26話 アルテミラ 後編
瞬間、ピリッとした殺気。
気配の薄い方へ体を捻ると、私が立っていた場所には一本の矢が光を放って刺さっていた。心臓を射抜くとか言いながら狙いは頭だったわけか。
「遅いんだよね」
「っ」
この世界に来たばかりの私ならいざ知れず。
絶大なステータスと膨大な戦闘経験を有す今の私に挑むには、弓矢の速度は不足が過ぎる。
「«千光万矢»――」
彼女のスキルが発動する。
私の周りを光の矢が取り囲む。
まるで半球形に展開された結界だ。
「――斉射!」
その一矢一矢が、私目掛けて飛来した。
彼女の命令を厳かに実行するがごとく。
稠密に展開されたこの領域。
反応は出来ても回避は不可能だ。
「【風花雪月・三ノ型】«赤雪の舞»」
だから突破させてもらおう。
結界の一部に駆け込み、スキルを叩き込む。
ステータス差にものを言わせた一撃は瞬く間に光の矢を叩き落とし、魚が網を食い破るように結界を穿った。
光の膜を破った。
「――«ストライク・チェイススパロウ»!」
私が見たのは、弦を引き絞り終えた彼女の姿。
見抜かれていた。私が術を強行突破することを。
一目でわかる、これが彼女の最高火力。
だというのに、フォロースイングに入った私の体はその一矢から逃れられない。まして切り返す事だってできやしない。
私の目は、ただ見ているだけだ。
流れるような連撃の結末を。
自身の首に吸い込まれる一筋の光を。
「……は?」
が、その攻撃は私にあたった瞬間に弾けて消えた。
アルテミラは素っ頓狂な声を上げるしかできない。
「いやはや、お見事お見事。流石は攻略組随一の弓使いね」
「……何をした?」
彼女の問いに、私は優雅に笑ってみせた。
「何もしていない」
「……戯言」
「ふふ、本当よ。あなたが、無意識のうちに加減しただけ」
空趨鷲のMVPは間違いなく彼女だ。
彼女の弓はボス相手にだって通用する。
それは間違いない事だ。
ただし、それは有象無象のボスでの事。
屍の山を築き、歴史を白骨で白塗りにしようとする私を前にしてこのような一撃、まるで通用しない。
「あなたのプレイヤースキルは脅威に足るものだったわ。でも、残念ね。あなたは優しすぎた」
手ぬるいのだ。
あの時私を殺した奴らは、もっと醜かった。
是が非でも私を殺そうとしていた。
彼女にはそう言った殺気が無い。
「終わりにしましょう。【風花雪月・一ノ型】――」
私の影が膨らんだ。
この世界では私が法律だ。
許す、我が眷属たちよ。
目の前の敵に彼我戦力差を知らしめろ。
「――«双頭鴉»」
現れたのは、200を超える阿吽カラス。
しかし烏合の衆にあらず。
かの王はここに一人、あまねく黒翼を使役する。
「«パラレルショット»」
「無駄よ」
「っ! «パラレルショット»!」
そして、一匹一匹のステータスは攻略組に迫る。
もはや彼女に勝ち目はない。
「死ねない」
それでも、彼女は足搔く。
「死にたく、ない!」
阿吽カラスが彼女を啄む。
その度に赤のエフェクトが弾ける。
HPバーが削られる。
「私は、まだ……!」
そこは弓矢の間合いではない。
誰がどう見ても悪あがき。
万に一つも勝機は無い。
「……ステイ」
「……っ」
阿吽カラスは、直ちにその場に着地した。
大地は瞬く間に黒色に染まった。
まるで夜の海だ。
私は空に手を伸ばした。
すると海が割れるかのように、阿吽カラスが道を開ける。その一本道を私は歩く。
「アルテミラ」
歩み寄りながら、私は彼女に声をかける。
彼女は弓を構えた。
構えた直線状を私は歩く。
彼女は結局、矢を放てなかった。
「あなた、私の仲間にならない?」
「……なにを」
私の切り出し。
彼女の警戒が高まるのが分かった。
他意は無いんだけどね。
「私はあなたを評価しているわ。プレイヤースキルだけじゃない。その優しさも、泥臭さも、人間にしておくのがもったいないくらいに」
彼女を殺すのは簡単だ。
「あなたは私によく似ている。命を弄ぶのを良しとしない。だから私は救いの手を差し伸べましょう。同族のよしみとして」
それでも、それは私を否定することになる。
私の希望は踏みにじられた。
プレイヤーの手で踏み潰された。
道は無く、しょせんは蜃気楼に過ぎなかった。
だから、彼女には選択肢を与えなければいけない。
慈悲という救済を受け入れるか否か。
希望に縋るか絶望にしがみ付くか。
選ぶのはアルテミラ、あなた自身。
「さあ、私の手を取ってくれるかしら?」
そう言う私に、彼女は微笑み、
「鏡でも見てなさい。殺人鬼」
毒を吐いた。
希望を捨てた。
あれだけ生に執着しながら、私の手を払いのけた。
「……はは。それがあなたの選択か」
は、はは。
何が「あなたは私によく似ている」だ。
見当外れも甚だしい。
彼女は私と全然違う。
「所詮、あんたもプレイヤーか」
分からない、理解が及ばない。
どうして人間はこうも命を軽視する。
善も悪もこの世界にはありはしない。
あるのは生きるか死ぬかの二つだけ。
お前らが教えてくれたことなのに、どうして。
「それならここで、無価値に烏有に帰せ!」
「無価値じゃない」
「……?」
「私が死んでも、私の意志は引き継がれる。この場に集った誰一人、攻略を諦めてなんかいない」
なによ、それ。
社会的な生き物の自慢か?
孤独な私を憐れむ気か?
そんな傲慢、許さない、認めない、受け入れない。
「……それすら、私が否定してあげる」
行け、阿吽カラスども。
アルテミラを世界から抹消しろ。
「ああ、胸糞悪い」
«花天月地»を解除、世界が彩を取り戻す。
空を舞う花びらも、大地を照らす月も無い。
元通りの、時間に束縛された世界。
「はぁ……ッ、はぁ……ッ!!」
――パリィン。
アルテミラだったものが砕けて散った。
代償は少なくないものだった。
アルテミラを倒すだけ。
そのためだけに、私はHPの8割を費やした。
全く生産性の無い事をしてしまった。
「ぎゃあぁぁぁぁ!」
「や、やめ……ッ」
「ぐああぁぁぁぁ!!」
同時に、あちこちから悲鳴が上がった。
ロキが集めたPKがヒーラーを殺して回っている。
「……ッ、プレイヤーキラー!? こんなところまで」
「待てマルス! 今は空趨鷲が先決だ!」
「だけどッ」
「アルテミラ! 頼んだぞ!」
作戦会議は入念に行っていた。
予想外の事が起こることを想定していた。
だからほとんどのプレイヤーは、構わずボスに斬りかかる。
だが、あなた達が背中を託したプレイヤーはもういない。
プレイヤー名アルテミラ。
彼女は盲目の正義に囚われ死んだ。
あわれ«花天月地»の世界で散った。
「アルテミラ! 返事をしろ!」
大丈夫、アルテミラ。
私があなたの分まで生きてあげる。
あなたの分まで殺してあげる。
だから、心配せずに安らかに眠って。
「【風花雪月・四ノ型二式】«盈月»。……『問題無い』」
彼女の声帯を模写し、返事をする。
(後衛は一人残らず殺してあげるよ。あは、だから、問題は無いからさ)
「『前だけを見てなさい』」
彼女の声で、私の言葉を打ち出した。




