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絵空事イデオロギー  作者: 千枝幹音
第07章 回顧録メタノイア
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119話 不偏不党原則の孕む功罪

 2人で既に満員と言わんばかりの狭っ苦しい俺の部屋で、視線が交差する。

 俺がこの件の真相に近づくにつれ感じていた苛立ちの源は、失望感だった。


「俺は、トオルやお前が公正な報道を目指す上で無茶してるんだと思ってた。やり方に同意できない部分もあったが、少なくとも自身のジャーナリズムに基づいた情熱的な行動なのだろうってな」


 一度飲み込もうとした筈の言葉が、形を変えて漏れる。

 目の前のアカリは、俺の感情が理解できないと言わんばかりに、不安そうに俺を見つめている。


「でも結局は私怨だったんだ。あの動画チャンネルで発信力を高めたのだって、父親への復讐の効果を最大にするために過ぎないんだろう」


 日笠の跡取り問題には、掘ればいくらでもネタが埋まっていそうだ。その隠し子の告発ともなれば、倫理的観点からも世論を焚き付けて糾弾できるに違いない。だからトオルはその告発の注目度を上げる為に、トピックストリーマーなる活動を始めたのだ。


「何が新しい報道のカタチだ。ジャーナリストを装っての私的な意趣返しなんて、フェアじゃない……!」

「……ごめん、何に怒ってるのか分からない」


 あぁ、そうだろう。

 俺が勝手に期待したのだ。


 念願の記者の仕事に就いて早4年、学生時代に思い描いていた理想が擦り切れていくのに心を痛めていた矢先だったのだ。トオルの動画は曲がりなりにも俺の心に響いた。アカリの見解はトオルの主張と俺の信念を橋渡しをした。

 だからこの2人に、一瞬であれど俺のジャーナリズムを預けてしまった。その先に俺の理想の落とし所を求めて、期待してしまった。それはきっと、第七號島の案件を取り上げられてしまった俺が、次の案件を無理矢理にでもポジティブなものとして捉えようとした、そんな弱さが招いたものだ。


 しかし、トオルの主張はジャーナリズムの体裁を保つためだけのもので、真の目的は私怨による復讐だった。


「私怨の何が悪いの? ボクは依頼主で、主観を客観にするのがキミの仕事じゃんか」


 アカリの語気も徐々に強くなる。

 呆然とした表情が、少しづつ怒りに染まっていく。


「自分の心が動いたからこそ、人の心を動かす記事が書けるんじゃないの? 当事者の心に寄り添わないでどうするの!?」

「俺の立ち位置は常に中立だ! この件が御家騒動でお前達の言い分を記事にするなら、日笠側の人間にも取材を入れなければならない。俺にとって大事なのは片方に肩入れせず、双方の情報格差を無くすことだ!」


 お互い、自分の吐き出したモノを反芻するかのように、このワンルームに沈黙が流れる。


 俺に押し寄せてきた感情は後悔だった。

 本当ならこんな感情の吐露を依頼人にすべきではない。俺が一方的に抱いた期待だって、この依頼の事情とは関係がない。

 これがツワブキの応接室ならこんな醜態は見せずに済んだだろう。でもここは俺の部屋で、この女が距離を詰めてくるから、俺の心の内が堰を切ってしまった。

 そんな自分の至らなさを依頼人に見せてしまったことを、後悔してももう遅い。


 アカリは、いつもの茶目っけのある笑みでは無く、冷笑とも嘲笑ともとれるような笑みを浮かべた。

「あぁ、そうか。だからキミだったんだね」

「っ――、……は?」


 アカリは唇を噛み締めるとその意味深長な言葉の続きも寄越さず、踵を返して足早に部屋を出ていった。


 玄関の閉まる音が響き、ひとりの部屋でそれが鳴り止むまで俺はただ呆然と立ち尽くしていた。



 最悪だ。

 俺ひとりが受け持っている案件で、依頼人との信頼関係が失われてしまった。しかもその発端は至らない取材技術が招いたものではなく、俺の押し付けがましい感情の所為だ。


 言うまでもなくこんなミスは初めてだった。ここ数日で第七號島のお手柄から同窓会で理想に酔って、俺自身のジャーナリズムが刺激されたところでトオルの件に触れてしまった。第七號島の件から降ろされたのと引き換えに担当したトオルに対して、膨らんでしまった期待で認知が歪んでしまったのだ。


 アカリにしてみれば、俺の態度はとんだお門違いだろう。

 確かにアカリだって必要情報を事前に開示していないのだから、信頼関係が築けなかった落ち度は向こうにもある……なんてのは俺の言い訳にしかならない。


 あぁ、会社へのレポート提出が億劫だ。

 昨日今日の報告分だけを考えれば新たに得られた情報は多いが、しかし今後もこの案件を追えるのか俺にはもう分からない。ここまで拗れてしまっては、依頼人のアカリがこの取材依頼を取り下げてしまうこともあり得る。


 けれどツワブキは探偵事務所じゃない。

 アカリが依頼を撤回しても、スクープを追い続けるかどうかはこちら次第なのだ。当然アカリからの協力は得られなくなるが、今あるネタで関係者を当たっていけば、日本有数の大企業の御家騒動という特ダネをモノにできるかもしれない。


 当事者に情が湧いてスクープに目を瞑るなどということは許されない。しかし記事にするならアカリやトオルの言い分も記事にしなければ、ツワブキとしての、そして俺の筋が通らない。

 しかし反面で、取材対象が望んでいない形で我々が代弁の姿勢をとることは、報道の大義を過信した傲慢な行為だ。そんな心得をおやっさんから教わってはいたが、実感が伴ったことで今更になってその真意を理解した。


 タイムリミットの問題もある。

 関係者全員への取材は理想だが、スクープの鮮度だって犠牲にはできない。だから俺の落ち度でアカリやトオルへの取材の機会が失われたとしても、この案件が早急に社会に開示すべきものだとおやっさんが判断すれば記事にしなければならない。俺の技量で乗せられる分だけの理想と現実を天秤にかけなければならない。

 そんな事を考えている時は、この仕事が嫌いになる。



 速水アカリと名乗るあの女。

 あいつに随分とペースを狂わされた。会って小一時間で俺の懐に入り込み、気付けば俺のワンルームに上がり込んでいた、今回の依頼人。


 ――プライド高そうな割に自己評価は低いんだね

 あぁ、そうだよ。そんな事は俺が一番、嫌と言うほど身に染みている。でもそんなに易々と見抜かれるとは、自分の言動を見直さなければならない。


 ――兄貴みたいな人が増えれば、世界はきっと良くなってくね

 今となっては曲解してしまっただけかもしれないが、その言葉は俺をときめかせた。トオルの行動を全肯定はできないが、後に続く者たちが現れれば有意義なんだ。それは掠れかけていた俺の理想とする初心を思い出させてくれた。


 ――知らないどこかで頑張ったり苦しんだりしてる人が居て、でもそんな人たちにスポットを当てられるなら、報道って素敵な仕事

 そんな事を語るアカリに、俺はどこか惹かれ始めていたのかもしれない。だからこそ勝手に裏切られた気分になって、要らぬ事を捲し立ててしまった。



 我ながら、格好がつかない。

 もう後輩もできていつまでも未熟じゃ居られないというのに。


 こんな体たらくじゃ、甲斐斗にも顔向けできない。

 俺より大きな会社に入って、俺の知らないお洒落な店にも詳しくなって、俺が門前払いされるようなシークレットな社交場にも招待されるジャーナリスト。随分と差をつけられてしまった気持ちになる。



 俺は静かになったこの部屋でベッドに仰向けに倒れ込み、そんな卑屈な考えに沈んでいった。


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