第84話 おじ戦士、大詰めに入る
かつて、トレスタは独立した都市国家であった。
長きにわたり他国からの侵攻を受けてきたトレスタでは、毎年多くの戦死者が出ていた。特に、王国に併合される直前は戦況が最も悪化した時期であり、兵士だけでなく市民の間でも多くの犠牲者が出たといわれている。
街は死者で溢れかえったが、包囲攻撃に晒されている状況下では街の外に墓を作ることもできず、どうにか街内で埋葬場所を確保する必要があった。
そこで、当時はまだ信仰されていた男神の神殿の地下に、新たな墓地が作られることになった。この地下墓地の完成によって埋葬場所の不足はひとまず解消されたが、完成の直後に王国との戦いに敗れ、トレスタは街ごと併合されてしまった。
併合後は、王国で信仰されている女神の教えを広めるための僧院が新たに建てられ、男神信仰は異端として禁じられ、神殿も取り壊された……が、地下墓地部分だけは都市機能の一部としてその後も残り続けた。
身元不明の遺体が見つかったときや、家族がいない住民が亡くなった際など、やむを得ない事情がある亡骸を収容する場合にのみ利用される施設で、普段は地下への入り口は厳重に封鎖されている。
信仰的な面からも無闇に地下墓地に近づくことは忌避されており、好んで訪れる者などまずいない寂寥とした場所となっていた。
※ ※ ※
コツン、コツンという、石造りの通路を歩く時の特有の靴音が地下道に響き渡る。
地下墓地の玄室へと向かう回廊を、その女は一人で進んでいた。
歩くたびに、彼女が身に着けている南国特有の艶やかな衣裳が、灰色の外套の裾から、ちらちらと顔をのぞかせる。
華やかな装束の色とは裏腹に、灰色の頭巾の中に見える女の顔色は険しい。
「ここまですることになるとは……」
剣呑な表情のまま、女は忌々しげに呟く。
女に名前はない。
宗主たるヒュドラから「ビフロンス」の称号を与えられてからは、その称号のみを名乗ることが許されていた。それは、ヒュドラ家とその一門を含め、死霊術の使い手として最高の術師であると認められた証しである。
女は、与えられた称号そのものには興味がなかったが、こと死霊術において自分の右に出る者はいないという自負の念はあった。しかし、そんな最高位の称号を持つ自分が、未だかつて経験したことのない屈辱的な状況に陥っていた。
原因は分かっている。すべてはあの邪魔者どもの仕業だ。
あの連中が、いつ、何の目的でトレスタにやってきたのかは把握していない。
存在に気づいた時には、この街に送り込んでいた自分の部下たちはすでに追い詰められつつあった。部下を救出するために急遽講じた策も、結局は実を結ぶことなく、部下たちは一人残らず殺されてしまった。
腸が煮えくり返る思いでこれまでの経緯を思い返しているうちに、回廊の突き当たりにある一番大きな玄室へとたどり着いた。
「あの邪魔者どもだけは、決して生かしておかぬ……!」
このまま奴らを逃がすつもりはない。必ずこの手で殺してやる。
最も苦痛を伴う方法で断末魔を上げさせてから、物言わぬ下僕にして償わせてやらねば気が済まない。
女はどす黒い憎悪の感情をむき出しにしながら玄室の扉を開き、室内に足を踏み入れた。すると、扉のすぐそばに控えていた二体の甲冑が動き出し、主人に付き従う騎士のように後に続いた。
それらの甲冑には首から上というものが無く、片手に抜身の剣を持ち、反対の手には自らの頭部である兜を抱えていた。
首なし騎士と呼ばれる、高位の不死生物である。
元々は公爵が所有していた生ける鎧だったものだが、総魔導合金製のかなり質の良い鎧なので、死んだ騎士の魂を定着させて再利用することにしたのだ。
これほど優秀な手駒を労せずに手に入れたのは思わぬ収穫ではあるが、計画失敗の埋め合わせになるほどではない。
――いや、まだ計画が完全に失敗したわけではなかった。
ビフロンスは玄室の奥へと進み、最奥に鎮座するソレに視線を向ける。
「……多くにして、一つなるものよ」
呼びかけに応えるかのように、ソレは一度大きく蠢いた。
女の顔に凄惨な笑みが浮かぶ。
こうなった以上は致し方ない。今宵、こいつを地上に解き放つ。
まだ初期段階なので大きさに若干の不安はあるが、この街の住人を手当たり次第に襲わせて、己の力で徐々にからだを形成していくしかない。
本来ならば一万人の命と引き換えに一気に完成体まで持っていきたかったが、複合魔法陣による儀式が実現しない以上、その理論は諦めるしかない。
地道な作業にはなるが、結果は同じだ。
一万もの死体で集合体を作れたという事実さえ持ち帰れば、後のことはどうとでも言い訳が立つ。複合魔法陣による本来の理論は、またどこかで機会を見つけて実践すればよい。
そんな思考に耽っていたためだろうか、ビフロンスは気づくのが遅れた。
回廊の石畳を踏む足音が、玄室の外から迫ってくることに――。
※ ※ ※
轟音とともに玄室の扉が蹴破られ、燃え盛る松明が室内に投げ込まれた。
その手荒な訪問を受けても、ビフロンスは特に焦った様子もなく、余裕の態度でゆっくりと部屋の入り口を振り返った。
大方、例の邪魔者たちがやってきたのだろう、くらいに思ったからだ。
それならば、むしろ好都合だった。
この場で奴らを八つ裂きにし、最後の計画のために利用してやるだけだ。
しかし、扉を通って室内に侵入してきたのは、予想もしていなかった人物だった。
「あの時の……」
男の顔には見覚えがあった。
壁の外に生贄の魔印を仕込むために、門前に集まっていた旅人たちに紛れ込もうとした際。あの時、一瞬だけ視線を合わせた男だ。
男が何者かは知らないが、この場所に姿を現したからには、計画の邪魔をしに来た敵と見て間違いない。
ビフロンスは鋭く目を細める。
「後を尾けられないように、十分に注意を払っていたつもりなのだけど?」
「お前の足取りを追ってきたわけではない。この場所に現れるだろうと、山を張っていただけだ」
「……ますます意味が分からないわね。参考までに、どういうことか聞かせてもらえる?」
「説明するほど難しい話ではないのだがな」
男は前に進みながら、両腰に佩いた剣を抜いた。
右手の長剣は刀身から白い輝きを放ち、左手の小剣は紫炎のごとき光を纏っている。どちらも強い魔法の力を帯びた剣であることは、一目瞭然だった。
「死霊術師というのは本当に分かりやすい。困り事ができると、すぐに死体がある場所に逃げ込む癖がある。そして、この街で大量の死体を無理なく隠しておける場所といえば、せいぜい二か所くらいしかない」
「それで? 二か所あるのならどうしてこちらに現れたの?」
「もう一つの候補は、この街の領主の館だ。居城も兼ねた館だから、罪人を捕らえておくための地下牢くらいは必ずある。トレスタの領主が南側と通じているのなら、すべてグルであってもおかしくはない。だから当初は、そちらのほうが本命かと思っていた――」
会話で気を引きつつ、ビフロンスは指輪をはめた指の先だけを動かして魔印を結んだ。それを合図に、左右に控える首なし騎士たちが男に襲いかかる。
男は前に進む足を止めることなく、それらを迎え撃った。首なし騎士が繰り出す斬撃に合わせて、二本の剣を振るう。
一瞬の交錯の後、甲冑の右手が剣ごと石畳の上に転がり落ち、硬質な音を響かせた。その音が耳に届いたときには、男の剣はすでにこの不死生物の弱点――左手に抱えるそれぞれの頭部に埋め込まれていた。
「――だが、中央騎士団が領主の館を押さえてくれたおかげで、その線は早々に潰せた。あとは消去法で、この地下墓地に来ただけだ」
男が左右の剣を引き抜くと、中身のない空っぽの鎧が甲高い音を立てながら地面に崩れ落ちた。
護衛の不死生物たちを一瞬にして滅ぼした戦士が、さらにビフロンスに迫る。
ビフロンスは一歩後ずさる。
首なし騎士は、屍人などの下等な不死生物とは訳が違う。通常の鉄の武器では傷一つ付けることができず、接近戦における強さは魔族にも匹敵する。本来なら人間の戦士ごときが太刀打ちできるはずのない強力な従僕なのだ。
それが二体いたにもかかわらず、時間稼ぎにすらならなかった。
もう一歩後ずさる。その表情に、もはや余裕はない。
これから起きること。
自分が陥っている状況。
それらが分からないほど、彼女は愚鈍ではなかった。
先ほどから頭の中では、この窮状を脱する手順を幾重にも検討していたが、目の前の戦士はその全てを否定するほど、隙がなく、強かった。
単純に強いがゆえに、抜け道が見つからない。
「さて、もう時間稼ぎは終わりか? 魔法使いの爺と吸血鬼の高笑いは聞くに堪えないが、女の最期の言葉くらいなら待ってやらなくもないぞ」
「それはお優しいこと……」
やむなく、ビフロンスも覚悟を決める。
最後の呪文を唱えるべく、両手を上げて魔印を結んだ。
次の瞬間、戦士は残りの距離を一気に詰め、女の心臓に剣を突き立てた。
ビフロンスの体は急激に力を失い、ゆっくりと前のめりに倒れ込んでいった。
※ ※ ※
女の心臓を捉えた手応えを感じた瞬間、ラルフはすぐさま剣を引き抜いて次の一手に備えていた。
てっきり捨て身の攻撃魔法がくるものと警戒していたが、女が最後に唱えた呪文は、ラルフに肉体的な損傷を負わせることはなかった。代わりに、倒れた女の体から青白い人型の霊体が揺らめくように立ち上る。
「なるほど、ここで生霊を選ぶか。手堅い選択だ」
吸血鬼化、屍王化。
死霊術師が、死に際に自ら不死生物となるための転生先はいくつかあるが、女は生霊になることを選んだ。
肉体から魂を解き放ち、一切の物理攻撃を効かなくする生霊化は、戦士相手には最も効果がある呪文の一つであり、かつては死霊術の中でも特に厄介な奥義だった。
――そう、かつては厄介だった。
「今となっては、それも悪手だがな」
生霊が完全な形を成せば、向こうは魔法を使って一方的に攻撃をしかけてくる。
その前に、ラルフが動いた。
右手の剣を素早く霊体に埋め込むと、途端に魔法の剣の刀身が激しく発光した。
人型を模ろうとしていた霊体は大きく形を歪め、長く尾を引く絶叫とともに弾け飛んだ。霊体は淡く光る塵となって周囲に霧散し、そのまま元の形に戻ることなく、地下墓地の闇に消えていった。




