192話 【SIDE-秋山圭一】ツァイガルニク・レポート
―磁気嵐到達まで残り2時間01分―
乙郎サンの運転するタクシーは建設エリアを抜け、人工島の端に位置する開けた埠頭に停まった。
「着いたぞ、秋山」
助手席に座る自分に、乙郎サンはそう合図した。
ドアを開けば、冷たい海風に乗った潮の香りが鼻を突く。
ここは東京湾埋立地第七號島。
今は真冬で日の入りが早く、辺りにはとっくに夜の帷が降りている。
自分と乙郎サンは日笠に仲介してもらう形で、遂にここでおやっさんと顔を合わせる運びとなった。
この一帯はかつて戌亥団地と呼ばれ、戦後の労働者が住まう集合住宅地だった。でも今はベイエリア再開発の煽りで住民の立ち退きが進み、現在はハイソ向けのレジャー施設やタワーマンションが建設されようとしている最中だ。
平時ならまだ工事中の時間帯。
けど今日は太陽フレアによる緊急事態宣言に従っているっぽいことが、辺りの閑散とした空気から窺える。
大型トレーラーの行き来するようなそこは、街灯の間隔が広く光量が足りていない。タクシーを降りるとたちまち孤独感に襲われそうになる空間で、波の音だけが不気味に轟いている。逃げ出してしまいたい衝動に駆られるような場所だったけど、帰国してすぐの会合を呑んでくれたおやっさんが指定したここで待つ他ない。
「……結局、日笠のトコ乗り込むのに自分を連れてった理由は、都築サンを釣るエサだったんスね」
自分の弱い部分ばっかに目を向けてると、今更になってそんな不満が漏れる。冷たいタクシーに寄りかかりながら、温かくない気持ちを口走ってしまう。
「やっぱり気にしてたか……まぁそう取られても仕方ない仕打ちをしちまったが、お前があそこに居てくれた事には価値があるって信じてるぞ」
「価値を持たせるのは自分次第ってコトっスかね。相変わらず乙郎サンはスパルタっスね~」
「そう言うな。今日だって頼りにしてんだ」
他愛無い憎まれ口も乙郎サンは気にしてない様子で、自分の弱気は行き場を失い白い息と共に闇夜に塗り潰されていく。
本当は解ってる。
今日ここでの会合も、おやっさんを追ってきた人がたくさんいる中で、乙郎サンは迷いなく自分に声をかけてくれた。
いくら互いの環境が変わっても、音信不通の時期を経ても、未だに自分が一番尊敬している先輩。
この人の横で、自分に何ができるだろう。
乙郎サンは記者の仕事を辞めてなお、その信念は揺らいでないのかもしれない。そう思い至る理由があった。
乙郎サンが自分に連絡をくれてから実際に浜松を訪れるまでの10日もの猶予。リークを止めるため一刻も早く日笠を詰めたいハズなのに、その期間は随分と悠長に感じる。そして乙郎サンはおやっさんのリークを許してしまった事にさほど動じず、次の手を周到に用意していた。
もし、乙郎サンが実はおやっさんのリークを望んでいたのだとしたら。
民衆が知る事で初めてジャーナリズムはスタートラインに立つのであり、個に依存する利益衡量を用いて報道の取捨選択をするべきではない。だからどの立場にも寄らず、事実のみを無感情に提示することこそが報道の役割である――そんなおやっさんの信念は、まだ乙郎サンの中でも生きてるんじゃ……
「久しぶりだな」
不意に、低く懐かしい声が響き、意識が引き戻される。
無骨なアスファルトが続く先で、大きな人影が冷たい海風でコートをはためかせている。
かつて報道業界に名を轟かせた豪傑、小鳥遊丈が立っていた。
180を超える体躯に宿る筋肉がそのシルエットから感じられる。心許ない街灯で浮かび上がるその相貌も、以前よりさらに迫力を増していた。髭は濃くなり白髪交じりの毛髪も荒々しく伸び、くっきりした目元の皺がその眼光を際立たせている。
「お久しぶりです」
乙郎サンが応える。
「会いたいと言ってきたのはお前だ。……話を聞こうか」
ともすれば怒っているかのような気迫で、おやっさんは言葉を促す。
「こちらの要件を話す為には、先ずおやっさんがどういった行程を経て来たのかの認識を擦り合わさせて下さい」
「……言ってみろ」
そこから先は、まるで取材報告の時ような、事実と所見、そして推理を披露する場となった。
乙郎サンは説明した。
おやっさんがずっと日笠を追っていたであろうこと。その過程で日笠と協力体制になって研究データのリークに至ると読み、こちらも内藤さんに接触したこと。
「――皆国党は秘密裏に行っていた研究の公表や災害対応そのものに日和り、全ての事実を隠蔽しようとしました。しかしおやっさんによって研究データがリークされた結果、郷田はタクシー防災案の開示を余儀なくされた」
「謙遜するな。リークが完了したとて、皆国がタクシーの件まで公表する可能性は高くなかった。郷田の背中を押したのはお前たちの働きかけだろう? ……悪くない成果だ」
現状ではタクシーの有用性を確信することもファクトチェックする事も不可能。何故なら未曾有の災害と新病理の合わせ技により、検証が圧倒的に足りてないから。パンゲアが認めないであろうそれは、おやっさんがリークしても価値が薄い。だから政府からの発信に託すしかなかった。
リスクを負える政治家が現れなければ日笠の目論見は達成されない。情報格差を無くすべく動いているおやっさんにとっても、タクシーの有用性が公表された事は望む結果。そしてそれは、乙郎サンの持ち込んだ話で都築サンが郷田と交渉した事により結実した。
「だが、俺は日笠の望みを叶える為だけに年月を費やした訳ではない。6年前に狙いを定めたスクープはまだ道半ばで、しかし達成の芽がでてきた」
そうだ。
そもそも郷田と日笠がデバイスジャックの研究に介入したのはここ3年ほどの話。おやっさんがそれ以前から追っている謎はもっと深いところにある。
おやっさんの見せた不敵な笑みを前に、乙郎サンはその先の推理を告げられずにいた。そこにはまだ自分たちの知り得ない、おやっさんにとって悲願のようなスクープがあるとでも言うんだろうか。
「圭一、お前は?」
「えっ――?」
2人の会話に集中していた最中、不意に話を振られて戸惑ってしまう。
そうだ、おやっさんはいつも経験の浅い者から順に意見を仰ぐ。この場での現場経験は、もはや橘サンより自分の方が上。おやっさんの眼光は、そういう扱いでこちらを見ている。
自分も何か、一端の洞察と推論で能力を示さなければ……!
そんな思慮は持ち合わせていないハズだったのに、どういう訳かその言葉が口を突いて出た。
「……契倫会と民清党が繋がってるとしたら」
隣で乙郎サンが息を呑むのを感じた。
この推察は、衆院選が始まってから自分の中でずっと引っかかっていた可能性だった。だけど余りにも突飛なそれを、これまで口にできずにいた。
しかしおやっさんともあろう人が6年もかける価値があるとするなら、そのくらいの陰謀渦巻くスクープでもおかしくない。
自分だって、乙郎さんの誘いを受けてただ待ってたわけじゃない。
2人を前に、ゆっくりと自分なりの説明を始める。
根拠は3つ。ひとつひとつは千切れそうなほど細くとも、縒り合わせればそれなりの太さになると信じて、並べる。
「まず違和感を覚えたのは、小選挙区の擁立動向っス――」
今回の衆院選、民清のコアメンバーと契倫会候補者の小選挙区に全く被りが無い。コアメンバーというのは近年他党から鞍替えしてきたネームバリューのある有力候補者ではなく、目立たなくも新垣を長らく支えてきた彼が最も信頼してるだろう古株の党員たち。
だからその候補者一本化の動きは非常に目立ちづらかったけど、互いに潰し合いたくないという意思の現れに他ならない。自分は取材班から外されていたので、暇を持て余して全体を俯瞰できた事により得られた気付きだった。
「そして、興津千代の民清党入党――」
彼女は野党議員としてかつての皆国党が政権与党となるのに一役買ったのに、その後すっぱりと一線から退いてしまった。18年後に今度は民清から出馬した彼女の姿を見ていると、まるで政治よりも政権奪取を楽しんでいるかのようにすら見える。
過去の曙テレビの取材資料をさらうと、当時の興津のインタビューで郷田と懇意だった事が窺える発言が見つかった。けど党内で無派閥を貫く孤高の女性議員を演出したかったのか、オンエア版ではカットされておりそれを知る者は少ない。
そんな興津を誘った新垣に、自分は疑念を抱いていた。
元を辿れば新垣だって皆国の党員。今後の契倫会との裏取引を視野に、興津に交渉役を求めていたとしても不自然ではない。
「それに、国会での予算審議があまりにも甘すぎるっス――」
民清は野党として日笠の公共事業を糾弾しているように見えて、実は肝心な部分を追求できていない。乙郎さんに連れられて日笠に赴いたからこそ、自分には日笠と国交省の強固な結びつきが実感としてあった。けど予算委員会の議事録を見返しても、民清の質問は利権や中抜きに集中していて技術的な仕様や運用実態には踏み込んでない。
だからやっぱり……本気で追求すれば突けるはずの部分を、新垣は意図的に避けている。そしてそれは間違いなく郷田に利する行為。与野党が国会で見せる鍔迫り合いなど国民向けのパフォーマンスで、真の弱みは見えない裏側で握り合っているのでは……?
あの挫折を味わったツワブキが追い続けた先にある真実は、それに相応しい壮大な闇であって欲しい――そんな願望による推理なのかもしれないけど、それでも自分はおやっさんの目を見て言い切った。
「だから契倫会と民清党の間には、癒着があるんじゃないっスか?」




