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絵空事イデオロギー  作者: 千枝幹音
第10章 綺麗事ホワイダニット
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195話 兵どものフィロソフィー

「joxiの闇はまだまだ深い……その裏取りができるこのタイミングを逃す訳にはいかねぇ」


 もう俺たちの身体も随分と冷えて、おやっさんはこの場を切り上げようと締めの言葉を口にした。

 災害という政治が綻ぶ千載一遇のチャンスに乗じて、取材を裏付ける証拠でも見つける算段がおやっさんにはあるのかもしれない。


「お前たちもよく一人前になった……じゃあ達者でな」

「待って下さい!!」

 暗闇へと踵を返そうとしたおやっさんを、俺は強い言葉で呼び止める。


「俺はおやっさんに伝えたいことがあってここへ来ました」



 ――伝える事で、で未来を変える。

 昨日、日笠ファクトリーミュージアムのバックヤードで、俺はそんな啖呵を切った。


 けれど俺がここまでやってきたことと言えば、他人の発信力に縋るものばかり。ハヤトとメイの共演を取り継いだり、甲斐斗に郷田を説得してもらったり、桐谷先輩の立場を利用した投稿案を出したり。そんな話を聞いたNEXTopicsやアイリス――菖だって、今まさに大勢に向けて発信してくれている。


 語り手が必ずしも自分である必要はない。

 大切なのは情報が端々にまで行き渡る努力をすること。

 それはかつて慈愛の庭の件で、おやっさんが自分の取材資料を大手メディアに持ち込んで世論を動かしたような、情報格差を埋める為の最善手。

 だからそのやり方に迷いはなかった。


 俺に戸惑いがあるとしたら、パンゲアの消えた世界で人々に届けようとしたそれは果たして世論への恣意的な誘導ではないのかということ。無機質無感情であれたのかということ。


 アオとシロ、両極端の仲間を集めた。

 発信だってそれぞれの自主性に任せた。

 日笠の内情を周知したメンバーばかりであったことは偏りではなかったか? タイムリミット付きの拡散は結論を急かすものだったのではないか? それらは本当にフェアだったのか? 俺が裏で先導した白青の結託と、与野党の結託は何も変わらないんじゃないか?


 すると、今になってアカリの言葉が思い起こされた。


 ――そうやって無機質でいる事がフェアだと思ってるみたいだけど、キミは無感情なんかじゃないって気付いてる? むしろ万人をケアしようとし過ぎるから、それでなんかフェアっぽく振る舞えてるだけに見えるぜ。


 そうだ。

 フェアを目指す必要はあるが、それが全てではない。

 今の俺に見える自分は、あの頃とは変わっていた。


「事実のみを提示し、その先の判断は読み手に委ねる。それがおやっさんのジャーナリズムでしたね」

「ああ。例え一人になっても、一人の人間が追求できる可能な限りの事実をかき集めて、俺は人々に届ける。お前のジャーナリズムもそうだと思っていたが見込み違いか? ……俺は今も昔も変わらん」


 おやっさんの視線が鋭く光る。

 このタイミングでこんな確認、挑発的な態度と思われて然るだろう。


 俺は緊張しつつも言葉を続ける。

「もしタクシー防災が公にならなかったら、何百万もの若者による群衆事故が引き起こされました。……おやっさんはそれを許容していたのですか?」

「若者の電磁パルス被害は国民に知る権利のある事実だ。俺が許すかどうかの問題じゃねぇ、そうだろうが」


 それは必要最低限の反論。

 しかし俺にはその高潔さが嫌というほど理解できる。


 それでも、俺はおやっさんに確認しなければならない。


「たとえそれで、貴方の大切な人が危険に晒されてもですか」

「愚問だな。俺のジャーナリズムに私情が挟まることはない。タクシー開発の真実も、米国との癒着も、パンゲアの瑕疵も全て、国民が知らねばならん事実だ」


 研究レポートが公開されようと、災害に見舞われようと、そして政権交代しようと、もし安全保障上の共同プロジェクトであるなら国の都合で一方的に打ち切ることは難しいだろう。

 デバイスジャックの研究だけならまだしも、50万台規模のタクシー開発に関しては米国の投資額も勘定に絡んでくるのだから。


「政権が変わろうと、国交省はjoxiを推奨し続ける……いや、今回の防災が上手くいきゃ、投資の成果で日笠タクシーを用意できただの世論誘導して、大手を振って予算を投入する口実になるかもしれねぇ。隠そうとしていた事など無かった事にして、更なる隠蔽の上塗りだ。そんな事は俺が許さねぇ」


 民清の支持層は若者が中心だ。だから彼等を救った技術に対し新垣が肯定的な姿勢を見せても大きな反感を買う事はないだろう。そうして裏の利権は我々の知られざるところで、政権に関わらず連綿と守られていく。

 治安を守る為、隣国との関係強化の為、国防の技術発展の為……それが国益だという大義名分は政治家達の負い目を和らげ、パンゲアを出し抜く取引すらも確信犯的な心理で正当化しているのかもしれない。


「だが報道はそんなものに忖度しちゃいけねぇ。皆に知る権利のある情報が独占されているのなら、それを白日の下に晒して格差を埋めるのが俺の仕事だ」


 あぁ、やはりおやっさんはかっこいい。

 そこに強きを挫こうだとか、弱きを助けようとだとか、あるいは世を正そうだとか、そんな理由付けはこの男に無いのだ。


 無機質無感情、故に公平公正な取材人間。

 皮肉にもそれは今、パンゲアの上を行こうとすらしている。


 それでも俺は憧憬を伏せ、遂に最後のカードを切る。


「その件で俺からも提供できる情報があります」

「……ほう?」


 俺は聡美さんから受け取ったとある資料の写しを取り出す。


「衆議院解散を見越してデバイスジャックの研究チームも解散しました。しかし災害での犠牲者を一人でも減らさねばと、義憤に駆られたメンバーが秘密裏に研究を進めていたのです」


 おやっさんは俺からその研究についての書類を受け取ると、一枚目に目を通し一部を読み上げる。


「“筆頭研究者郷田聡美”――この資料にどれほどの信憑性があるかは疑問だが……少なくともこんな記録を付け続けてるって事は、軍事機密を扱う研究チームを再結成するのも既定路線か。その筆頭が郷田和義の娘とはスキームが透けるな……だがこりゃおいそれと外に出せる代物じゃねぇ。こんなモンどうやって手に入れた?」


 聡美さんがどんな想いで研究を続けているかは簡単に推し量れるものではないが、これを託してくれた想いには報いなければならない。


 俺はおやっさんの疑問を棚上げして続ける。

「郷田聡美率いる研究チームの残党は、先月から臨床試験に手を出しました。実験に有益な被検体を手中に収めた為です」

「人体実験……災害までの短い期間で焦った連中の行き着く先としちゃ妥当だな。だが法外な手段の上に成り立っているのなら尚のこと、それは先ず民衆に問うべき事実」


 そう言いながら、おやっさんのパラパラと資料をめくる手が止まった。


「…………どういうことだ?」


 おやっさんは静かに、しかし珍しく動揺を隠しきれない声色でそう言った。食い入るように資料を見ているが、その内容を即座に飲み込めないのも無理ははい。


 だから俺の口から、その事実を突き付けてやる。


「被検体に名乗りを上げたのは、視覚を失った事でデバイスジャックの症状が強く顕れた少女でした……彼女の名は、鷹野菖」


 俺とおやっさんの間を、一際強い海風が吹き抜けた。


「菖が、研究に加担を……? 視力が戻ったのか……いや、スマホの画面を知覚? 着信過敏や電子レンジ頭痛を遥かに超える進行度の初の症例だと……!」


 寒空の下、海風ではためく資料を抑え付けはがら僅かな灯りで読み進めるおやっさんの手付きには、流石に焦りが見える。


 娘が事故で視力を失って以来、おやっさんは3年に渡り家族との連絡を絶っていた。菖がおやっさんの動向を掴めなかったのと同じように、おやっさんもまた娘の今を知らない。


「娘さん……菖さんには今、世界が視えています。一時は不安定になりながらも、郷田聡美の手を借りて視界は安定しつつある。そのお陰で2人の関係は良好となり、菖さんも研究に協力するに至ったのです」


 鷹野家に眠るテープレコーダーを俺が持っていたのだから、菖と接触した事に疑問はないだろう。しかしまさかそこまでの道筋が逆順だとは思うまい。

 けれど今はその説明に時間を割く気はない。


 俺はトドメの一言を放った。


「自分の意識から1番遠い当事者の言葉にまで耳を傾けてなければ、正確かつ客観的な報道には至らない――鷹野菖にこの件を取材して下さい……!」


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