第9話 豪商との盟約、そして冬の商い
家康公の会談から数日後、俺は京にある茶屋四郎次郎の屋敷を訪ねていた。
家康公の伊賀越えを支え、幕府の裏も表も知り尽くした天下の豪商。
その屋敷の佇まいからは、単なる金貸しを超えた、時代の裏面を支配する者の重みが漂っていた。
案内された茶の間には、茶屋四郎次郎本人が静かに控えていた。俺は緊張を飲み込み、一礼する。
「今治城代、藤堂高吉と申します。本日は、この『板海苔』の商いについてご相談したく、参上いたしました」
四郎次郎は俺をじろりと見据え、ふふ、と喉の奥で小さく笑った。
「わざわざ四国から京まで、今治の城代様がこの茶屋に何の用かな。噂の『板海苔』とやらに、余程の自信があるみたいですな」
俺は挨拶もそこそこに、持参した重箱を広げた。
「四郎次郎殿、言葉を重ねるよりも、まずはこの海苔の真価を味わっていただきたい。……あらかじめお願いしておいた通り、炭をご用意いただけましたか?」
「……ふむ。我が屋敷の厨房にまで先回りして炭を所望するとは、なかなか食わせるお方だ。面白い、火鉢を置かせよう」
運ばれてきたのは、熾火の入った上品な火鉢と焼き網であった。俺は慣れた手つきで餅を焼き、醤油を塗り、板海苔でくるりと包む。その無駄のない動作に、四郎次郎は興味深げに目を細めた。
「……お召し上がりください。これが、今治の海苔です」
差し出された磯辺餅を、老人はゆっくりと口に運ぶ。
パリッ――。
静寂な屋敷に、乾燥した海苔が弾ける乾いた音が響く。その瞬間、四郎次郎の表情から余裕が消え、わずかに目が見開かれた。
「……これは。香ばしさもさることながら、この歯切れの良さは何だ。ただの海藻を干しただけのものではあるまい さすが大御所様が褒めたたえたことはある……」
俺は好感触を確信し、単刀直入に切り出した。
「全国への販売網は四郎次郎殿にお任せしたい。ただし、これらはすべて今治の『専売品』として扱うことを条件とします。偽物が出回らぬよう、藤堂の刻印を押した木箱に入れて売り出します。来年からは海苔が好む床を海に仕込み、増産体制を整えます。収穫は格段に増えるはずです」
四郎次郎は、俺の提案にゆっくりと頷いた。
「……専売、か。大名家が直々に商いへ介入するとは珍しいが、この味ならば値がつく。して、高吉様。……この儲けの先には、どのような御意図がございますか?」
四郎次郎の目が、不意に鋭く光る。俺は懐から一枚の書付を差し出した。
「利益の八割五分は今治の藩政に。残る一割五分は、茶屋殿にお預けしたい。京の商いの中で運用し、増やしていただきたいのです」
「……ふむ。献上金にしては、配分が少々不自然ですな。高吉様、差し支えなければお聞かせ願いたい。これほどの利益を、何にお使いになるおつもりか?」
四郎次郎の穏やかながらも探るような眼差し。俺は声を潜め、彼だけを見据えて言った。
「……いずれ、天下は大きく揺れます。来るべき豊臣との戦に向け、今から万全の『軍資金』を蓄えておきたいのです。……この船に乗っていただけませんか」
静寂が支配する茶の間で、四郎次郎は俺を射抜くような眼差しで数秒間沈黙した。やがて、彼は満足げにふっと笑った。
「……藤堂公が目をかけるだけのことはある。天下の先を読むとは、恐れ入った。その賭け、茶屋四郎次郎、乗らせていただきます」
商談が成立した安堵も束の間、俺は畳みかけるように鯛の件を持ち出した。
「あと一つ。大三島などからミカンを買い上げます。冬のミカンそして……冬の瀬戸内の鯛です。水揚げしたものを、私が編み出した『秘伝の方法』で処理しました。……お試しいただけますか?」
このことも見越して今治に使いを出した
あらたに今治から運ばせた鯛だ
雪に包まれた箱から鯛を取り出すと、四郎次郎は驚いたように覗き込んだ。
「三日前の魚が刺身で食えるですと? 高吉様、それは法螺ではないのか」
俺が鮮やかな手つきで身を削ぎ、四郎次郎の前に置くと、彼は半信半疑で箸をつけた。一口含んだ瞬間、老人の表情が驚愕に染まる。
「……なんという身の締まり……。獲れたて以上に旨味が凝縮され、臭みが皆無とは。貴公、城代ではなく商人の器ですな。面白い。今治の冬の味覚、すべてこの茶屋が引き受けましょう」
屋敷を出た俺の心は、熱く燃えていた。
(前世のもう一つの趣味が釣りでよかったな……。神経締め。神経締めすると科学的に3日間の移動中にゆっくりと細胞内の成分が分解され、旨味成分(イノシン酸)がピーク達するんだ。この知識が、戦国でこれほど役立つとは。この時代に確立されていた活〆より、神経締めの方が科学的に数段に上だからな)
海苔という宝が種火となり、軍資金、特産品、そして豪商とのパイプラインが繋がった。
さあ帰ったら「針鉄師」を呼んで針金を量産しよう
神経締めは漁師たちに教えよう。あと冬の間に石鎚山で雪の確保だな……
(これで、戦の準備は着々と進む。今治は、ただの辺境ではない。徳川の懐を支え、自らも富む、最強の経済都市にする)
京の街並みを見下ろしながら、確かな手応えを感じていた。今治から始まるこの経済の波が、歴史を大きく変えていくのだ。




