193話 暗順応
磁気嵐到達予測時間まで残り一時間半。
緊急事態宣言で人気の無くなったこの薄暗い埠頭で、真冬の海風を吐息で白く染めながら、俺と秋山はおやっさんと対峙している。
「――何の裏取りも無いっスが、民清と契倫会が繋がっているという可能性が脳裏をよぎったんスよ。おやっさんが6年追いかけてた道半ばのスクープって、それなんじゃないっスか?」
秋山のそれは、俺には届き得なかった推察であった。そしてその真偽は、おやっさんの顔を見れば遠からず当たっていそうなことが窺える。
おやっさんは珍しく、満足げににやりと笑みを見せた。
「圭一も悪くない推考だ。……良いだろう、ならば話そう。俺が見てきた全てを」
そしておやっさんは、辺りの物理的な寒さや昏さなど忘れてしまうような、深淵の話へと俺たちを誘った。
6年前。
俺と秋山が掴んだ、戌亥団地立ち退き騒動における派遣市民の存在。その追求を引き継いだおやっさんは、ツワブキ出版でベテランチームを編成して取材に当たっていた。
反対運動を扇動していたのは、ベイエリアにて行われる電波オークションの導入実験を恐れていたマスコミ。それはかつての秋山の読み通りだった。当時のマスメディアは今よりも遥かに幅を利かせており、派遣市民を動員して行われたネガティブキャンペーンの連日報道は、皆国党の支持率を確実に削っていた。
これに焦った皆国は、大胆な手を打つこととなる。
「総務相が各局の上層部を秘密裏に接待し関係修復を持ちかけた可能性――その尻尾をツワブキは掴んだ。これは立ち退き騒動激化当時にお前たち2人の報告を受け、派遣市民とその裏に潜むマスメディアの動向をどこよりも注視してた俺たちだから得られたネタだった」
総務省側が意見交換会の体で接待し、各局の局長と密約が交わされた疑い。
その結果なのかは定かではないが、皆国はベイエリアでの制度実験リストから電波オークションを削除し、将来的な放送免許制の改正案も全て白紙に戻した。テレビ局の利権を守る代わりに政府の報道を忖度させる――それは許されてはならない、けれどどこにでもありふれた癒着。
マスメディアは常に与党の味方だった訳ではない。その時々で自分たちに恩恵をもたらす陣営と組む事に長けた組織であった。
配信者転落死事件が起きたのはその密会のすぐ後だった。
総理と郷田の間で多少の紆余曲折を経て、皆国はこの事件をいち早く風化させるべく動く。政府はテレビ局との関係を地固めをした直後とあって、その力を利用すればどうにでもできると高を括っていた。
しかしそんな盤石だった皆国党から、新垣治が離党する。
新垣はまだ若い議員で、党内でもとりわけ目立った働きは無かった。けれど離党前の彼は与党議員の立場を利用し、手柄を先輩議員に渡す形で花を持たせながら、後の民清党に有利な下地作りを水面下で進めていたのだ。その功績の中には16歳選挙権なども含まれている。
配信者の転落死を受けて清廉情報思想が台頭した最中、新垣は世間の欲求に応えるかのように頭角を現した。国民清粋党を立党し、打倒現体制を掲げたのだ。民清はテレビ離れの進む若者の心理を巧みに掴み、報道革命へと至るムーブメントを牽引していく。
「俺たちツワブキは総務相の接待の裏取りを終えずして、世間から猛烈な非難を浴びて動けなくなっちまった。ソラ色なんてレッテルで社員も減り、記事はお蔵入りだ。あのツワブキ叩きのスピード感と徹底っぶり……俺らの持つスクープの種を芽吹かせたくない何者かが、裏で火付け役になってたんじゃねぇかと睨んでる」
それは秋山をはじめ多くの社員が転職しだした頃だった。
おやっさんは会社を巻き込むまいと、ツワブキ出版での真相追求を断念した。しかし一人のジャーナリストとしてはまだ諦めておらず、仕事の傍らで可能な限り随所の動向を注視していた。
そうして広く張った網の中には、日笠重工があった。
「住人には概ね望まれていた立ち退き、その受け入れ先の筆頭は浜松のとある工場地帯だった。……戌亥団地の取材当時はあまり気に留めちゃいなかったが、配信者転落死事件で日笠重工の名が出てからきな臭さを感じてた」
立ち退き先を日笠が斡旋していた事は俺にとって初耳だった。けれど正造氏が娘やその母に対する何かしらの贖罪として名乗り出たというのは、想像に難くない。
それが転落死事件の遠因となったのなら、あまりにも皮肉だ。
そしてそんな裏事情は知らずとも、配信者転落死事件の舞台と戌亥団地住民立ち退き先の符合、そこまでは多くの記者が辿り着けた事実だろう。マスメディアに与せず日笠を追求しようとした週刊誌のジャーナリストは、おやっさん以外にも当時はまだいくらでも居たのだ。
「だから俺は、お前の報告で知った事実を足掛かりにした。速水トオルの配信が中断された理由は世間で考えられているような日笠SPの実力行使ではなく、謎の電波妨害技術――そこに引っかかりを覚え、この国の電磁波関連の技術研究全てを洗った」
しかしそれでも、怪しいと思えるものは長らく見つけられなかった。そうこうしてるうちに『両輪』は廃刊に追い込まれていく。
そうしてツワブキの経営も限界に近づいてきたとある春。
この国でのパンゲアの運用が開始された……のよりほんの少しだけ前、ベイエリアの医療機関を拠点とするとある研究チームに多額の予算が追加されたのをおやっさんは見逃さなかった。
そこで扱われているのは知覚性デバイスジャック症候群――まさしく電磁波関連の研究であり、予算増額の裏に郷田の働きかけがあった事を調べ上げた。
そして直後に発表されたjoxiプロジェクトにおいては、従来の車内無線ではなくGHz帯の通信機器を搭載する旨が記されていた。これもまた電磁波技術にまつわる違和感だ。おやっさんはそこを足掛かりに、俺が報告した“軍需品の転用疑惑”の観点で日笠製タクシーの仕様を洗う。
立て続けに得た手掛かりから、ピンポイントでヤマを張ったそうだ。すると綻びは見つかるもので、研究チームから日笠の技術部に流れるデータの存在まで辿り着いた。
おやっさんは遂に日笠遂に接触を図る。日笠を政府や研究チームより崩しやすい相手と踏んだのと、何より日笠相手には交渉のカードがあった。
「乙郎、お前の取材をダシにして、俺は日笠重工に乗り込んだ。お前がミュージアムで“ツワブキ出版の記者”と名乗ったのが効いて、日笠正造はツワブキ社長である俺との交渉の席に着いた」
おやっさんに鉄拳制裁を喰らったあの日、俺は依頼主がトオル本人であり日笠正造の娘だったということまで話している。おやっさんがどこまでを引き合いに出して日笠に取り入ったのかは定かではないが、あのボイスレコーダーを取り返しているのだから交渉は成立したのだ。
そして、日笠はデバイスジャック研究の磁気嵐被害レポートの写しをおやっさんに託し、皆国に隠蔽されそうになった時のカードとして協力態勢に至った。
けれど“社会問題に対し両極端から取材する”というおやっさんの信念に基づけば、日笠に与してリークを達成し政府にタクシー有用性発表の圧力をかけるだけでは終わる筈がない。総務省とマスコミの官業癒着に端を発する旅の終着点としては、まだまだ納得できないことが多いのだから。
おやっさんは日笠と手を組む裏で、社員や期間工などに対しても秘密裏に探りを入れていたという話を続ける。
「――俺が当初漠然と怪しんでいたのは、投資金額と普及速度への疑問だ。日笠からは災害の切り札だからと聞かされていたが、それにしてはjoxiに仕込まれたシステム群がブラックボックス化され過ぎている」
それを解き明かそうと四苦八苦する間に公安にも目をつけられ、おやっさんはいよいよツワブキを倒産させる決意をした。しかしその後も日笠に匿われながら、更なる取材の日々が続く。
「だがそんなやべぇ爆弾も野党が具体的に追求しないお陰でいつまでたっても闇の中。アオ派の日笠への糾弾は利権関連に的が絞られ、資金運用についても中抜きへの疑惑が関の山だ」
「……与野党が結託して世間の論点を逸らして、裏では手を組んで監視網の計画を進めたということですか?」
話が繋がってきた。
秋山が口にした契倫会と民清党の癒着は憶測の域を出ない。しかしおやっさんは何年もの歳月を費やして、日笠側から政府を覗いて、より確信を持ってそこに至ったのだ。
けれどここまでの話ではまだ確たる証拠が無いのも確か。
「……なぜ、joxiのシステム群や車両のEMP耐性をここまで隠せてきたと思う?」
おやっさんは不意に、シンプルな問いを投げる。
それは皆国が野党第一党である民清の協力すら得て、国会でのタブーとしたからという話ではないのだろうか。それを口にしかけて、しかしひとつの見落としに気付いて言い淀む。
パンゲアがある現代において、口裏合わせだけでこんな大規模な計画を隠し通せるものだろうか。いや、正義感のある内通者のリークで簡単に瓦解する。
そんな疑問が渦巻く脳内で、俺が出した仮説はさらに突拍子も無いものだった。
「……パンゲアが、操られてる?」




