038話 その声色はセピア
ハヤトから封筒を受け取った翌日――土曜の昼には確かに立会人が病室に訪れ、俺と菖は世間より1日早い投票を終えた。
「なんか、あっけないね、投票って」
立会人を見送った菖がそう漏らす。
「そういえば菖は、初めての投票になるのか」
「うん。なんだかんだで、ね」
コンフルエンサーの活動をしていた菖は当時16才。都知事選直前に事故に遭ったのだから投票どころではなかっただろうが、どちらにせよ当時の16歳に選挙権は無い。
その後、1年ちょっと前くらいに衆院選があったが、菖はその時も投票に行けなかったのだろう。田舎で療養中の身であり、アイリスの顛末を考えれば選挙自体に拒否反応を起こしていたとしても不思議ではない。
今でこそ何かの覚悟があってこの地へ帰ってきてはいるが、そこへ至るまでの葛藤は推して知るべしだ。
「さーて、テレビテレビ」
菖はすぐにテレビのチャンネルを回す。
投票日前日の今日のニュース番組では、最期の選挙運動に奮う各立候補者が特集されていた。
『――次は、国民清粋党党首の新垣治さんに中継がつながっております。新垣さんー? 明日へ向けての意気込み、国民へのメッセージ等、伺ってもよろしいでしょうか』
アナウンサーから画面がスイッチされ、端正な顔立ちの中年男性の映像に切り替わる。選挙戦へかける意気込みからか、あるいは緊迫した日々が続くからか、濃い皺の刻まれた眼元と鋭い眼光が印象的に映る。
『“報道革命”と呼ばれた闘いは、日本のパンゲア加盟という成果を挙げました。しかしながら、我が国の報道の透明性は未だ国民の皆様にご満足いただける水準にありません。その傍ら、民清党は国民の皆様のご理解を得ながらその議席数を拡大して参りました』
報道革命という単語はテレビにおいて放送自粛ワードだという噂が流れていたが、新垣はあけすけにそれを口にした。生中継ではカットする事もできず、アオ派にとってのナラティブを印象付けた。
新垣は淡々と、しかし徐々に感情を込めるように語気を強めていく。
『我が党は皆様のお声を糧に、遂にここまで参りました。この国を、自在に情報操作できる支配階級だけの物にしておいてはなりません』
『国民誰しもが、今、日本で何が起きているのかを知ることができる。決断の材料が不足無く行き渡る。そんな国になれると私は確信しております』
『国民の選択こそが、国を変えるのです』
隣の菖が、珍しく黙ってテレビに釘付けになっている。
5年半前、配信者の転落死を受けて清廉情報思想が台頭した。その最中、世間の欲求に応えるかのように頭角を現した政治家がいた。
それがこの男、新垣治である。
彼はそれまで身を置いていた皆国党を離党し、当時38歳という若さで国民清粋党を立党、今日までその党首を務めている。
立党直後の衆院選では候補者を揃えられず、新垣含め4名のみの当選であった。しかしその後、民清としては初となる参院選では、時代の後押しによりなんと46議席獲得という大健闘を見せた。これは当時の半数改選で54議席を獲得した皆国に肉迫する勢いである。それは、民清を支持しているのは決して若者だけではない――という事が明らかになった選挙でもあった。
そして今回の参議院で78議席以上を獲得すれば、単独で参議院の過半数を占めることになる。
これこそが、テレビ局員も口にしていた大番狂わせである。
歴史を紐解いても、一度の参院選で78議席もの大勝をした政党は無い。しかしここまで急成長を遂げている民清党ならあり得るのではないか――そんな機運が高まっている。
その勢いを後押しするのが16歳選挙権、言い換えるならサファイアデモクラシーの力である。そしてこの選挙権年齢を16歳へと引き下げるのに、与党時代の新垣治の働きかけがあったと噂されていた。
相変わらず、とんでもないスケールで画を描く人だ。
「何その知り合いみたいな言い草」
思わず口から溢れて俺の言葉に、菖が反応する。
「……ただの先輩だよ。大学のな」
「なにそれ。10コ以上離れてるじゃん」
「あぁ、サークルのOBなんだ。会った事は一度だけしかないし、向こうは覚えちゃいないだろう」
あの日、母校に用があったのか新垣治は大学を訪れていた。そして彼は学生時代に所属していたサークルに、少しだけ顔を出した。その廃部寸前だったサークルに、当時在学中だった俺は所属していたのだ。
「大学のサークルも廃部寸前って……会社も潰れるしおつろーくん何気に疫病神体質? 橘営業所も心配になってきた」
「ちなみに俺の代が卒業して正式に廃部になったよ」
俺は意地悪に返すが、菖はもう黙ってニコニコしている。まるで、俺の次の句を促すかのように。
そうか。
大学時代、サークルなんて単語を出せば、菖は当時の俺を聞きたがるのだろう。そのくらいは俺も自惚れる。
そんな風に自分に単純な興味を向けてくれる人は、ここしばらく身近にはいなかった。だからというわけではないが、ここは煙たがらず昔話に興じるのもやぶさかではない。
話すのを憚られるような過去もひとつやふたつでは無いが、学生時代の頃の話を恥じるほどもう若くもない。
どうせ、ハヤトに軟禁されているこの部屋にはテレビ以外の娯楽は無いのだから。
「もう10年以上前か」
俺が話し出す言い訳を脳内で並べている間も、菖は笑顔で待っていた。




