043話 アンビバレント・アンビシャス
その日の講義は3限までだったので、まだ日の高いウチに部室へ向かった。
まず人が訪れないような、離れの木造学舎のさらに端。電気も満足に点いておらず、漂う埃が窓から僅かに注ぐ日の光にキラキラと反射する。
乾いた音で軋む廊下を抜け、建て付けの悪い部室の扉を引いた。
「乙郎……君も今日は3限なんだね」
1番乗りかと思えば、既に我が研究会唯一の同期がスクラップだらけの狭い部屋の隅で型落ちのPCを弄っていた。
疲れこそ見えるが、涙ぼくろの上のその瞳は瑞々しくディスプレイの光を反射させている。それはまるで玩具に夢中になる子供のようで、そんな姿は微笑ましくも羨ましくもある――などと言ったら、同い年相手にスカした態度だとコイツから異議を貰うだろう。
甲斐斗はこちらに一瞬視線をくれたが、またすぐキーボードを叩き出す。
帝東大の学祭である分銅祭まで残り一ヶ月。
すなわち、我が研究会で毎年発行している機関誌『幸首』の原稿締め切りも間近なのだ。
現在の部員は先輩含めて僅か3名。しかしこの伝統の機関誌を、せめて今年度までは途絶えさせまいとして、俺たちは多量な執筆に臨んでいた。
「今何割?」
俺は空いている椅子に鞄を下ろしながら、文筆に励む同志――都築甲斐斗に問いかける。
「6……いや、5.5ってとこかな」
甲斐斗は眉間に皺を寄せながら答えた。
「そっちは?」
「……同じくらいかな」
甘めに見積もっても書き上がっているのは全体量の半分だったが、俺は少し見栄を張った。
俺も自分のPCの電源を入れるが、こいつがまた起動に時間のかかる代物だ。手持ち無沙汰で横目を甲斐斗の方にやると、こちらもどうやら手が止まっているようだった。
「『ひとつの記者団』はどうして、財源の内訳を公表しているのか……」
甲斐斗が俺の視線を知ってか知らずか、不意にそんな言葉を漏らす。
「そりゃ、……資金を援助や寄付している各国各団体が、私達はこれだけ自由報道への理解がありますとアピールできるからだろう。NGO側もそれを公表することをある種の報酬として資金調達してる訳だ」
俺は、とりあえずパッと思いついたことを答える。
ひとつの記者団とは、ジャーナリストによる非政府組織である。各国のメディアが偏向報道や隠蔽を行なっていないかなどを監視しつつ、不当な扱いを受けるジャーナリストの救出活動などに尽力している。『報道の自由度ランキング』を発表することで日本でもそこそこ知名度のある団体だ。
俺の言葉を受け、甲斐斗も続ける。
「でも、それは裏金を匂わせないための措置でもあるハズじゃない? 仮に記者団が公正でないと疑うなら、多くの支援を行なっている国が忖度されていると誰もが考える。けど資金繰りが公表されているなら、露骨な忖度は行いにくいでしょ」
「まるで、裏金で偏向報道を働きかけようとする国ばかりだから、資金繰りを公表せざるを得ないような言い草だな」
俺の言葉に含みを感じたのか、ここで初めて甲斐斗がしっかりとこちらに目を向けた。
「組織の建て付けで性悪説を考慮するのは当然の事だよ。どこから支援を受けているかも判らないような報道機関なんて信用できる?」
「……でもそこを打破しないと、お前が毎度熱弁してる“皆が信じられる公正な単一報道組織の樹立”は達成できないって認める事になるんじゃないか」
甲斐斗がいつも嫌というほど頭を抱えている問題だ。その理想は理解できるが、達成はほぼ不可能に近い。
「……そうだね。本当ならNGO側も把握できない完全匿名での寄付金でのみ支援できる報道組織であるべきなんだ……でも匿名寄付は名声はおろか免税すら受けられない。寄付する側にメリットが無さすぎる。……そんな構造で充分な資金を集めるとなると……」
甲斐人は独り言モードに入ってしまった。
俺のPCも立ち上がった事だし、甲斐斗にちょっかいばかりかけていないで自分の作業を進めなければ。
「報道しない自由を打ち破るには……数多のジャーナリストにスポットを当てる事が不可欠だ。例え個々の発信側が利害関係に縛られていても、その分布が広ければ平均して公正な報道足り得る。……だが不用意に報道倫理を欠く者は排除が必要。その線引きはできるのか?」
今度は俺が、進まない執筆に痺れを切らして呟く。
「難しい問題だね。でもそれが出来なければ、君が毎度熱弁してる“数多の報道の並列比較機関の樹立”は無秩序を生むと認める事になるんじゃない?」
甲斐斗は先程の仕返しかのように、俺の問いに乗ってきた。
俺はそれに気を良くして話を続ける。
「報道倫理の在り処はどこにある? 例えば……報道すると国益を損ねるスクープがあったとして、それでも知る権利に準じて報道することを良しとするか。ジャーナリスト一個人が利益衡量を持ち込むべき問題なのか」
「どうだろうね……結局のところ国民的合意が得られるか次第に思えるけど、それは報道が済んだ後にしか分からないよ」
そこに何か引っ掛かりを感じ、俺は手探りに掘り下げる。
「国民的合意……つまるところ印象値による多数決。だがそれが必ずしも最大多数の最大幸福を満たすとは限らない。情報が多角的であるほど受け手側にアウフヘーベンの余地が生まれると思っていたが、健全性の視点からは報道を控えるべき局面も検証する必要がありそうだな……」
今度は俺が独り言モードに入ってしまう。
それからしばらくは、キーボードのタイプ音だけが狭い部室内に響いていた。
――報道するのが人間の時点で、完全な公平公正などあり得ないのか。
俺が言ったのか、甲斐斗が言ったのか定かではない。ただ、そんな言葉がふと漏れる程に、俺達の議論は煮詰まっていた。
「俺達はまだ学生だぜ。何も背負っちゃいない。夢を語るのも自由だろ」
そんな俺の言葉に、甲斐斗はやはり視線をくれなかったが、口角を僅かに上げたのを俺は見逃さなかった。
きっとこいつの目から見たら、俺の方が屁理屈を捏ね回して我儘を言う幼子のように見えて、だから微笑んだのかもしれない。けれどそれを口にされたら、こっちだって異議を唱えさせてもらうさ。
俺たちはまだどうしようもなくガキで、けれどその事に自覚的である事を免罪符に夢を語っていた。
そんな取り留めもないやりとりから十余年。
一度は報道業界へ入るも、夢半ばで断念。
その後、1人はタクシードライバーに
そしてもう1人は――
「――甲斐斗……お前、こんなところで何を……?」
「……乙郎」
中枢先進医療センターの病棟は、窓越しの夕日でオレンジ色に染まっていた。5つの影が映し出された廊下で、そのうちのひとつが大きく揺らぐ。
気付けば、俺は甲斐斗の胸ぐらを掴んでいた。
手入れの行き届いているコートに無数の皺が入る。政府のための情報操作に尽力しているとされる、公安6課の白いコートに。
「何だよその格好は! ふざけんじゃねぇ! お前は、お前だけは! そんなトコにいちゃいけねぇだろ!」
俺は一通り言葉を吐き終え、甲斐斗の瞳に気付く。
今まで見たどんな色よりも、深く、冷たく、暗い色を灯した視線がこちらに向けられていた。俺の知っている瑞々しい輝きはもうどこにもない。
甲斐斗は一呼吸の間を置いて、胸ぐらを掴んでいた俺の両手を払いのける。
「君に説教される筋合いは無い。話すつもりもない。これ以上楯突くのなら、公務執行妨害をくれてやる」
さっきまでハヤトを諌めていた口調とは明らかに違う、憎悪と侮蔑に満ちた声色で、俺の元友人は告げる。
甲斐斗はコートの襟元を整え直すと、最後に一瞥くれて踵を返した。
少し遅れて翻る白いコートが、やけにスローモーションに見えた。




