3 初恋と十年ぶりの恋
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朝、ケータイのけたたましい電子音で僕は目を覚ました。
あの夢は何だったのだろう?
僕が大学二年生になっていて、変な先輩がいて、目標だった若返り薬を完成させていて、妙にリアルな夢だったなと思う。
でも、夢の中で僕は、庭で育つバラたちがなっちゃんから送られたものだということを語っていた。もしかして、昨日学校で居眠りしながら見た夢と今朝見た夢は繋がっている?
朝六時半の金曜日。まだはっきりとしない意識のなかでも、習慣であるバラの水やりをするために体は勝手にベランダへと進んだ。
庭のバラは、お母さんが昔から大切に育てているバラだ。ベランダのバラが、なっちゃんから送られたものだった・・・?まさか。
ホースを持ち上げ空を見上げながら、僕はなっちゃんのことを思いだした。
「太陽が空に昇ってて明るい時でも、お星さまって見えるんだよ」
今でもなっちゃんのことを忘れられないのは、あの時の笑顔があまりに印象的だったからだ。
なっちゃんとの出会い、それは十年前のことだった。
十年前、小学二年生の四月頃、入学式から三日遅れてなっちゃんが僕のクラスにやってきた。
「××から来ました。パパのお仕事の都合で新潟まで引っ越してきました。よろしくお願いします」
彼女は僕の隣の席になった。授業中、ノートを手で乱暴に切り取り「おれは健、よろしくね!今まで住んでたところって、新潟から遠いの?」と鉛筆で書いて渡した。
しかし、彼女はそれを受け取ると、すぐに折りたたんで一言、「うん、よろしく」と感情なくつぶやいた。僕の質問が無視されて、まるであなたなんてどうでもいいです、と言われたような気がして悔しかった。それ以来僕は隙あらば、彼女に積極的に声をかけるようになった。しかし、彼女から帰ってくる言葉はいつも一言。「うん」「そうだね」それだけ。ちっとも心を開いてくれなかった。僕以外のクラスメイトに話しかけられた時も同様、彼女の対応は素っ気ないものだった。彼女はかたくなに友達を作ろうとしなかった。
転機が訪れたのは、彼女が転校してきてから二週間ほどが経った金曜日の夜だった。思えば彼女との壁を取り払ってくれたのが星だったと思う。
毎週辛い練習をさせられるスイミングスクールがある金曜日が僕は大嫌いだった。スイミングスクールの帰り道、あたりはすっかり暗くなっていて、そんな中僕は公園のライトに見知った顔が照らされているのを発見した。こんな時間に一人で何を?と思い僕は話しかけることにした。
「なっちゃん」
「うわっ!け、ケンくんだっけ?」
「ふふっ・・・びっくりしすぎ」
そのとき僕が笑ったのは、彼女の驚いた表情がおかしかったからだけではなかった。僕が彼女に渡したメモの『おれは健』という文字を訓読みではなく音読みで「けん」と読み間違え、そのまま覚えてしまっていたのが面白かったからだ。
「なにしてるの?こんな時間に」
当然の質問だった。こんなに夜遅い時間に、一人で、しかも遊具で遊ぶことなくブランコの手すりに座っているだけだったので、相当おかしな子だなと思った。
「星を見てるの」
彼女はそれだけ言って空を見上げた。僕もそれに合わせて空を仰ぐと、星たちがキラキラと瞬いていた。
「知らなかった。こんなに星って見えるんだね」
「わたし、昔は結構都会に住んでて、ほとんどお星さまが見られなかったの。でもここは、本当によく星が見えるね。わたし、この町が大好きになった」
彼女の嬉しそうな声につられ、僕は星ではなく彼女の方に目が行ってしまった。彼女は内気だけれど、大好きな星のことになるとついつい話したくなってしまう性格なのだと、後から本人が語っていた。
「ねえ、太陽が空に昇ってて明るい時でも、お星さまって見えるんだよ」
「ほんとに?どうやったら見れるの?」
「ケンくんがもう少し星に詳しくなったら、教えてあげるよ」
僕を見て、彼女は屈託なく笑った。初めて見た、彼女の笑顔に僕は目が離せなくなってしまった。そう、いわゆるギャップにやられてしまったのだ。
「きれいだよね、ほんと」
彼女は空を見上げ優しく微笑んだ。
「うん、本当にきれい」
そのときの僕は星のことなんて一切見ていなかったんだと思う。
しばらくして彼女の母親が公園まで迎えにきた。
「どこいってたの!心配したじゃない!」
「ちょっとだけならいいかなって思って」
どうやら彼女は親に内緒でここへ来ていたらしい。彼女の母親がなっちゃんの手を握り家へと帰ろうとしたとき、僕はいった。
「ねえ、また見ようよ!一緒に、星!」
彼女は笑顔で「うん」と言ってくれた。
それ以来、彼女は学校でも話すようになってくれた。「なんで今までそっけなくしてたんだよー」と僕が聞くと、彼女は引っ越すことが多いらしく、友達と仲良くなっては別れ、また仲良くなっては別れ、という生活に疲れていて、だったら始めから友達なんて作らない方が傷つかなくてすむと思ったらしい。
彼女の家はお花屋さんと住居が一体型になっていて、よく僕となっちゃんの二人でお花屋さんを手伝っていた。小学生がお店で働いていても邪魔になるだけだろうと思ったが、そう僕が伝えるとなっちゃんのお母さんは「君たちがいてくれるだけで宣伝になるから、助かっているのよ」と笑った。
あのお花屋さんは僕とあの子の待ち合わせ場所となっていた。しょっちゅう来るので店員さんとも仲良くなって、「あら今日もデート?」などとほほえましそうな表情をするので、「そんなんじゃないから!」と顔から火が出そうなほど恥ずかしい思いをしながら彼女を連れだすのだった。
あれほど憂鬱だった金曜日が楽しみになっていた。初めて二人で星を見た次の日僕は彼女のお母さんに懇願してまた金曜日のスイミングスクールが終わってから、二人で星を見ることの許可をとった。ただし場所は僕の家のすぐ隣の公園に移し、帰りは彼女のお母さんが迎えに来るからそれまでは絶対に彼女を守るという約束を彼女のお母さんと交わした。
会えば会うほど、彼女のことを知れば知るほど、彼女のことが頭から離れなくなった。
それが、僕の初恋。
初恋の子のことを思い出すのは久しぶりだった。
もう未練があるわけではなかった。結局は片想いだったのだから。
でも、もし夢が本当で、なっちゃんが僕にバラを届けて告白してくれたということが事実なら、未来で僕がなっちゃんのことを追いかけたくなる気持ちもわかる。
でも夢は願望の表れだって聞いたことがある。昨日と今日でなっちゃんの話題が出たのもたまたまで、僕の妄想に過ぎないんだろうなと思うことにした。
変な夢だ、とつぶやきながらまあどうでもいいかと思い直して、記憶をゴミ箱の中に捨てた。
食パンをトースターに入れ、ベーコンと目玉焼きが焼きあがるのを待っている間、そういえば、なっちゃんの控えめな性格とか、幼い顔立ちとかはちなみさんと似ているなと思った。もしかして同一人物だったりして。・・・いやいや、十年ぶりに再会しましたなんて、そんなドラマみたいなことあるはずない。
ちなみさんと言えば昨日の放課後のことだ。
いきなり「かわいい」だなんて言われて、ちなみさんがどう思っていることやら・・・。
過ぎたことを悔やんでもどうにもならないけれど、頭の中からちなみさんのことが離れなかった。
なんてことを考えているうちに、フライパンから焦げた匂いがすることに気付いた。中では端っこが茶色くなった、固焼きの目玉焼きが僕を待っていた。
「うわっ、半熟が良かったのに・・・」
この調子じゃ今日一日、ろくなことが起きない。いったん忘れよう、彼女のことは・・・。
「おはよう、濱田くん」
「おはよう・・・」
忘れられる訳なかった、隣の席なんだし。嫌でも顔を合わせないといけない。その日もちなみさんの笑顔はまぶしかったし、おはようと言われただけで嬉しくなって馬鹿みたいだ。
チャイムが鳴って、いつものように授業が始まる。
そして、ぼーっとしているうちに放課後が訪れていた。
「ごめん詠太、今から美化委員会の集まりがあって長くなりそうなんだ。今日は先帰ってて」
「りょーかい」
受験生であろうが生徒は皆、何かしらの委員会に入らなくてはならない。仕事が終わり教室に戻ると時刻は5時半となっていた。そして、視線の先の姿に僕はつい目をそらしてしまった。変に意識して避け続けるのもなんだかなと思い、咳払いをしてからなるべく自然に話しかけた。
「あれ、ちなみさんまだ残ってたんだ」
「・・・」
おかしいな、声をかけても反応がない。あ、イヤホンをつけているのか。イヤホンが小型化されすぎて着けているか分からないというのも問題だなと思った。僕はちなみさんの肩をポンポンとたたいた。
「ちなみさん?」
「ひゃあ!」
ちなみさんが肩をビクンと揺らすのでこちらまでビックリしてしまう。
「ごめん!」
僕が両掌を合わせるとちなみさんはイヤホンを外した。
「びっくりした、濱田くんか。委員会?お疲れさま」
その控えめな笑顔が今日もいとおしかった。
「ありがと。ちなみさんは勉強?」
机の上に広げられた化学の参考書を見て尋ねた。
「うん。最近放課後は教室に残って勉強しているんだ。でもすぐ集中途切れちゃうからイヤホンつけてたんだ」
確かに周りを見みると何人かで固まって雑談している人たちもいた。
「まだ夏休み前なのにすごいね」
僕は素直に感心した。
「そんなことないよ、家では誘惑も多くてだらだらしちゃって・・・。でも教室だと誰かに見られているって感じがして集中できるからおすすめだよ!」
ちなみさんはかわいらしい笑顔を僕の方へと送ってくれた。僕も家ではほとんど一人暮らしな環境のせいでだらけてしまうので、教室で勉強というのもいいかもしれない。
「特に最近は家で勉強してもほかのことばっかり考えちゃうから、なるべく学校に残るようにしてるんだ」
悩みでもあるのだろうか?しかし、僕はそこまで深く聞く勇気を持ち合わせていなかったので「せっかくだし僕もやっていこうかな」と精一杯の、僕に言える言葉をかけた。
「うん、そうしよ!」
僕が隣の席に座ると、嬉しそうな表情でちなみさんもペンを握った。
六時を過ぎるとちらほらと教室の人は減っていった。廊下が夕日を反射させオレンジ色に光っていた。しばらくして、ガラガラと教室のドアが開く音がした。
「あ、健くんだ。残ってるなんて珍しい」
ちなみさんの友人の美咲さんだ。ボーイッシュに短く切った髪を揺らしている。
「美咲さん、今までどこ行っていたの?」
「私は図書館。教室はうるさくて集中できないから図書館派なの」
「もうこんな時間か。美咲、次の電車26分発だったよね?すぐ準備するから待ってて」
ちなみさんがシャーペンを犬のキャラクターがプリントされた筆箱にしまう。ふと、美咲さんが返事もせずに瞬きを二回した。
「あ、ごめんちなみ。私これからラケットとりに部室寄らないといけないんだ。今日は一緒に帰れない」
「あ、そうなんだ、わかった」
美咲さんの所属していたテニス部も県大会で負け、三年生は引退となっていた。
「で、健くん。もう日も暮れてきたし、ちなみのこと送ってあげてくれない?」
いくら夏とはいえこの時間になると薄暗くなってくる。女子一人で夜道を歩かせるのは危険だ。
「わかった。ちなみさんの家駅の向こう側だっけ?そしたら駅まででも大丈夫?」
「いいよね、ちなみ」
「だ、大丈夫だけど・・・。ちょっと、美咲!勝手に決めないでよ」
隣を見るとなぜかちなみさんが動揺していた。
「そんなこといきなり言われても心の準備が・・・。それに濱田くんだって迷惑だよー」
「そんなことないけど?」
僕に気を遣っているのだろうか。隣でそわそわしているちなみさんを見かねて僕は否定した。
「健くんは問題ないみたいだよ」
「うぅぅ、そうだけどー」
「じゃ、ちなみのことよろしくね。グッバイ」
そういうと美咲さんは自分のカバンをつかみ取り素早く帰って行った。
「それじゃあ帰る準備しようか」
「うん・・・」
荷物を詰めながらふと思う。教室には僕たち二人以外誰もいない。そして僕はちなみさんを駅まで送る。
・・・。
それって、二人きりで帰るってこと?
今更気付いてちなみさんの方を振り向く。ばちっと目が合いすぐに顔を背けた。僕は恥ずかしくなって口を手で覆う。
どうしよう、僕・・・。
廊下へ出ると、もわっとした空気が体へまとわりついた。
「うわっ、あつ!」
「エアコンないとやっぱり暑いねー」
「うん」
「・・・」
「・・・」
靴のコツコツ叩く音だけが廊下に鳴り響く。
ちなみさんと二人で帰っている。振り向けばすぐそこにちなみさんがいる。そう考えただけで緊張して何を話していいかわからなかった。
ようやく玄関にたどり着き、靴を履き替える。靴紐がほどけていて結ぼうとするのだけれど、手が震えてやたらと手こずってしまった。やっと結び終えてちなみさんのことを探すと、門の前で待ってくれていた。
「じゃあいこっか」
その姿がカレカノっぽくて、むずがゆい気持ちになった。ちなみさんがほほ笑みながら僕を待ってくれている。その姿を見るだけで僕はしあわせな気分になった。
「そういえばバック変えたんだね、新しいやつに」
ちなみさんの小さな体と大きな白のトートバッグがコントラストになり、とても似合っていた。
「うん、前のが古くなっちゃったから、それで」
「前のカバンもショルダーバックだったよね?珍しいよね、リュック以外の人って」
朝の通学時を思い出しても、男女にかかわらずほとんどがリュックを背負っている。肩に提げるタイプは少数派だ。
「やっぱり変かなあ・・・」
「そんなことないって!すごくちなみさんに似合っていると思う」
「ほんと?」
バッグのひもをつかむちなみさんに、何か見覚えがあるような気がした。
「それにちなみさん、リュックだと後ろに立った人に財布とか盗られるような気がして、嫌なんだよね」
そう言うと、びっくりしたような顔で彼女は僕の方を向いた。
「そう。・・・でもよくわかったね。濱田くんにこのこと話したことないのに」
「そう、だね」
まただ。ちなみさんが一度も話したことのない話が僕にはわかっていた。確かにちなつさんは話していない。でも僕はなぜかその話を聞いたことがあるような気がした。どこか、遠い昔に。
「誰かに聞いた?」
そこでようやくちなみさんに不審がられていることに気付いた。よく考えたら自分が話していないことを異性のクラスメイトがあれこれ知っていたら怖い。ストーカーと疑われてもおかしくないレベルだ。
「ご、ごめん!別にちなみさんのこと陰で嗅ぎまわっているとかそういうのじゃなくて、ほんとになんとなくで・・・。って言っても信じてもらえないか」
慌てて言い訳するも、なんとなくで通用するほどこの世は甘くないか、と思い弁明を諦めてしまった。
「そんなことないよ、私もなんとなくわかること、あるから」
「え」
「今日の朝ごはん、当ててあげよう。パン!」
「えっすごい、正解!なんで分かったの?」
「朝はご飯よりパン派だろうなって、なんとなく思ったんだ。それに目玉焼きは半熟、醤油派」
「・・・エスパー?」
僕の好みを言い当てられ、正直びっくりした。勘だとは思えない。
「ほんとに、そんな気がしただけなんだよ。濱田くんの家を盗撮してるとかじゃないから安心してね」
数か月前であったばかりのお互いのことがなんとなくわかる。全く同じ現象が、二人の間で起こっている。・・・何だかおかしくなってきて、僕は笑ってしまった。
「ははっ、変だよね、お互い話したこともないことを知っているなんて。絶対変だよ」
「あはは、ほんとそうだね。私たちってもしかしたら超能力でもあるんじゃない?」
「二人の間だけで?役立たなそう・・・」
「確かに、あんまり意味ない!」
おかしな現象に、二人で笑い合った。話が盛り上がったおかげで、あっという間に僕たちは駅へとたどり着いた。
「そ、そういえばさ、昨日の放課後、駅で会った時の話なんだけどさ」
その話を持ち出されてドキッとする。俺がかわいいとか言っちゃったやつだ。
「あの時はごめんなさい!僕、急に変なこと言っちゃって」
「いや、そういうことじゃなくて!」
僕はちなみさんが気にしているのかと思って謝ったのだが、彼女は腕をぶんぶん振ってそれを否定した。
「その、濱田くんが階段上ってくるときに、私のこと、ちーちゃんって呼んでくれてたよね?それで、えっと、あだ名で呼ばれたのが嬉しくて・・・・。だから、その」
僕は声のする方に顔を向ける。数十センチ下にふわふわした黒髪が漂っている。普段は座って話をするから気づかなかったけれど、結構身長差があるのだなと思った。
「だから、また、あだ名で呼んでくれたら嬉しいなあって・・・」
数十センチ下から、上目づかいで僕を見つめる彼女があまりにもかわいかった。
僕は恥ずかしさをぐっとこらえて、声を発する。
「じゃあ、ちーちゃん?」
「はい、健くん」
「・・・!」
突然の名前呼びという不意打ちに胸がきゅんとしめつけられる。かわいすぎる、これは。
「ご、ごめんなさい!名前で呼ばれたのが嬉しすぎてそれで私もなんだか名前で呼んでみたくなっちゃって・・・。今のは忘れてクダサイ・・・」
下を向いて照れる彼女があまりにもいとおしかった。いきなり名前で呼ぶなんてやるな、と思ったが、こうして顔を真っ赤にしている姿を見るとやはりちなみさんはちなみさんだなと感じた。
「や、やっぱり恥ずかしいね。今まで通りちなみさんでもいい?」
馬鹿だ、ちなみさんがあだ名で呼んでほしいって言っているのに恥ずかしくて断るなんて、つくづく自分は意気地なしだと思った。
「私は全然いいよ。・・・でも、私だけ名字呼びっていうのもよそよそしいから、もし嫌じゃなかったら、健くんって呼んでもいいかな・・・」
どうやら自分で言って自分で恥ずかしくなっているようだ。だんだんと声が小さくなっていた。
「う、うん、大丈夫。よろしくね」
街に沈んでいく太陽を眺めて、僕は満足感を覚えた。隣にはちなみさんがいる。この時がずっと続けばいいと、そう思った。
「この時がずっと続けばいいのに」
僕はまた、心の声が出ちゃったのかと思った。
でもそうじゃなかった。
僕は驚いて隣を向く。その言葉を発したのは僕ではなかった。
隣ではちなみさんが頬を赤らめながら前髪で顔を隠そうとしていた。
「健くんと話すのは楽しいし、こうしている間は悩みとかも忘れられるし。だからこの時間がすごく幸せなんだ」
ちなみさんも僕と同じことを考えてくれていた。
昔にも感じたことのあるような、この気持ち。
僕はそのとき、ようやく気付いた。
僕は、ちなみさんが好きなのだと。
「あのさ、ちなみさん」
「・・・なに?」
「僕たち隣の席になってからよく話すようになったよね」
「そうだね」
「それで、僕らが出会う前からお互いを知っていたような気がして、運命っていうのを感じて、その・・・」
「うん」
普段だったら、絶対こんな言葉言えなかった。それでも僕を動かしたのは、今伝えられなければ僕は一生心に蓋をして気持ちを隠してしまうのではないかと思ったからだ。
「ちなみさん、僕と・・・」
ちなみさんが僕の言葉を待っている。心臓の音がうるさい。口が渇いて仕方がない。手の震えが止まらない。それでも、言わなくちゃ。
「僕と・・・」
僕の中でなにかがプツンと切れた。
「花火!・・・見に行かない?」
「・・・ああ、うん」
僕は熱が出たときのように身体が熱くなっていることに気付く。僕、なんて言おうとした?危うく勢いで告白してしまうところだった。つい数分前に恋心に気付いたばかりだというのに、何の計画もなく付き合ってくださいと言いそうになるなんて、僕は馬鹿か?うん、馬鹿だ。
「来月長岡で花火があるじゃん?日本三大花火のうちの一つが新潟にあるっていうのに一度も生で見たことがなくてさ。まだ誰とも行く予定がなければどうかな?でも受験勉強もあるし、全然無理しなくていいから!」
こういう時に限ってとめどなく言葉が浮かんでくる。はああ情けない・・・。
「いいよ、わたしもいきたい!」
彼女の声が僕の心の中にある雨雲を吹き飛ばしてくれた。僕の情けなさとか、恥ずかしさとかそういうのを全部まとめて飲み込んでくれる彼女の笑顔に、僕はまあいっかという気持ちになった。
「じゃあ来月の二日、この駅で待ち合わせしよう」
「うん。そしたら改札前に17時集合でも大丈夫?」
「オッケー!じゃあ、17時に。ありがとう、ほんとに!」
何に感謝しているのかわからなないけど、ありがとうと伝えたかった。
「こちらこそ。楽しみにしてるね!よし、張り切っちゃおうかな」
僕のために張り切ってくれるのか。ちなみさんの言葉に思わず頬が緩んだ。僕は改札を抜けてちなみさんと別れてからも姿が見えなくなるまで手を振っていた。僕はちなみさんと別れてから家に着くまでの間しあわせな気分に包まれていた。
家に帰ってもニヤニヤが止まらなくて、その日ばかりは家に一人でよかったと思った。その幸福は昨日の寝不足と相まって僕を心地よい眠りへといざなってくれた。