第85話 おじ戦士、禍根の種を見落とす
生霊が消滅するのを見届けた後、ラルフは左手の小剣を鞘に納めた。
最初に投げ込んだ松明が近くに落ちていたのでそれを拾い上げ、倒した女の遺体は放置したまま部屋の奥へと向かう。
松明の灯に晒されて姿を現したのは、身の毛もよだつおぞましさを漂わせる巨大な肉の塊だった。
「うへぇ、やっぱり気持ち悪いなぁ……」
ラルフが鋭い目つきでそれを見つめていると、いつの間にか隣にやってきたドニーが角灯を片手に立っていた。
彼には、地下墓地に入ってからこの部屋までの先導役を任せてきたのだが、室内での戦いには参加させられないので、扉の手前で待機してもらっていたのだ。
「この気持ち悪いやつ、一体何なの?」
「こいつは骸集合体だ。お前から外見を聞いて、すぐにピンときた」
最奥に鎮座する肉塊を形作っているのは、何十体にも及ぶ人間の死体だ。
大量の死体が、屍人や骸骨といった下級の不死生物の姿に変えられ、まるで出来損ないの肉団子のようにまとめられている。
突然、肉塊の表面を構成する屍人の一体が、腐り落ちそうな眼球をぎょろりと動かして、ドニーほうを見た。
ドニーは慌ててラルフの後ろに隠れる。
「……お、襲ってこないよね?」
「この距離なら平気そうだな。だが、こちらから攻撃を仕掛けたら、どうなるかは分からないぞ?」
ラルフは面白がって、わざとドニーを怖がらせるようなことを言ってみたが、この不浄な魔物に対する警戒を緩めてはいなかった。
今のところ向こうから攻撃を仕掛けてくる気配はないが、何がきっかけでいきなり動き出すか分からないからだ。
骸集合体は不死生物の中でも遭遇率が極めて低く、挙動にも謎が多い。あまり悠長に事を構えている場合ではないかもしれない。
「今はただの肉塊でしかないが、こいつは成長すれば自在に形を変えて動き回るようになる。そうなってからでは手を焼いただろうから、意外と際どいタイミングだったのかもしれないな」
おそらくは、もう少し成長させてから、こいつにトレスタの街を襲わせる計画だったに違いない。
こんな魔物を地上に出してしまえば、街がどうなるかは言うまでもない。
この不死生物の一番厄介な点は、犠牲になった人間の死体を取り込んで制限なく成長していくところだ。ひとたびトレスタの住民を襲い始めたら、もはや手の付けられない事態にまで発展していたかもしれない。
「手に負えないほど大きくなる前に、術者のほうを先に始末できてよかった。まだこのくらい小さければ、黒ニスを使えば簡単に滅ぼすことができる」
「これで小さいの?」
ドニーは目を丸くして驚きの声を上げた。
何十体もの不死生物が集まってできたこの球体状の肉塊は、人間の身長の倍近い高さがあり、横幅もそれに匹敵するほど大きかったからだ。
「以前に古代遺跡に潜ったときには、千体近い不死生物の集合体にも遭遇した。あまりにも現実離れした存在で、古代遺跡以外ではお目にかかる機会などないと思っていたのだがな……」
このような冒涜的な魔物を生み出すという発想は、常軌を逸している。
古の時代に創られた不死生物のなれの果てならともかく、今の時代に新たな骸集合体を創り出そうとする死霊術師が現れるとは思わなかった。
凡そ、人に許される所業ではない。
「ドニー、下がっていろ」
念のためドニーには攻撃の及ばない距離まで離れてもらい、ラルフは目の前の不浄な魔物を滅ぼすべく剣を構えた。
その時、異変に気づいた。
右手に持つ魔法の剣の刀身が、表面から溶解しかけている。
首なし騎士を倒したところまでは問題なかったはずだ。
だとすると、先ほどの生霊を消滅させた際にこうなったのだろう。
「……試験運用とは、よく言ったものだ」
剣としての性能は申し分なかったが、肝心の対不死生物用の魔力のほうに、何らかの欠陥を抱えていたに違いない。
ラルフは魔法の剣で戦うのを諦め、先ほど鞘に納めた小剣に持ち替えた。
王都を発つ前日に購入した数打ちの小剣である。刀身には、以前の吸血鬼退治の際に余った予備の黒ニス――報酬の一部として受け取ったそれが塗ってある。
シンプルな武器だが、こちらには何の異常も見られない。
一度も使った試しがない新しい剣だけで戦うのは不安だったので、念のために予備の武器として用意しておいたのだが、どうやら正解だったようだ。
「やはり、慣れない武器に頼るものではないな」
ラルフは改めて小剣を構え直し、刀身を不死生物の塊に深く突き刺した。
途端に、集合体の表面にいる屍人どもが悶え苦しむように大きく蠢いた。自衛のつもりか、肉塊の一部を触手のように伸ばして攻撃してきたので、ラルフは小剣を球体内に残したまま、一旦その場から逃れた。
まもなく黒ニスが魔力を発揮し、小剣を突き刺していた辺りの不死生物たちが次々と塵となって崩れ去った。ラルフは埋まっていた剣を素早く引き抜き、今度は別の場所に同じ要領で剣を埋め込んでいく。
そうした一撃離脱を何度か繰り返すと、骸集合体は球体としての形を保てなくなり、肉塊を構成していた屍人や骸骨がぼろぼろと地面に落ち始めた。戒めから解放された途端、下級の不死生物どもは自由を取り戻したのかのようにラルフに襲いかかってきたが、数体程度では何の脅威にもならなかった。
ラルフはそれらの亡者どもを一体ずつ小剣で滅ぼしていき、不浄な存在をこの世から完全に消し去った。
※ ※ ※
ラルフに下がるように促されたドニーは、指示に従って後退をはじめた。
その途中、転がっている死体をちらりと横目に見る。
先ほどラルフが倒した女の亡骸だ。
心臓を一突きにされて即死した形になるわけだが、それにしては倒れ方がどことなく不自然な気がした。
うつ伏せで倒れている状態にもかかわらず、両腕を体の内側に巻き込んでしまっている。力が抜けて前のめりに倒れたのなら、普通はこのような姿勢にはならない。死の間際に、咄嗟に両手で腰のあたりを守るような構えを取ったみたいだった。
どうにも気になってしまい、気づけばドニーは立ち止まっていた。せっかくなので、女の亡骸をちょっとだけ調べてみようと思ったのだ。
灰色の外套の下に身に着けていた女の服は、ドニーにとっては馴染み深い衣装だった。原色を多用した鮮やかな色合いの布地で、ウルスガルドの北部から西部にかけての地域で好んで着られている装束だ。
このような装束を身にまとった呪術師は、彼の故郷の砂漠にあるオアシスの街でも時折見かけることがあった。
(見た感じ、ムーアか……ダベラあたりの呪術師かな?)
それらの氏族の呪術師は魔法を使う際に杖を用いず、代わりに専用の指輪を使うという噂を耳にした覚えがあった。
その指輪は大変高価な代物だという話も思い出し、せっかくなので頂いておこうかと、ドニーは女の体の下敷きになっている手に触れようとした。
その時に気づいた。
女の腰帯のあたりに、布に包まれた何か硬質な物が括りつけられていることに。
さらに思い至る。こんな不自然な姿勢になったのは、彼女が咄嗟にこの布の包みを手で守ろうとしたからだと。
ドニーは慎重に包みに触れてみた。
それほど大きな物ではない。ドニーの拳よりも少し大きいくらいだ。しっかりと布に包まれているので中身が何なのかは確認できないが、布越しの質感からして、これも何か貴重な品物であることは容易に想像がついた。
(どの道、ここに残しておいても仕方がない物だろうしね)
いっそのこと、ボクが持ち出してあげたほうがいいよね、とドニーは一人で勝手に納得した。
女の腰帯から布の包みを器用に剝ぎ取り、素早く自分の鞄に放り込む。
その時、背後から恐ろしげな呻き声が聞こえてきた。
ラルフがあの不死生物への攻撃を開始したのだ。
ドニーは慌てて近くにあった石の棺の後ろに身を隠す。
戦いが完全に終わるまで、しばらくそこで大人しく事の成り行きを見守った。
※ ※ ※
「その女の素性、何か分かったのか?」
不死生物を排除して戻ってきたラルフは、倒れている死霊術師の遺体と、隠れているドニーを交互に見る。
遺体が少し動かされていることに気づいたのだろう。
「あっ、うん……ちょっと気になってね。途中で戦いが始まっちゃったから、まだほんの少ししか調べてないんだけど」
石棺の陰からドニーがひょっこりと顔を出す。
先ほどの調査は、ほんのわずかな時間で切り上げたので、ドニーが何をしていたのかまではラルフも見ていないようであった。
ドニーは何食わぬ顔で、再び女の亡骸のそばに寄っていく。
「この人はだいぶ特徴的な格好をしてるねぇ。まあこんな分かりやすい見た目をしてても、この国の人たちにはボクらの区別なんて付かないんだろうけどさ」
女が身に着けている衣装は、南国でも特に地域の色が顕著に表れている装束であると説明する。同時に、身に着けている品物の独自性についても触れる。
「この短剣なんか、ボクらの国でも使ってる人はかなり珍しいよ」
ドニーは女が腰に帯びていた短剣を鞘ごと外し、ラルフに手渡す。
鞘から引き抜いてみると、短剣は確かに珍しい刃の形をしていた。
両刃で切っ先が鋭く、刀身が波形にうねっている。刃の根元には竜の頭をあしらった彫り物が施されており、実用性よりも装飾的な意味合いが強い短剣に見える。
「確かに珍しい短剣だな。特に魔力が込められているわけではなさそうだが、どこか神秘的なものを感じる」
「うん、ダベラの呪術師たちが使う儀式用の短剣だね」
「ダベラ?」
「ウルスガルドでも北のほうを縄張りにしてる氏族だよ。ボクらと同じ砂漠に住む人たちだから、オアシスの街でもこういう服を着た呪術師をたまに見かけるんだ」
ドニーの説明を聞き、ラルフは興味深そうに頷いた。
南国の政治体制や支配体制が、この国と比べてかなり複雑であることは以前に聞いている。
そうした中で、敵の素性をある程度把握できたのは大きな収穫だった。
この国で起きた内乱に、南国の民が関与していたことが明るみに出れば、いずれ何らかの形で南国に対して報復を求める動きが出てくるかもしれない。いざそうなった時に、攻撃すべき対象を絞り込めていないと、大変なことになる。
「ダベラか……その名は覚えておくとしよう。では、この国で動いているのは、この女も含めてそのダベラとかいう氏族の人間だけで、他の南国の民は関わっていないものと見ていいのかな?」
「どうだろう? だってダベラって、前にラルフを誘ってきたヒュドラ家とは長年の同盟相手だよ?」
ドニーは半信半疑といった口調で、女の指から取り外した魔法の指輪をラルフに手渡した。渡された遺留品を手の中で転がしながら、ラルフは眉をしかめる。
例のヒュドラ家の男が、あの場ですべてを語ったなどとは信じていないが、やはり何か肝心な部分をひた隠しにしていたようだ。会話の中にいくらかの嘘を交えていた可能性もあるが、ラルフにはそれを見抜くことができなかった。
だから、すべての点と点を結びつけるに至らない。
やはり本職のようにはいかない。自分の能力に限界を感じてしまう。
「無いものねだりは一番良くないのだがな……」
「なに? 急にどうしたの?」
「いや、何でもない。やはりお前に頼って正解だったって話だ。――ありがとな」
ラルフは感謝の意を伝えるべく、頭巾を外しているドニーの頭をわしゃわしゃと撫で回した。
その荒っぽい謝意を受けて、ドニーは顔では迷惑そうにしていたが、特徴的な獣耳はへにゃりと垂れ下がっていた。
「連中の企みを未然に防ぐことができたし、多少なりとて素性が知れたのは大きな収穫だ。俺はこれから詰め所に行って、ここで起きたことを衛兵たちに伝える」
「あ、そう、じゃあボクはもう宿に帰ってもいいかな?」
「ああ、お疲れさん。遅くまで付き合ってもらったからな。今夜はゆっくり休んで、明日の午後にでも改めて合流するとしよう」
ラルフは自分が泊っている宿屋の名前をドニーに伝える。今度はヘレンにも事情を伝えて連れて来るようにと、念を押すのも忘れない。
今後についての細々とした打ち合わせを続けながら、二人は来た時と同じように地下墓地の回廊を引き返していった。




