し、盗撮犯を交番に突き出すことに成功していた。
「あーやっぱりこの人らの言う通り、映っちゃってるねーこれ」
押収したハンディカムを確認していた警官が、パイプ椅子に座らされている小太りの男に言った。
犯人であるその中年男性はくたびれたポロシャツにハンチング帽を被っている。手錠こそかけられていなかったが、屈強な警官に挟まれ縮こまっていた。広い額に滲む汗は、暑さの所為だけでは無いだろう。
「いやっ、ホント、すいやせん! スクープだと思ってつい魔が差しちまったんですわ! しかも人違いとは、あっしの見る目も落ちたもんです! ははは……」
この男は取り押さえられてから一言も話さなかったが、証拠の提示に観念したのか急に饒舌になった。必死に取り繕いながら何とか明るい雰囲気を作ろうとしているようだが、両脇にいた見張りの警官に睨まれてまた静かになる。
しかし自分の口から人違いであると言い出すとは、やはり近くで見たら判るのだろうか。そのネットアイドルとやらと、この少女の違いが。
「ちょっと、本当にそう思ってるんでしょうね……」
少女が迫ると、犯人も慌てて弁明する。
「も、もちろん、あっしだって今まで数多くの変装を見破り、追いかけた身ですぜ。こんだけ近くで見りゃ一目瞭然ですとも、……あっ!」
何やら余罪もありそうな口ぶりに、両脇の警官がピクリと反応する。男もしまったと言わんばかりに口をつぐむがもう遅い。2人の警官に奥の別室へと引きづられていった。
その後、当然バッグの中身をひっくり返されたようだったが、直接的な犯罪の証拠となる物品は出てこなかったと報告された。ただ、押収された中には名刺もあったようで、俺の推察通りパパラッチだったことが判明した。
名刺にはフリージャーナリストなどと偉そうな肩書きが書いてある。しかも青いデザインのものと白いデザインのものの2種類が確認できた。
「あーこの人、ソラ色のパパラッチかぁ……最近増えてんだよねぇ、このテのでしょっ引かれる輩が」
名刺を確認しながら警察が漏らす。
スキャンダルをその対抗色のメディアに売る彼らは、常に都合の良い色を名乗ることで商売をしている。当然、取引先にはマルチであることがバレないように、アオとシロ両方の名刺を用意しておくのだ。
スキャンダルの度合だけを求めるスタンスなため、そこに思想の矜持は無く、手段を選ばない取材を行うことが多い。それにより発生する今回のようなトラブルに警察も手を焼いているのだろう。
そして、そんな輩もソラ色と呼ばれている。
程なくすると、取り調べ室から警官が戻ってきた。
「ご苦労さん、アレはフリーだったし、今回の盗撮も独断ってことでカタがつきそうだよ」
引退したネットアイドルの居所なんていうのは、出版社がかりで漁られていたなら尾を引きそうな案件だ。しかしこの盗撮犯は単独で追っていたわけで、こいつの誤解さえ解ければ騒動は幕引きということだろう。
犯人は人違いの誤解を解くのに焦ったのか早々に容疑を認めた。しかし盗撮といってもその映像は人混みや俺の影に隠れてしまい、この少女はほとんど映っていなかった。もちろん下着などを覗くようなアングルもない。
ビデオが間違って録画されていたなどと、本人が無理やりにでも否認すれば罪を逃れられた内容だったかもしれない。
そのため、犯人は微罪処分という扱いになった。
身元や指紋は確認されるため、また少女の周りで怪しい影がチラついた場合には真っ先にこの男へと疑いがいく。少女もそれで納得し、被害届は出さないことにするそうだ。
犯人は数日間拘留されるようだが、俺たちの役目は終わりのようだった。
交番から外に出ると、再び熱気と日差しに立ち眩む。
営業所引き渡しの時間が迫っていることを思い出し、俺が地図アプリで場所を確認していると、少女はもう勝手に歩き出していた。
木漏れ日の差す道幅の広い遊歩道を進む少女に、俺は着いていく。
そもそも彼女の行きたかったお店があるはずの街からバスで4駅ほども離れてしまったので、もし目的を変えないならもう一度バスに乗って戻るべきだ。けれどそろそろ彼女の元を離れなければならない俺は、説明に口を開こうとする。
しかし、先に声を発したのは彼女の方だった。
「何で判ったの? あの人が犯人って」
あの時――
俺たちは駅前からバスに乗り込んだ。
その後5分ほどでバスは発車し、4つ目のバス停で降りたのだ。
「バスに乗ったら犯人もいっしょに乗るだろうってのは判るの。でも私たちより後に乗ってきた人は何人もいたでしょ。犯人も乗車前には盗撮をやめてたし、怪しいところなんてなかった……ハズ」
そして俺たちは4つ目のバス停で降りた。
俺はバスが発車するのを見計らって踵を返し、一緒に降りてきたあの男を締め上げ不審者だと大声を出したのだ。虚をつかれた犯人は必死に抵抗したが、目の前の交番から騒ぎに駆けつけた警官に取り押さえられたのだった。
「あのバス停で降りたのは、近くに交番があるって知ってたんでしょ? でも、あそこで降りた人は他にもいっぱいいた。ならどうして……?」
「俺もあいつと同類だったから、だろうな」
含みのある表現に、彼女は疑問符を浮かべる。
俺はそんな彼女に、説明を始めた。
尾行においてターゲットがバスに乗った際、当然尾行者もそれに着いていく事になる。
しかしターゲットが乗るバスを間違えて、かつ発車前に気づいた場合、その場で焦って下車する可能性が考えられる。都バスは先払いなので下車するだけでも運転手に相談しなければならない。そうなった時、尾行者が追いかけようとすると非常に目立つことになる。そういったイレギュラーを想定して、尾行者は発車直前に乗車するのがセオリーだ。
「そう言われると、最後に慌てて乗ってきたのがあの人だったかも」
「そうだ。それに根拠はもうひとつ。」
バスの座席は基本的に前方を向いている。都バスは前の扉から乗車し、中央の扉から下車する仕組みだ。尾行者はターゲットが降りるのを確かめて追わなければならないから、出口の中央扉が視界に入る後方の座席に座る。
最後に乗ってくる人は、すぐに発車の揺れが来るため乗車口に近い前方座席に座るのが普通だ。しかしあの時、前方座席が空いていたのに関わらず、奴はわざわざ揺られながら後部座席へと足を運んだ。
「発車直前に乗車し、無理にバスの後方座席に陣取り、俺たちと同じバス停で降りる。3点揃えばもうほぼ間違いない」
「ほぉーう……」
感心めいたため息をついた彼女は、今までの話を反芻するように考え込んでいる。
しかしこれらの推理は、尾行されているという確信があってこそ成り立つのだ。そこの確証が本来なら一番難しい部分であり、この少女が如何にして盗撮に気付いたのかの答えはまだ出ていない。
――が、そんな事はもうどうでもいいのかもしれない。彼女はもう危機を脱し、俺の役目も終わったのだから。
俺は徐々に本題を切り出す。
「結局、ここまで奴の動きが判ったってのは、俺も似たような仕事をしたことがあるからだ。お前を怖い目に合わせたあの男と同じ仕事をな」
もう遊歩道を抜け、辺りは雑居ビルの立ち並ぶ景色に変わっていた。
少女はこちらを見ず、黙って歩いている。
ここいらが潮時だろう。
「昼飯は奢ってやれなくて悪かったが、俺にも次の仕事が待ってる。お前のスマホ代は色を付けて返すから、こんなしょうもない男との関係はもうお終いにしな」
俺は別れを切り出した。
何はともあれこの少女は、パパラッチの飛ばし記事でプライベートを晒されるなどという心配は無くなった。しかし俺は、少女を救ったなどとヒロイックに浸ってはいられない。もし俺たちが出会うのが何年か早かったら、俺はパパラッチの側に回っていたかもしれないのだから。
この一件で過去の苦い記憶を呼び覚ましてしまった俺は、少女を見ていると自己嫌悪に駆られてしまい、その辛さから彼女を遠ざけようとしているのかもしれない。
俯いていた彼女の表情はヘルメットの所為で読めなかったが、それでも紡ぎ出された言葉は力強いものだった。
「“お前”じゃない……鷹野、菖。……ホントはね、スマホは元から割れてたの」
唐突に立ち止まり、顔を上げた彼女はそう言った。
その顔は夏の太陽を浴びて一層、人懐っこく、茶目っ気たっぷりな表情を浮かべる。
スマホを割ってしまったという罪悪感こそがこの数時間の行動動機だったため、それがひっくり返ってしまったことに唖然とする。
しかし俺の驚愕は、すぐに別の、より強烈なものに塗り替えられた。
「どうなってる……? どうしてここを……!?」
この少女を追ってたどり着いたのは、俺がこの後向かう筈だった、営業所の前だった。
「次は、私のヒミツを話す番だね」
そう言うと彼女は――菖は笑った。